フランチシェク・ランゲル「夢を売る人」
ぼくの父さんはすこし変わった商売をしていた。夢を売ったり買ったりする仕事だ。
毎朝、鞄を背負って街の通りに出ては家々の中庭に向かって声を張り上げる。「夢、買います!」生地職人、皮や骨の商人と同じ、歌うような声を出していた。「夢、買います!」
夢はシャボン玉のような形をしている。ご存じですよね。子どもが遊ぶシャボン玉のことは。シャボン玉と同じで、夢は壊れやすく、ふわふわと飛び、軽くて、透き通っている。無色のものもあれば、色がどんどん変わっていくものもある。手の上にのせてみると、とても美しい。もちろん、そうするには特別な技が必要で、夢を手にすることほど難しいものはきっとないはず。それができようものなら、たいへん裕福な国の王さまでさえ手に入れられない貴重な果物を手にしているのと同じ。とても軽いので手の上にあることすら感じない。それでも、夢のなかには、手の上にはすべてが秘められているのだ! うっかり手を握ったり、爪を立てようものなら、すぐに破裂して消えてしまう。そこにはすべてがあるというのに!
そう、こういった夢を父さんは毎日いろいろな人から買っていた。日中、人びとは夢を必要としていなかったから、みんな、喜んで夢を売ってくれた。
父さんは夢を手にすると、値踏みをし、買うか、断るかのどちらかだった。買った夢は背中の鞄に入れる。たいてい昼食前には、鞄は満杯になっていた。脇の袋もいっぱいになることがあった。それは紐で締める鹿の皮の小袋で、粗野な人たちに揉みくちゃにされないように、繊細で貴重なものはそこにしまっていた。そして父さんが帰宅すると、昼過ぎからぼくたちの仕事が始まるのだった。ぼくと姉さんの仕事。机に向き合って座り、それぞれ絹の布を手にして、注意深く夢をきれいにしていく。ぼくたちは夢を指でそっと支えながら、まるで目を撫でるかのようにとても優しく表面を擦る。すこし経つと、玉は磨かれたばかりの水晶玉のように光を放った。
美しい夢をいつも掌に収めているのは姉さんだった。というのも、姉さんは細長くて柔らかい手をしていて、細い指はほどよくあたたかく、玉にほとんど触れずに美しいものをもてるという稀に見る手の持ち主だったからだ。だから、ぼくが自分の乱雑な手で触れるのをためらってしまう子どもや恋人たちの細やかな夢のほこりでさえも、姉さんはさっと掃いていた。
仕事をしていると、日はゆっくりと暮れていった。
作品がよく見えるよう、ランプを早くに灯さなければならなかった。細長い部屋はアーチ型になっていて、それほど大きくない窓が一つあるだけ。その窓は、誰も住んでいない宮殿の後翼に面する狭い通りに面していた。そのため部屋に光はほとんど差さなかった。
ランプの炎はおだやかな黄色い光で、水晶玉のふくらんだ表面を黄金色に照らし出していた。姉さんは作品の上にずっと身をかがめているが、何か面白いものを見つけてぼくの注意を惹くときだけ、ぼくに向かってにこりとする。姉さんの手はすばやく動きながらきらめき、完成した作品を置くときか、新しい夢に触れるときだけで手がとまる。両側にきれいに分けられた茶色の髪は波打つ髪の上で鉄のようにきらりと光を放つ。しばらくするうちに膜のいくつかが解かれ、銅色の糸で編まれたヴェールのように、姉さんの額の上にかかり、姉さんは手の甲でそれをまたまとめる。そうするたびに姉さんは手を動かしていないのを詫びるように、ぼくをちらりと見て、細く赤い唇をすこし動かす。でも、ぼくがうれしそうな表情を浮かべ、姉さんの美しさに見とれているのがわかると――そう、ぼくは姉さんの美しさに惹かれている――、ふたたび仕事をしている自分の手に笑みを投げかけて身をかがめる。ランプの光が手にしている夢の玉にあたって屈折したり反射して、姉さんの頬で虹色になる姿は、なかでもいちばん美しい。いや、それよりも美しいのが、光に投影された夢のイメージが姉さんの額の上に映るときだ。
