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僕の嫌いな100の人々(2) 飲食店の邪魔者

「食欲の秋」とか「読書の秋」とか、秋はやたらと何かの接頭語を求めている。あなたにとって、秋は何の季節だろうか。

僕は「蕎麦の秋」を推したい。秋は新そばの季節である。そばを食べるなら秋に限る。

そばは米と違って、鮮度による味の変化が大きい食品だ。「夏のそばは犬も食わない」という言葉もあるくらい、一年経つうちにそば粉は劣化してしまう。

だから、秋はそばだ。僕はそばが好きでよく食べているが、秋は特に好んで食べる。新そばの繊細な香りを味わうのが、秋の醍醐味だ。


前置きが長くなった。本題に入ろう。

先月、ちょっと良いそば屋に行った。窓からキレイな竹林が見えるこだわりのそば屋。もちろんお目当ては、新そばの芳醇な香りだ。

ドアを開けて店に入る。清潔感のある店内、多くの客が美味しそうにそばをすすっている。食欲がドッと押し寄せてくる。さあ、新そばの繊細で芳醇な香りを、たっぷり味わうぞ!

ところが、案内された席に問題があった。ホームレスみたいな体臭のジジイの隣に案内されたのだ。

いや、ちょっと勘弁して欲しい。繰り返すが僕は新そばの繊細で芳醇な香りを楽しみに来たのだ。ホームレス体臭ジジイが隣にいたら、全てがぶち壊しになってしまうじゃないか。

マンガ「美味しんぼ」の中で、新そばに「ネギとわさび」を添えて出したら海原雄山に怒られた、というくだりがある。

コメント 2019-11-25 120344

(マンガ「美味しんぼ」より引用)

海原雄山は、「新そばの香りとワサビの香り、どちらが強い?お前は私に何を味わわせたいのだ!?」と怒っていた。

この時の僕も同じ気持ちだった。「新そばの香りと、ホームレス体臭ジジイの香り、どちらが強い!?お前は私に何を味わわせたいのだ!?」と怒っていた。

というか、この程度の怒りで収めた僕は偉いと思う。ネギやわさびですらブチ切れる海原雄山なら、ホームレス体臭ジジイは撲殺すると思う。

しかしまあ、僕は海原雄山ではない。ホームレス体臭ジジイを撲殺することはできないし、「このホームレス体臭ジジイを作ったのは誰だ!?」と厨房に怒鳴り込むこともできない。

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かといって、「隣のジジイがホームレス体臭ジジイなので移動します」と店員さんに言う勇気もない。仕方なく、注文を終わらせた。

だが、僕は希望を捨ててはいない。諦めたらそこで試合終了であり、希望さえあればどんなところにもたどり着けると決心しているのである。

実はこの時既に、ジジイはほとんど食べ終わっていたのである。

ジジイは、何かよく分からない「炊き込みご飯」みたいなものを食べていた。なんでそば屋で炊き込みご飯を食べるのかは理解不能だが、そんなことはどうでもいい。肝心なのは、丼の1割ほどしか残っていないということだ。やったぞ、と僕は思った。

店内はそこそこ混んでいる。そばが出てくるまでには時間がかかる。ジジイはそれまでに食べ終わって、退店するに違いない。

そうすれば、ホームレス体臭とは無縁の状態で、僕は新そばの芳醇な香りを楽しむことができる。完璧だ。一度は霧散したかと思われた新そばの香りを味わう計画は、不死鳥のごとく蘇った。

ジジイ、なるべく早く帰ってくれ。そば、なるべく遅く出てきてくれ

僕はスマホを触ってはいるが、画面の情報は全く頭に入ってこない。ただジジイのペースだけが気になる。ジジイの食事の進捗をこれほど気にすることはもうないと思う。こんなに好きな人に出会う夏は二度とない。こんなに食事が気になるジジイに出会う秋も二度とない

そういうワケで、しばらくジジイの食事を観察していたのだが、こいつはとにかく食うのが遅い。1秒間に米一粒とかそういうペース。スズメとかの方が多分早い。

「ねえ、秒速1粒なんだって」

「えっ、なに?」

「ジジイの炊き込みご飯を食べるスピード、秒速1粒」

とかそういうやり取りが出てくるくらい遅い。いや、このくだり前回もやったなごめん。


遅々として進まないジジイの食事だが、それでもようやく丼がほぼカラになった。よかった。とうとう終わりそうだ。

そんなタイミングで、僕のそばも運ばれてきた。できればジジイが立ち去ってから出てきて欲しかったが、まあ仕方ない。

そばが伸びてしまっては元も子もないので、食べ始めた。

さすが名店のこだわりのそばだ。ツルッとした食感が気持ちいい。まろやかなつけ汁の旨味成分は穏やかに舌の上で花開き、麺は小気味よく噛み切れる。

そして、鼻を抜ける新そばの香り……からのホームレス体臭

すごい知見を得た。ホームレス体臭ジジイの横で新そばを食べると、ホームレスが途中でフェードインしてくる

そばをすする瞬間は一心不乱とでもいうべき感覚で、ホームレスのことを忘れられる。だがそれは一瞬の輝きに過ぎない。ホームレスはすぐに追い上げてきて、新そばの香りを抜き去っていく。全盛期のイアン・ソープのような、あるいはディープインパクトのような追い上げである。

やはり、僕の判断は正しかった。新そばをちゃんと味わえるのはジジイが立ち去ってからだ。

新そばの能力(ちから)を100%引き出せる「絶対時間(エンペラータイム)」は、ジジイが立ち去ることで発動するのだ。

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(「HUNTER×HUNTER」より引用)


僕は、ジジイの丼を見た。目を見開いて注視した。多分目は緋色に充血していたと思う。

すると、とうとうジジイの丼からは米が消えた。やった。スズメの速度で食べるジジイも、いつかは食べ終わるのだ。感動すらあった。僕の”絶対時間”が始まる。そばはまだほんの1割しか食べてない。ほとんどのそばを”絶対時間”で味わえる。喜びに震えた。

しかし、この後のジジイの行動に、僕は戦慄することになる。


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