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群盲が象を評するインターネットについて。あと天才万博に行ってみた感想。
こんな連続ツイートをした。
先日、21歳の大学生と知り合ったのだけれど、彼に対する僕の印象は「会話がヘタだなぁ…」だった。
— 堀元 見@企画屋 (@kenhori2) January 7, 2020
頭も悪くないし良いやつそうなんだけど、とにかく会話がヘタ。僕を含めて3名で会話していたのだけど、彼に発言のターンが回る度になんとなく変な感じになった
僕は何が悪いのかを分析してみた(続く
結論から言えば、彼は「全ての質問にちゃんと答えようとしていた」。マジメなのだ。
— 堀元 見@企画屋 (@kenhori2) January 7, 2020
典型的なのは、こんな場面。
Aさん「オレ、こないだ断食したんだよね」
— 堀元 見@企画屋 (@kenhori2) January 7, 2020
ヘタな彼「へえ、そうなんですね」
Aさん「そしたらビックリしたんだけどさ、断食終わって食べたお粥が超甘いの。お粥が甘いってはっきり感じたことある?」
ヘタな彼「えっと…どうだろう…なくはないかな…いや…」
あなたは何がおかしいか分かりますか?
今回のAさんの質問「お粥甘いって感じたことある?」は、形式上”質問”だけど、実際には質問ではない。
— 堀元 見@企画屋 (@kenhori2) January 7, 2020
あくまで、話を円滑にすすめるためのステップに過ぎない。事実はどうでもよく、「ないです!」と即答するのが正解だ。
僕はこういうやりとりを「プロトコル通信のための会話」と呼んでいる。
世界には「内容を楽しむための会話」と「プロトコル通信のための会話」がある。
— 堀元 見@企画屋 (@kenhori2) January 7, 2020
内容を楽しむための会話なら発言内容を吟味するのがいいんだけど、プロトコル通信のための会話はそうではない。「私はあなたと意思疎通できますよ」という表現なのだ。だから、決まった回答をテンポよく出すことが必要。
すると、結構たくさんの反感を買ったらしく、批判がいっぱい来た。
間違っている。これが正解だと断定する人間を駆逐することを喜びとして生きる。ただのお約束を共有する人間とだけ話すことが正しいとする弱さを否定する。
— ∀x(すべて)に完全な通貨の機能を与える (@koyakei) January 8, 2020
そういう答えが暗黙の了解で決まってる会話を好む奴の話が一番つまんない(断固 https://t.co/aUN3Zmt2i3
— 粘着ももたん@マゴメ野生生活110円 (@UraneeTokyo) January 12, 2020
ないです!って即答するの
— 🎀プロの重度知的+自閉症🎀 (@tapitapi0429) January 12, 2020
どこが正解なんだ笑
いやもう、一人で喋っとけよ。
会話とは…? https://t.co/nHqdz1TD4b
「会話に正解を求めるな!そんなヤツの話は面白くない!」みたいな内容の批判なんだけど、言ってるヤツがもれなく全員話が面白くなさそうなのが味わい深い。「こいつと喋りたくない」って言われてるけど、僕もこのリプライを飛ばしてくる人と一生喋りたくないので、思いは一致してることになるね。よかった。今日も世界は平和だ。
というか、この批判は見当違いである。上記の連続ツイートにおける僕の論旨は
・会話は大別して2種類。「内容を楽しむ会話」と「プロトコル通信会話」があるよ
・前者のときは内容を熟考するのがいいけど、後者のときはテンポよく求められた回答をするといいよ
という話である。
しかし、批判のほとんどは「そんなテンプレ会話は楽しくない!」だった。頭が悪すぎる。「内容を楽しむ会話」のときは考えて喋れっつてんだろうがよ。
さて、今日もインターネットは平常運転。見当違いの批判が飛び交う平和な世界なワケだが、僕はこの様子を見ながら「群盲象を評す」という言葉を思い出していた。
(「群盲象を評す」を題材に描かれた英一蝶の浮世絵)
「群盲象を評す」はインド発祥の寓話である。大体こういう話だ。
6人の盲人が、ゾウに触れながら「今触っているものは何か」という話をする。
しかし、6人はそれぞれ別の場所を触っているので、話は全く噛み合わない。足を触った盲人は「柱のようだ」と答え、耳を触った盲人は「扇のようだ」と答え、牙を触った盲人は「パイプのようだ」…6人はてんでバラバラの答えを出す。
それぞれの盲人は、他の盲人に対して「お前はバカか。これのどこがパイプなんだ。俺が正しい。これは柱だ」などと主張して、大いに対立する。
最後に、目が見える人が彼らに伝える。
「あなた方は皆、正しい。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方がゾウの異なる部分を触っているからです。ゾウは、あなた方の言う特徴を、全て備えているのです」と。
実に示唆に富んだ話だ。中学校の国語だか道徳だかの教科書で読んで以来、僕はこの話を度々思い出す。
最近では特に、インターネット上の言論を見て思い出すことが多くなった。
敷居がゼロで誰でも言論人ぶれるインターネットは、地獄だ。冷静に全体像を捉えることができる、目が見える人は少ない。Twitterには盲人ばかりが渦巻いている。
群盲はいつも、自分の触っているごく一部を切り取って怒ったり批判したりしている。「カルロス・ゴーン、海外逃亡」という見出しを見ては「逃げるなんてけしからん!!」と怒り、SNSを使ったイジメを見て「子どもにスマホを持たせるな!!」と怒る。
