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「総悟くん。プロレスって今まで見たことある? 私は初めてなの」

「そうなのですか? 実はぼくも初めてです。とても緊張していますよ」

アイシャと総悟はお互いに顔を見合わせる。人々の熱狂で湧き上がるプロレス団体の興行試合。ドラゴニアとサンダーゲートの会場。怒声と歓声に埋め尽くされる。雰囲気に圧倒される。

「赤コーナー!ドラゴニア所属・百五十五センチ一○三ポンド・希望と愛欲の天使≒吾妻龍泉歌! 青コーナー! サンダーゲート所属・百六十一センチ一一五ポンド・夢見る機械人形=中沢乃亜!」

リング上には黒と白のウェアを着たレフェリー。両サイドで身構えている二人の女子レスラー。名前が呼び上げられる。会場は破れんばかりの大歓声。千人ほどが収容された会場。隅っこでアイシャと総悟は耳を抑える。お互いの距離を縮める。こっそりと耳打ちをする。二人は観客用通路を通り抜けていく。ゴングが鳴らされる。女同士の戦いの火蓋が切って落とされる。

「いやー。よいですね。あいつはね、まだ使えますよ。ご覧の通りいきがいい。どうします?」

最前列から五席目あたり。東側中央の席。核∵家族の筆頭顧問スマ○イル。下品な笑いを浮かべている。龍泉歌の奮闘ぶりに称賛を送る。興行は大成功している。スマ○イルが合図を送る。ミルクコーヒー色のスーツを着た男。スマイルから耳打ちされる。熱狂する人々。狭苦しい会場。スーツの男はどこかへ消えて行ってしまう。

「このあたりが臭いんだよ。とにかく臭う。貧乏人の匂いがするんだ。今のうちに消しておきたい。こんなもの私は放置しておきたくないんだよ。わかるね?」

「あぁ。そうですか。しかし勿体ないですねー。あんなにいきがいいんじゃ何にだって使えるのに。けど、そう。お館様がいうんじゃ仕方ないでしょうね。殺しちゃいますか。頭の中お花畑の連中に目にもの見せましょう」

スマ○イルは余裕を絶やすことがない。ひたすら高らかに声をあげる。手に持ったスナック菓子を頬張っている。大きなサングラスをかけている。本心は読むことが出来ない。感情をうまくコントロールしている。熱狂に呑まれる人々。マスクを被ったレスラーは中沢乃亜。龍泉歌が一方的にめったうちにされている。会場全体が定石通りの展開を楽しんでいる。

「女子プロレスっていうのかしら。今、寝転がってロープに登った女性を見上げているのが吾妻龍泉歌ね。実力差がけっこうあるみたいだけど、お客さんはそれをみてみんな喜んでいる?」

「そうみたいですね。一進一退の攻防みたいなイメージでしたけど、ほぼリンチ状態。そうなると、押している方も張り合いがないのでしょうか」

中沢乃亜がトップロープに登る。虎のマスクを被っている。観客たちから煽られる。大技を繰り出そうとしている。千人超の観客たちに見られている。手足が長く均整の取れた身体。中沢乃亜は優越感を堪能する。二メートルほど跳躍。身体をぐるりと捻って回転する。虎の面を被った完璧な肢体を持った格闘家。龍泉歌は迫力に圧倒される。力も体力も使い果てている。フライングボディプレスが命中する。

「そうでもないみたいね。エンターテイメントである以上、提供する側も受け取る側も熱狂の渦の中で陶酔感を体験しているってことかしら。それはともかくほら、赤コーナーにいるのが彼女のマネージャー、伊澤諒太よ」

「顔を見る限り、とても真剣に彼女のセコンド役をかって出ているようですね。吾妻龍泉歌を何か悲劇的な運命に巻き込もうとしているようには思えない」

「ええ。けれど、残念ながら彼が執行依頼を出してきた張本人。龍泉歌は彼の意志で殺されるのよ。そして、おそらく私たち二人にとって重要な事実だけど、ドラゴニアを運営しているのは♪Missile&Scoot♪とライバル関係にあるレコード会社、MUDER≦TRAP? が関わっているということよ。名取君が必死になって調べてくれたけれど、All\Apologiesはやはり完全なペーパーカンパニーで伊澤諒太が代表取締役になっているのよ」