姉さんは夢をよく見ていた。いや、ぼくたち二人ともそうだった。ぼくたちの夢はとても価値があった。それで、父さんはぼくたちの夢を脇の袋に入れて売りに出かけ、それをバルコニーや格子窓があるような城館や芸術家に高値で売りつけていた。
作業が終わった夢は古めかしい衣装箪笥に同じ手順でしまっていた。リンゴでピラミッドをつくるように、かさばったものを一番下に置き、上に行けば行くほど小さいものになった。どれをとっても、新品のようにきらきら輝いていた。
父さんはというと、アルコーブでパイプをくゆらせてからうたた寝をする。だいぶ年を取っていて、髪の毛も白く、ひげは胸まで伸び、眉毛はもじゃもじゃだった。かわいそうに、朝に一回りして疲れているのに、夜もまた出かけなければならなかった。
夜が明けると、休んでいた寝床から起き、扉の脇にある鞄を手にとると、夢をぜんぶ詰めこむ。ぼくと姉さんも、うまく入るように手伝う。そのあと、鞄を背負うのも手助け、そして父さんと別れの抱擁を交わす。
父さんは路上に出ると、家から家を訪れ夢を売っていく。家のドアにある呼び鈴を鳴らすだけで、どういうものが入り用かがわかるという。もちろん、値段の交渉は根気強くしなければならないけれども、父さんはいつも穏やかに対応するので、買い手の気分を削ぐようなことはない。多く買ってくれると、午前中であれば、軽くて小さい夢をおまけで渡すこともある。真夜中を過ぎると品物はすべて売り切れ、その時間にようやく父さんは家に帰ってくる。もちろん、天気が悪かったり、売れ行きが悪い時などもっと遅く帰ってくることもある。そういう時、父さんは疲れて床に倒れ込み、服を脱がないまま横になる。帰宅するのを耳にした姉さんはベッドから出ると、下着姿のまま裸足でそっと父さんの方に近づいて、起こさないように靴だけでも脱がすのだ。
昨年の十一月の終わりごろ、濃い霧が始終立ち込めていた。それはとても異常な日々だった。日中の数時間以外は、夕暮れとほとんど変わらないほど。夜はいつもより三時間早く始まり、朝は三時間遅くなった。街頭で日中燃えているガス灯や放電灯も濃霧の前では役に立たず、この予想外の闇によって生活は止まってしまった。みな、自分の住まいから外出せず、家で退屈をもてあまし、たえず夕暮れのような状態に疲弊して、この醜い夜をどうにか寝て過ごそうとした。同時に眠気とともに、夢を求める声も高まった。父さんは朝に買った夢をすぐさま売り切り、売るものが足らなくなってしまった。そこで、古い在庫に手を出すことにした。居室の隅にある大きな櫃を開けたのだ。そこには、品物が不足した時に売って足しになるように、まだ売りに出していないものが眠っていた。茶色のオーク材の櫃はとても大きく、鉄の装飾はなかった。夢は数多く収められていて、その在庫だけで数日間賄えたものの、週の終わりごろには櫃の底が見えはじめた。霧は止む気配はなかった。
ついに、ある晩、父さんは最後の夢を手にすると、古い櫃の埃だらけの底には亀裂が走っていた。父さんは鞄を均し、ひどい天気だとぼやいた。底にあった夢は減ってしまい、鞄は夢でほとんどいっぱいになり、櫃には、おびえた鼠のように、隅っこで丸くなった輝く玉が一つだけ残った。父さんは、この夢を手にしてもう一度だけ見ると、いったん鞄に入れたかのように考え込んで何度も頭を振ってから、元の位置に夢を戻した。