そういうインターネットの地獄性はまあ嫌いじゃないのだけれど、僕はそうはなりたくないな、と強く感じる。
何かを論じるときは盲人にならないようにしたい、全体を見渡せる賢明な目明きでありたい、と思うばかりである。
……さて、そんな話をした直後、舌の根も乾かぬうちに恐縮なのだけれど、今日の有料noteはもしかしたら盲人としての話になるかもしれない。
「天才万博」における僕の盲人性
去る2019年の年末、僕は天才万博というイベントに行った。
キングコング西野さんとか、ホームレス小谷さんとか、その界隈まっしぐらのイベントである。
界隈をよく知らない人のために、簡単に解説をしよう。知ってる人は読み飛ばして構わない。
・キングコング西野さん…お笑い芸人でありながら、日本最大のオンラインサロン「西野亮廣エンタメ研究所」を運営。インターネットで一部の層にカリスマ的人気を誇る。独自の現代ビジネス論がウリで、特に「顧客を商品づくりに参加させろ。そうすれば絶対に商品は売れる(思い入れがあるから)」という理論をよく展開している。まさにオンラインサロン運営の申し子。
・ホームレス小谷さん…お金も家も持たずに、人の縁だけで生きるホームレス。キングコング西野さんに「こんな面白い事例があるんすよ」と紹介されまくった結果一躍有名になった。めっちゃ良い人らしい。ホームレス小谷さんの評判を聞くと「めっちゃ良い人」と返ってくることが多い。特に面白いことを言っているのは見たことがないが、めっちゃ良い人らしい。
・天才万博…ホームレス小谷さん主催の音楽フェス。最大の特徴は「ホームレス小谷さんがチケットを手売りする」こと。出演者は毎年直前にしか公表されない。だから普通のフェスと違って「ホームレス小谷さんが好きな人」が集まってくる。客はほとんど皆作り手に回っている。皆で作って皆で楽しむので、当日は「本番というよりも打ち上げに近い」らしい。前述のキングコング西野さんの思想「客を作り手にする」を体現していると言えよう。ちなみに、「チケットを手売りする」のが最大のウリなのにBASEで普通にチケット買えるのを知って僕は爆笑した。
以上、解説終わり。無料部分だからなるべくバカにしないように努めて解説したぞ。僕エラい。ちょっと漏れ出しちゃったけど。
さて、僕はこのキングコング西野さん界隈をどう思っているかというと、「西野さんはまあすごいし面白いんだけど、周りをチョロチョロしてるヤツは光に集まってくる虫」だと思っている。
その辺についてはこのオンラインサロン記事に詳しく書いたので、興味がある方は参照されたい。(全文無料である)
ともあれそういうワケで、天才万博についても特段の興味は持っていなかったのだけれど、突然行くことになった。「天才万博行こうぜ」と恩師に誘われたからである。学生時代の僕に仕事のいろはを教えてくれたり、事業にお金を出してもらったりしたことがある彼の言うことは、火中の栗を拾え程度の命令ならば僕は即断で快諾する。「Yes, sir!」と威勢よく答え、当日を迎えた。
で、フェス当日。ガッツリ3時間会場の空気を味わった僕は「ああ~!バカにしてぇ~!」という気持ちでいっぱいだった。
それならば、バカにしない選択肢は僕にはない。有料マガジンを書こう。「バカにしたい」と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!
(ジョジョの奇妙な冒険第5部より引用)
ただし、これはあまりフェアな文章ではない。
前述の通り、天才万博は「ホームレス小谷さんのことが好きな人だけが集まる場所」であり、「観客は作り手として楽しむ場所」だ。
僕はホームレス小谷さんのことを特別に好いてはいないし、ましてやフェスに作り手として関わってもいない。つまり客としての要件を満たしていないのだ。招かれざる客、紛れ込んでしまった異物、そういうものなのである。
だからまあ、これは目が見えない中で象を触っている盲人と同じだ。僕は象の一部しか触ることができない。作り手として事前準備からガッツリのめり込んでいる人が触れている部分を、僕は想像することしかできない。
「小谷さん西野さん大好きぃ!このサロンが生きがい!」みたいな人の気持ちは一生分からないし決して分かりたくもないが、ともかくそういう人はそういう人なりの象の部位に触れているのだろう。
そんなワケで、以下、まあ盲人としてはこんな風に感じましたよということを書いていく。いや、全貌が見えてる人はどうか分かんないですけどね、僕がちょっと触った限りではこういうところが最高に気持ち悪かったですよとか、こういう痛々しいヤツがいましたよとか、そんな話をしていく。
ということで、ここから有料である。恐らく2020年1月時点で、地球で唯一の「天才万博」についての批判的なレポートになる。
インターネットには「天才万博最高だった!」「ここは戦争から一番遠い場所だ」みたいな感想しか落ちていない。そりゃそうだ。味方・作り手だけを集めるというイベントの趣旨からして、批判が発生するほうがおかしい。僕もそのことを承知していて「バカにするの申し訳ねえな」と思っているから長々と盲人の話をした。
まあ、このマガジンにアクセスしてる時点であなたも一生僕と同じ象のパーツしか触れないタイプだと思うので、そういう人に向けた文章ということでよろしくお願いします。
記事の単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)の方がオススメだ。今月の4本分の記事が全部読めるよ。
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