「つまり一連の裁判と関係があるということですね」

「ええ。それと、業界の権力バランスが大きく関係しているというところね」

「ウニカでしたっけ。正直に言えば、現在のシンガーソングライターで彼女の人気を超えそうなものは出てこないと思います。たぶんポプリを除いて」

「あなたの言いたいことはわかるわ。セールス的にはポプリの方がずっと下ね。けど。そうね。とにかく単なる身内贔屓ではないと思うことにしてあげる」

「つまりはそういったエンターテイメント業界のイザコザに巻き込まれた結果、伊澤諒太が責任を取らされる立場にあるのかもしれないということですか」

「調べた限りではそうなるということでしょうね。とにかく今は当たって砕けましょう。権限は全て使わせてもらうつもりでいるわ」

「わかりました。ぼくにとって私情は挟まないつもりです。とにかく、試合終了後の彼らとコンタクトを取りましょう」

「その辺りは任せて。殺人執行管理証の効果は絶大よ。無理矢理にでも彼らから情報を引き出させてあげる。いきましょう」

三カウントとゴングが鳴り響く。興奮状態が最大限に達した観客たち。アイシャと総悟はプロレス会場を抜け出す。ドラゴニアとサンダーゲートの興行試合の控え室に向かう。警備は思ったよりも厳重だ。裏口に入場する際に入念なボディチェックの気配。アイシャは殺人執行管理証を提示する。ガードマンは両団体のレスラーが担当している。大人しく引き下がる。控え室に案内する。

「もしもの時は彼らぐらいならぼく一人で大丈夫ですから」

「あら。頼もしいわね。もしも、があるならお願いすることにするわ」

総悟はカメラアイをサーモグラフィーモードに切り替える。会場内にいくつか気になる熱源反応。危機的状況遭遇確率が三パーセントほど上昇している。警戒心を持つように忠告した方が良さそうだ。アイシャは少しだけ笑顔を作る。総悟の発言を頼りにしているようだ。龍泉歌の控え室。立ち止まる。深呼吸をする。ドアを開けて、大きな声で警告する。

「国家殺人管理機構エディプス執行管理官、アイシャ・トルーマン・川上です。執行対象者、吾妻龍泉歌。本名、幕内智子の強制情報開示権限を現時刻をもって発行。今からこの部屋はエディプスの管理下に置かれます。全員その場から指示があるまで動かないで!」

控え室の内部。すでに試合を終えて汗だくで痣だらけの龍泉歌。斜向かいに伊澤諒太。俯き加減でベンチに座っている。龍泉歌は何もかもを諦めたような表情。アイシャの忠告を受け入れている。伊澤諒太は疲れ切ったような声。「やっちまえ」とガタイのいい男性レスラーたちに指示を下す。

「アイシャさん。少し下がって。ちょっとだけ彼らに大人しくしてもらいますから」

屈強なレスラーたちが襲いかかってくる。アイシャの持っている殺人執行管理証を奪い取るつもりだ。総悟は脚を踏み出す。一人ずつ丁寧に片付けていく。ウェルター級ほどのボクサーの右ストレート。右側から殴りかかろうとしてくる。総悟は簡単にかわす。そのまま右手で彼の下顎に掌底。跪かせる。今度は左側から熊のようなレスラー。襲いかかってこようとする。坊主頭で灰色のタンクトップ。常人の三倍はある上腕二頭筋を持った左腕。総悟は関節ごと掴む。勢いよく部屋の奥にあるロッカーまで投げ飛ばす。

「憂鬱よりずっと暴力的手段が好みなのかしら。私たちは公務員よ。次はせめてもう少し穏便にことを済ませなさい。私たちはここに話をしにきたのよ」

「別に構いませんよ。こちらも実力を測りたかっただけです。一応、その二人は世界チャンピオンクラス。今は落ちぶれちゃってこいつのボディーガードみたいなことをやっていますけどね」

伊澤はアイシャの入室を承諾する。覚悟を決めて一息つく。突然、掌に収まるほど氷の礫を作り出す。白いタオルを二つ取る。ボクサーとレスラーの二人の頭に乗せる。安静をとらせようとする。

「珍しいわね。大気中の酸素を瞬間的に結晶化させてしかも形状や量まである程度コントロール可能なほど鍛錬されている。なぜ、あなた程の術者がこんな場所にいるのかしら」

「公務員さん。ぼくをからかっていますか。この程度のことは機械でも使った方がましなんですよ。サーカスか大道芸人か。悩んだ挙句にマネージャーです。わかりきったことでも聞きにきたんですか?」

「お前は結局さ、腹いせで私に執行依頼をだしたんだろ? 親会社の社長の息子かなんかに媚を売りまくってさ、強制執行権を手に入れて。それで目の前から役に立たないエーテル持ちの私を抹消する。まるでお前のその氷柱のエーテルを封じ込めるみたいに」

伊澤諒太は鼻で笑う。龍泉歌の悪態を軽く受け流す。二人の屈強な男が気を失っている。一瞥してベンチに戻る。総悟は警戒心を緩める。控え室の熱気が消えていく。アイシャは態度を変えない。公務を優先させる。龍泉歌の元に近付く。もう一度、殺人執行管理証を提示する。龍泉歌は震える右手を左手で抑えこむ。顔をあげる。アイシャの話を聞こうとする。

