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「子ぬくみ祭」

奇祭まみれ3
「子ぬくみ祭」

「子ぬくみ祭」とは山陰地方で広く行われている祭りとして知られている。
「坊やよゐこだよくよく眠れ 子ぬくみもろて父母ねむれ」
山陰地方は島根県浜田市に古くから伝わる「島根のねんね」と呼ばれる子守歌である。毎年のように雪深くなるこの地域では、冬の間に十分な暖を取れるかどうかがまさに死活問題であった。

子供の基礎体温は大人に比べて1度程度高いことは広く知られている。現在のような暖房設備のない時代に、その地域では生後一年以内の赤ん坊を地域の寄り合いに集めて、赤ん坊の体温で大人も暖を取っていたそうだ。赤ん坊の周りに集まって暖を取ることを「お子ぬくみ」と呼んだそうで、それはまるでこたつを囲んでいるように見えたそうである。浜田市周辺では、実際のこたつを作る際にも赤ん坊の姿を彫刻するという。こたつに掘られた赤ん坊は数が多ければ多いほど縁起が良いとされており、時代とともにその数も徐々に増えていった。明治後期に作られた中泉栗衛門の、国宝「木造十一面赤子こたつ」は存在感のある赤ん坊がこたつの全面に配置された見事な作品であり、見るものの心を芯から温める。

「お子ぬくみは一朝一夕にならず」とは地域でよく言われていた格言であるが、寄り添い方を間違えると熱が逃げて十分に暖が採れないという。本格的な冬を迎える前の秋口から、この「お子ぬくみ」の練習をする姿が多くみられていた。「お子ぬくみ」にはいくつかの型が見られ、地域ごとに子供の距離や立ち方、寝方、子供の数が少ない場合の効率的な熱の取り方など特色に合わせた方法が採られていた。住宅環境の変化とともに「お子ぬくみ」自体は失われていくことになるが、その姿を忘れないようにと地元の神社が中心となって「子ぬくみ祭」は生まれたのである。多くの赤ん坊が寄り添ってすやすやと眠る姿は、見るものの心を芯から温める。「お子ぬくみ」のぬくもりが欲しいと、参加者の中には地元民のみならず、現代社会の生活に疲れた社会人、特に休日のサラリーマンの姿も散見されるそうである。

この「お子ぬくみ」は地域によって多少の差異があり、同じく豪雪地帯の雲南市では「火鉢」を囲む様子になぞらえている。赤ん坊が急に泣きだすさまを「火が付いたように」というが、これは火鉢の火種がバチっとはじけることに由来しているそうである。このことから、この地域で行われている「子ぬくみ祭」は、赤ん坊を集めてたくさん泣かせるという、一風変わった姿を取っている。そう、これが現代でも見られる「泣き相撲」の原型である。

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