その時はじめて、父さんは、商いの人とは異なる視線で夢を眺めていたのに気づいた。夢の水晶をよく眺め、奥行きを図り、色を評価する――それに応じて、夢を売ったり、買ったりする。でも、その他のことはまったく考えていなかった。感傷的なそぶりはどこにもなかった。年を取り、いろいろと人生を経験し、おそらく苦痛もあったのだろうが、動じることはなかった。人間的な事柄は父さんと縁遠いものになっていた。誰かの夢に共感して、頷くようなことは一度もなかった。夢の中でも変えることのできない永遠の法則があるのを知っていて、欲望という欲望を断念したかのように、ただ平静と沈黙だけを求めている――そんな風だった。笑い方も同じだった。夢にどんなに価値や意義があっても、売れる機会さえあれば、夢を保存することなど考えもしなかった。父さんにとって、夢は単なる商品にすぎなかったのだ。けれども、今、櫃の隅っこで丸くなっているこの夢を売るのをためらって元に戻してしまった! ぼくは驚いた。そのあと、父さんはぼくたちのベッドの頭側にある小さいテーブルに行って、ぼくと姉さんの夢を手にした。それから、ぼくたちが父さんの背に鞄をのせると――胸の前で結び目を二つ結んだ――、父さんはゆっくりと歩き出した。
姉さんもぼくと同じことを考えていたのはわかった。父さんが出ていくと、すぐに開け放たれた櫃の方を見たからだ。父さんが置いていった夢を手にすると、そっとテーブルの上に置いた。それはとても大きかった、尋常でないほど大きかったが埃がついていた。姉さんは手で埃をはらった。
「大きいわね」姉さんは言った。「だから、父さんは置いていったのね。こんなに大きい夢、初めて見たわ」
「中のものはぜんぶ霧みたいにふわふわしてる。よく見えないね」
ぼくたちは頭を下げて、ランプの炎にかざして、水晶の中を覗きこんだ。
「ようやく中が見えてきた。人がいるよ、見える?」姉さんはうなずいた。「どこかの町みたい、人が群れをなして歩いている」
「人がいっぱいいる」付け加えた。「押し合いへし合いしている。だんだんよく見えてきた。すこし玉を回してみるね。ほら。前の方はとても込み合っている。人のすぐ後ろに人がいて、手を上にあげている。頭もあげている。何千人もいる。後ろの人たちはみんな走っているよ。でも、ゴールには届かなかったみたい。手をあげていないからね。あ、こっちにはいちばん後ろの人がいる。子どもばかり。下着姿の子ども、ほとんど全裸の子ども。それにおじいちゃん、おばあちゃん。こっちは、杖をついた障碍者のひとたち、木の義足をはめた人たちも。この人たちも何かを目指して急いでいる。でも、どこに向かっているのだろう? ねえ、どこ行こうとしているんだろう? こっちは雲がかかっている、あのひとたちの上の方はよく見えない」
ぼくは姉さんの指から夢を受け取った。「上からすこし光が入るように回してみよう。ほら」。姉さんは滑らかな頬をぼくの頬に近づけ、ぼくたちは一つの目になったように夢を見た。「あの人たちの上に誰かがいる、両手に何かを抱えて、みんなに何か配っている。あの贈り物が欲しくて、みんな、手を天に差し伸べているんだ」
「何を配ってるの?」
「見えない。黄金の雨のように光っている。でも、ここからだと夢が濁って見えるんだ。夢を配っている人も見えない」
「誰だろう?」
「父さんが帰ってくるのを待つのがいちばんいいはず。きっと、ぜんぶ話してくれるはず」
櫃の中に夢をしまうと、ぼくたちはふたたびテーブルに坐った。姉さんは縫い物をし、ぼくは歴史小説を読んで過ごした。そして、待ちに待った父さんがようやく帰ってきた。短時間ですべて売り切ったので、帰りはそれほど遅くなかったのだ。父さんの体は霧ですっかり濡れていた。父さんが外套を脱ぐのを手伝い、姉さんは夕食を運び、暖炉のなかに入れた。
お腹がすいていたのか、父さんは夕食を食べる時、お皿のソースもパンできれいにした。食べ終わるころには姉さんが隣で詰めてあるパイプを手にして立っていて、ぼくも反対側からマッチをすぐに点けた。なんどか煙を吐き出すと、父さんの顔に穏やかな笑みが煌めいた。