「あなたには国選排除係の適用及び任意の民間団体による執行許可証を持った排除係を選ぶ権利が国家によって保証されています。また我々執行管理者の指示に従い、速やかに必要な情報を強制的に開示する義務が付与されます。なお、敵討法執行権限に関する異議申し立ては現行の法律では一切認められていません」

「わかっています」と頷く龍泉歌。涙を必死で堪えている。アイシャが真っ直ぐ見つめ返す。威圧的な態度。同情の余地を挟もうとしない。本心を探り合っている。沈黙の時間。はち切れそうな緊張感。格闘家二人の呻き声。立ちあがろうとする。総悟が警戒をしている。アイシャが左手をあげる。総悟の動きを静止させる。

「それで、どうしてこんな場所まできたですか? 試合後のボロボロに負けて疲れ切った私のところにやってきて何を聞きにやってきたんですか? これからあなたは死にますから遺言でも残してくださいとでも言いにきたんですか?」

「私はあなたを守りたいと思っています。偽善的に聞こえるかもしれないけれど、私はあくまで自分の責務に忠実にありたいと考えているからこその判断です。執行依頼届けにあった執行理由は少なくともドラゴニアみたいな興行千人規模の小さなプロレス団体、それにAll\Apologiesのような中堅どころの会社だけでは許可が降りるとは思えないほど強引なのよ。だから本当のことを知っているなら教えて。執行依頼をだしたのは本当に伊澤諒太本人の意志によるものかしら」

二人の屈強な男が目を醒ます。伊澤諒太と視線を交わす。控え室を出て行こうとする。秘密は守られなくてはいけない。悔しそうな表情。無言で立ち去っていく。総悟は大人しく見逃すことにする。戦意は既に失っているようだ。

「まあ、そこまでわかっているなら話は早いですね。そうです。伊澤さんは私の為を思って。多分これに賭けるしかないと考えて、執行依頼届けをだしたのです。もし排除が成功すればお前は自由になれるはずだって」

「失礼だけど、あなたの個人的情報のほとんどは魔術対策基本法第十四条に従って私の権限で入手している。花のエーテルは素晴らしい能力だけれど、そんなに重要視されるようなものではないはずよね」

「へ。わかっているじゃないですか。だから、ですよ。エーテルが大嫌いな連中がぼくらの上にはうようよいるのです。だからぼくたちだってオマンマにありつける。逆説的な話だけど、ここはそういう場所なんです。公務員さんみたいな人には分からない話でしょうけどね」

アイシャは伊澤の意見を重く受け止める。執行条件の私的強行判断に抵触する判例。記憶の中から探り出す。重要なのは彼らの関係性だ。龍泉歌は伊澤の立場を理解している。お互いにエーテルによって社会的地位を矯正されている。逃れられない個性。執行条件がやはり意図的に偽装されている。総悟は伊澤の考えを理解しようとする。義体化を施されていない生身の人間。肺胞の遺伝子欠陥だけは置き換えなかった理由。エーテルは総悟を完全な機械ではなく人間だと保証している。決して消すことの出来ない生きる価値そのものだ。伊澤は龍泉歌を疎ましく思っているだろうか。思考パターンを演算して明確な答えを算出しようとする。二人が逃げ出してしまう理由が見つからない。龍泉歌の執行手続きが目前で行われている。総悟は自分の名前をもう一度思い出して呟いてみる。十草総悟と。

「いえ、例えそうだとしてもあなたが排除される根本的な理由にはならないと私たちエディプスは判断します。法務省へのなんらかの政治的圧力が介在したと判断せざるを得ない。この場合、敵討法第十七条に基づいて、緊急時特命排除係第一種の適用が認められます。そしてその結果としてあなたは生き残ることが出来るはずなの。私はあなたのことを必ず守ってあげられるわ」

「どうしてぼくたちに期待させるようなことを言うのですか。このまま行けば彼女は確実に執行されて殺されるんでしょ。そのための敵討法だってエーテル持ちはみんな怯えながら暮らしている。あの日からぼくたちはずっと。はっきり言いますけど、どうしてこんな価値のない女が生き残る可能性なんて作ろうとするんですか」

幕内智子は気丈に振る舞う。冷静で客観的な伊澤諒太の発言。「言い過ぎだぞ」と明るく言い返す。笑いを作ろうとする。アイシャは決して態度を変えない。総悟は慎重に彼らの意見に耳を傾ける。

