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話の面白さを決める「逆説選好性」と、全く面白くない一本の動画について


大学生一年生の秋、パラドックスにハマった


普通の大学生がテニスだのダーツだのにハマっている時、僕はパラドックスにハマっていた。そんなことばかりやっているから、こんな因果な商売をするハメになってしまったのだろう。来世ではインカレサークルに入ってダーツにハマろうと思う


論理学におけるパラドックスとは、「一見正しそうに見える論理なのに、変な結論が出る」というヤツである。

一番有名なのはアキレスと亀のパラドックスだろう。こんな感じのヤツ。

・アキレス(足が速い英雄)と亀が100m走をする。

・亀はハンデをもらって、アキレスより50m前からスタートする

・アキレスは亀より圧倒的に足が速い。アキレスが50m地点(亀のスタート地点)に来た時、亀はまだ10mしか進んでおらず、60m地点にいる。

・アキレスが60m地点まで来たとき、亀は62m地点にいる。

・アキレスが62m地点まで来たとき、亀は62.4m地点にいる。

・これを無限に繰り返しても、アキレスはいつまでも亀に追いつかない

・つまり、アキレスは亀を追い越せない(?)


言うまでもなく、結論は正しくない。しかし、確かに「どこがおかしいのか」を説明するのはちょっと難しそうだ。

だけど、高校レベルの数学リテラシーがちょっとあれば説明できる。ここで計算している無限等比級数の和は100に満たないから、この操作は100m走全体を考えるのに失敗しているのだ。


アキレスと亀のパラドックスはあまりにも有名なのであんまり面白くないけれど、めちゃくちゃ面白いものもたくさんある。

大学生の頃、僕のお気に入りは「ヘンペルのカラス」だった。こういうヤツ。


・「①全てのカラスは黒い」という命題を証明したい。

・「AならばB」と「BでなければAでない」は論理的に同値(対偶)

・ということは、「①全てのカラスは黒い」と「②黒くないものはカラスではない」は同値

・①を証明することと②を証明することも同値

・したがって、②を証明するために「黒くないもの」を調べてもいい

・つまり、カラスを一切調べず、「赤いリンゴ」とかを調べることで①を証明できる(?)


とても楽しいパラドックスだと思う。結論は明らかに直観に反しているが、論証は正しい。この矛盾にワクワクする。

あと、高校数学で無味乾燥に憶えた「対偶」が、こんな楽しい問題に生まれ変わるんだ!という伏線回収的な喜びもある。


そんな喜びやワクワクに魅入られて、僕はパラドックスにドハマリした。一見正しい論証のどこに問題があるかを考える作業は楽しかったし、それによって知的好奇心が満たされた。大学の学業そっちのけでパラドックスについて考えたせいで、単位を落とした

知的好奇心が旺盛すぎるせいで、逆に単位を落としてしまう。不思議な現象だ。これが俗に言う単位取得のパラドックスである。



僕がパラドックスにハマったきっかけは、この本だった。

大学の生協書店に平積みにされていたのでなんとなく買って、面白くて一気に読んだ。「ヘンペルのカラス」のこともこの本で知ったはずだ。

めっちゃ軽くて楽しい本だ。論理学に限らず、哲学とか統計とか、挙げ句の果てに法律上の問題とかも収録されている。厳密にはパラドックスと言えないものもたくさん入っているが、雑食にパラドックスを味わいたい人にピッタリだと思う。


学生時代のパラドックスブームはしばらく続いた。この『論理パラドクス』シリーズは気に入って全部読み、他にもあれこれパラドックスが出てくる本を読み、最終的に論理学の本を読み始めた。ウィトゲンシュタインの入門書などもアレコレ読み終わり、「そろそろちゃんと本物を読みますか~」と思って『論理哲学論考』を読み始めたあたりでブームは終わった。いや、難解だから投げ出したワケではないブームが終わっただけだ。

