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テレワークの本質とは・・・

  4月7日に発出された緊急事態宣言により、日増しに屋外を出歩く、また交通機関を利用する人の数は減少しています。(ということを感じているのは私がまだ普通に出勤しているからです。明日の午後からは完全にWFHに切り替えます)

  さて、本日東洋経済オンラインにリリースされた記事『このままテレワークが進めば、日本から「頑張ったで賞」は確実に消える』は、一見“頑張りが評価されない世の中に?”と寂寥感が頭をよぎるタイトルですが、読み進めると生産性の高い「フェアな社会」を目指していこうという前向きな内容です。

  筆者は「ひとことで言ってしまえば、テレワークとは働き方を変えるだけではなく「純粋な仕事の能力=実力」が認められる環境へと変化をもたらすものである」と概括し、これまで肩書や高圧的な態度、大きな声など仕事に直接関係のないファクターで仕事の能力をごまかしていた人たちはテレワークによって純粋な仕事の能力を測られ、結果駆逐されてしまうと説いています。

  テレワークの本質とは何なのかを私なりに考えてみると、あまりに月並みではありますが、「信頼を基盤とした上司と部下の公正な関係」なのではないかと考えます。
  目の前に姿が見えない、その状態で部下が「懸命に役割を果たそうとしている」ことを前提に考えるのか、「サボるかも知れない」と考えるのか、二通りの上司がいるでしょう。
  一方、部下は自分の上司がどちらのタイプか、常に意識することになります。そこでは、たとえ上司が性善説で考えていたとしても、部下から見た上司が性悪説であれば、その関係性は“微妙”です。
  「サボる」という前提の上司は、サボっていないことをチェックしたがります。一方、上司から信頼されていないと感じる部下は「サボっていると思われないような仕事」をすることになり、こうなると効率のよいはずのテレワークも一気に生産性を落とします。

  では、いかに基盤となる「信頼」を構築するのか。これまでに培った関係性はともかくとして、それはまず上司の仕事をオープンにすることなのではないかと思います。
  マネジメントの領分もプレイングの領分も全て開示し、成果をコミットする。そこで自ら自律性や創造性を発揮することで背中を見せつつ、進捗や成果を適切に把握・評価するための適したコミュニケーションを行なう。

  まさにテレワークによって変革が求められるのは上司なのであり、それこそが筆者の言う「純粋な仕事の能力が測られる」ということなのではないでしょうか。

  て歴史に残るほどの国家の難局と闘いながら、自らとの闘いに勝利して、組織における自身のバリューを再構築したいと思います。


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