「伊澤諒太さん。あなたの認識は間違っているわ。正義の天秤制度は、優性人種保護法や魔術対策基本法で作られてしまった魔術回路保有者に対するアンバランスな社会環境を是正するために作られたものです。法改正前に被害者意識を盾にして政治的特権を手に入れていたいわゆるエーテル持ちたちのことをあなただって知っていたはずです。幕内智子さんの例は、決して特別な事例ではありません。だから私は──」

「綺麗事。どういうことですか。法律とか社会がどうとか。確かにあなたの言う通り私みたいなやつはどこにでもいる。いや、ずっと昔からそうだ。私が救われる? そんな訳ないって分かっているのにあなたはどうして──」

「何度でも伝えます。私の個人的な正義感からの判断ではありません。社会的正義を公正に実行するためのあくまで法的公平性を保つための十七条の適用ですから。あなたが承諾してくれるなら私は特選排除係を推認するつもりです。そのためにまだこちらでも調べなければいけないことはたくさんあるけれど」

「何こいつ。諒太。やっぱりこいつは私のことを馬鹿にしている。わかったよ、あんたのリクエストに応えてやる。吾妻龍泉歌らしくかっこよく散ってやろうって私の覚悟が全部台無しだ。いいよ、その特選排除係ってやつを受けてやる。力に、権力に、守ってもらえばそれでいいんだろ!」

「そう。こいつはそういうやつです。ただの馬鹿。だからさ、アイシャさんといいましたっけ。こいつを守ってやってください。あなたたちの読み通り、この件はもう少し複雑でね。厄介な連中の派閥争いやぼくなんかじゃ知る由もない大きな力が動いている。なんでこいつに、ってぼくだってわかんなくてさ。けどぼくはあなたのこと信じることにしますよ。特命排除係の件よろしくお願いします」

伊澤諒太はアイシの執拗さに観念する。素直に頭を下げる。同じように龍泉歌の頭を左手で抑える。アイシャにお辞儀をさせる。龍泉歌も従う。悔しいのか嬉しいのか分からない顔をしている。俯いて複雑な表情をしている。伊澤の判断に身を任せようとする。

「二人とも頭をあげてください。私の行動はあくまで職務の一環ですから。執行に関する詳細は一ヶ月以内に届くと思いますが、私たちはその間に緊急時特命排除係第一種による絶対防衛を整えておきます。幕内智子さん。あなたは助かります。敵討法は無差別殺人を許容する法律ではありませんから」

伊澤と龍泉歌の二人は呆然としている。アイシャの熱意に圧倒されている。奇跡が目の前で起きている。現実離れした出来事。頬をつねり合う。執行が完了するまでの日付を数えあげている。頬に痛みが残る。奥底に眠っている意識。龍泉歌の身体が急に光り始める。滝のような汗が流れ始めていく。背を向けていたアイシャ。総悟に呼びかける。発光現象に包まれた龍泉歌。事態を冷静に把握しようとする。

「記録にあったエーテル受容体に起因する自律神経系の失調症状ね。確か、通院することである程度発作は抑えられているのでしたね」

「ほい。薬。早めに呑んで光るのだけでも抑えておかないと。お医者さんが言うには興行やなんかでね、体内のタンパク質が何パーセントか低下するとこいつのエーテルが持っているなんとか干渉率ってやつのせいでこうなるらしいです。まったく変な体質ですよね」

「あはは。六年ぐらい前かな。通販で買った青汁健康法? それがよくなかったみたいで。アレルギー出ちゃったらしいですよ。でね、なんか溢れ出ちゃう。お花が咲くみたいにこうパッーと」

サーモグラフィーモードにカメラアイが切り替わる。龍泉歌の体内粒子が何故か足元に収束している。自律神経異常によるエーテル粒子の異常活性状態。深く追求する必要性はないのかもしれない。十草総悟はカメラアイをノーマルモードヘ切り替える。龍泉歌は錠剤を水で呑み込む。龍泉歌の身体から少しずつ光が失われていく。伊澤は冗談を言って和ませる。気持ちを誤魔化して項垂れる。発汗しすぎていた身体。龍泉歌を気に掛ける。素直に喜びを分かち合う。アイシャはもう一度丁寧にお辞儀をする。控え室の扉の向こうの廊下。不気味な高笑いが響いている。総悟の聴覚を刺激している。Cortex−41及び42に記録。些細な変化。アイシャと後をついて控え室を出る。ボクサーとレスターが待機している。彼らは沈黙を守っている。ドラゴニアとサンダーゲートの興行会場を後にする。

「さぁ、他の執行に関する手続きと情報収集もほとんど後一ヶ月以内には決着をつけなくちゃいけないわ。とにかく出来るだけ穏便に暴力は最低限に。悪を正して正義を穿つ。十草総悟君。しばらくの間、私のパートナーお願いね」

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