僕の中のブームはたいてい入門書を読んでいる時がピークで、難解な原典を読んでいる時に終わることが多いのだが、難解だから投げ出しているワケではない。ブームが偶然その時に終わるだけだ。偶然とは、まっこと不思議なものである。



ところで、パラドックスを日本語にするとき、最も一般的なのは「逆説」だ。だけど、必ずしも「パラドックス=逆説」ではない。

論理学的なパラドックスの定義は、先に述べたように「一見正しそうなのに、結論は変に見える」というものだ。

一方、日本語の「逆説」はもうちょっと広い意味で使える。「一見正しくなさそうなのに、実は正しい話」とかにも使える。


僕が好きなのは、パラドックスに限らず、「逆説」全般なのだと思う。本を読むにせよ、人と話すにせよ、一番面白いのは意外性のある話が出てきたときだ。「えっ!?それ逆じゃないの!?」と口からこぼれるとき、一番胸が高鳴る。


『ビジョナリー・カンパニー』という有名な本がある。

とても有名な名著だし、いかにも王道という感じのタイトルなので、「王道の良さげな主張が書いてあるんだろうなぁ~」と思って油断して読んだ。そしたら度肝を抜かれた。

本の主題である「会社のビジョン(基本理念)」について、この上なく逆説的なことが書いてあったからだ。


それが、「基本理念の内容は重要ではない」ということだ。

結論を言うと、重要な問題は、企業が「正しい」基本理念や「好ましい」基本理念を持っているかどうかではなく、企業が、好ましいにせよ、好ましくないにせよ、基本理念を持っており、社員の指針となり、活力を与えているかどうかである

ジムコリンズ;ジェリーポラス.ビジョナリー・カンパニー時代を超える生存の原則(Kindleの位置No.1707-1710)..Kindle版.


僕はこの部分を読んで心が震えた。まさに素晴らしい逆説だったからだ。

誰だって「会社の基本理念は内容が重要」だと信じている。しかし本書は「内容はどうでもよく、強く信じているかどうかが全てだ」と主張する。最高にエキサイティングだ。


……とまあこういった形で、逆説は面白い。僕は逆説が書いてある本が好きだし、逆説を喋る人が好きだ。

極めて乱暴に言うと、面白い話は大なり小なり逆説を孕んでいるし、逆説が全くない話は面白くないと思う。


そんなことを最近はずっと考えていて、「そうか、だから旅人コミュニティはつまらないんだ」と一人で合点がいった。


旅人コミュニティと逆説選好性

この記事でも書いたけれど、旅人コミュニティの書く文章や喋る話はしばしば「面白くないな~」と感じる。


その原因は大体において「当たり前の内容ばかり書いている」ということに収束する。世界一周したのに引きこもりでも書ける文章ばかり書いている、そういう人はザラにいる。


なぜそんなことになるのか。一つの仮説として、逆説選好性(Paradox Preference)という概念を提唱したい。略してPP

旅人コミュニティの人たちは、逆説選好性(PP)が低いのではないだろうか


どういうことなのか。以下、この仮説の根拠になりうる一本の動画を示しながら論じてみたい。

この動画はとても興味深い。上手くやればめちゃくちゃ面白くなりそうなのに、逆説選好性が低いせいで全然面白くなくなっているという、珍しい一本だ。

「料理に失敗した」という表現がピッタリだと思う。青森県大間の港で水揚げされた最高のクロマグロを使ったキャットフードみたいな感じ。素材は良かったのにな~。逆説選好性が高い人が料理すればよかったのにな~、と強く思える。


ということで、以下その動画が出るので、ここからは有料になる。

単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。いつ入っても今月書かれた記事は全部読めるので、月の途中で入っても損はしない。5月は5本更新なのでバラバラに買うより3倍オトク。旅人コミュニティの人が作ってしまったクロマグロキャットフードに興味がある人には特にオススメ。


それでは早速、実例に入ろう。


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