姉さんは櫃に近づくと、ぼくにうなずいてみせた。そしてぼくは姉さんの近くに行った。
「二人でこそこそ何を話してるんだい?」父さんは訊ねた。
ぼくは櫃から大きな玉を取り上げ、父さんの前に置いた。
「父さん、びっくりしたよ! 父さんはこの夢をじっくり見て、とても価値があるのがわかっているのに、家に置いていったんだ。姉さんといっしょに覗きこんで、ぼくたちは口を合わせてこう言ったんだ。『こんな大きい夢、見たことない』って」
父さんは夢を手にし、ランプを自分の方に近づけると、手の上でその向きを変えた。夢が濁っていたところの疵をこすった。でも、うまくいかなかったので、ふうとため息をついた。
「よく見たけど、何のことかわからなかったの」姉さんが言った。
しばし静かになり、父さんはこうべを垂れ、目を閉じた。思い出に耽るかのように。時計はチクタク音を出していたが、時計の音以外は何も聞こえず、どこか遠いところから馬車の音が聞こえ、ぼくたちの通りまでその音が響いた。
その時、父さんが話し出した。
「これは、みんな、私の最後の夢なんだ」
父さんの言葉を遮らないように、ぼくたちは息をひそめた。遠くを走る馬車の音ももう静かになっていた。ただ時計だけが音を出していた……。
「ふだん私が夢を見ないのに気づいていたかい。お前たちの美しい、笑いにあふれた夢をもらって、父さんはそれを売っている。でも、朝、私の頭の隣に夢があるのを一度も見たことがないだろう。
それは、父さんが夢を見ないからなんだ。ここにあるものは、父さんが見た最後の夢だ。もう何年も前に見た夢。私はまだ若かった。見てごらん。群衆を掻き分け、かれらの上に行くのが夢だった。私の手が手渡しているのは、人間が人間に与えることのできるもっとも美しい贈り物。幻、錯覚、夢だ。そういったものを腕いっぱいに抱えて配っている。豊饒の角のように、夢が人びとに降り注いでいる。かれらは幸せを感じている。その贈り物を求めて走っている、それを求めて、みんな、走っている。私は手のひら一杯にしてそれを配り、かれらの人生を美しいものにし、かれらの夜を美しいものにしている。それまで笑いがなかったところに笑いを配り、それまで悲しみしかなかったところに喜びを配っている。かれらの眠りと休息を美しいものにしているんだ。
これが、父さんが見た最後の夢だ。
その次の日、その夢を実行に移しはじめた。自分の夢をじっさいに生きることを始めた。そう、夢を売ること。そうやって報酬も得た。ある時はそれ相応に、またある時は夢以上のものを、あるいはそれ以下のものを。すべて売り切り、夢はすべて別の人の手にわたり、鞄を空にして家に帰る。
その晩、横になって眠ろうとする。さて、夢はどうか? 鞄をあけてみると、からっぽ。夢をぜんぶ売り切ってしまい、自分の分はなかった。そこで夢なしで眠ることにした。世界中の人びとが夢を見て、楽園を歩いたり、海辺を散歩したり、遠くにいる人や亡くなった人と言葉を交わしたり、美しい声を聞いたり、美しい女性と恋をしたり、近くで花がにおいを漂わせたり、ダンサーが踊ったりしている――けれども、私だけは夢を見なかった。あるのは、灰色ばかり、形も色もはっきりしない、灰色で大きな表面だけ。
最後に見た夢がどうして残っていたのか、わからない。残していたこともとっくに忘れていた。それは消えていたんだ。跡形もなく。これでおしまいだよ」
父さんはその夢を取ると、また櫃の中に置き、櫃のふたを閉めた。パイプを窯の隅に置くと、父さんは床についた。
(C)阿部賢一、2022.
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