10万人を犠牲にした「魔女狩り本」と、現代日本で魔女裁判にかけられた話。あと、クラーメル孔明ジジイ。
ぎっくり腰をやってしまった。
大変ツラかったので、ぎっくり腰の治療法や今後に向けた予防法を調べていたら、面白豆知識にたどり着いた。「ぎっくり腰」はドイツ語だと「魔女の一撃」という意味の言葉で呼ばれるらしい。
ドイツ語でぎっくり腰を表す単語は"Hexenschuß"(ヘクセンシュス)だ。"Hexen"が「魔女の」という意味で、"schuß”は英語の"shot"に対応している。したがって、"Hexenschuß"は「魔女の一撃」ということになる。魔女に襲われたような突然の痛みだからだそうだ。
お察しの通り、この表現は中世ドイツで生まれた。中世ヨーロッパの人、大体の問題を魔女のせいにしがち。
「魔女の一撃」という表現は少なくとも15世紀には誕生しており、1490年にはこんな版画も描かれている。
(Druck von Johann Zainer - Druck um 1490より。どうでもいいけどこの魔女の顔、ヅラを被ったオッサンにしか見えない)
疫病のような一大事が魔女のせいにされていた理由は、理解できる。当時の人類は病原菌についての知識が全くなかった。人類が病原菌の発見に成功し、「病気は細菌によって引き起こされる」という極めて素朴な知識にたどり着くのは1876年のことである。中世には疫病の治療法はおろか、原因の仮説すら存在しなかった。
したがって、中世における疫病の大流行は「バタバタと人が死ぬ非常事態なのに、何をすればいいのか分からない」というあまりにも絶望的な事態である。
家族や友人が次々に死んでいく中、「原因不明だからじっと耐えるしかない」という理性的な決断ができる人間はそう多くない。ほとんどの人はでっち上げでもいいから理由を求めるし、気休めでもいいから対策を講じたいと考えるだろう。人間は何もしないでいるのが苦手な生物だ。
そこで都合のいいのが「魔女」である。「これは魔女のせい」と言っておけば、全ての原因がすぐ分かる。面倒な解明作業をしなくていいのだ。
そう、人間とは実に業が深い生物だ。何もしないでいるのは嫌なのに、真理を探り出す解明作業も面倒だから嫌なのである。
だから、「魔女のせい」という簡単な解決は、古今東西/老若男女を問わず、ニーズを保ち続けている。
(アニメ『妖怪ウォッチ』より引用)
日本ではせいぜい、魔女狩りっぽいアニメが子どもたちに大人気になる程度だが、他の国では未だに悲惨なニュースが流れている。
例えばインドでは、2016年に「魔術を使った」という理由で殺された人が134人いるらしい。すごい世界観だ。さっき「中世では」って書いたけど、バリバリ現役じゃん。現代でも魔女狩り行われてんじゃん。
Twitterとかで理不尽に攻撃されてる人が「これは現代の魔女狩りだ!」なんて言ったりするけど、喩え話じゃない方の「現代の魔女狩り」がインドにはまだあるんだね。
……っていうか、魔女狩りの犠牲者、インドの公式調査だけで134人ってことは、アジアやアフリカの他の国の被害者も合わせたらとんでもない数になるんじゃないだろうか。
全部で何人なのか気になるところだ。「ウォッチ!今何人?」と思わずにはいられない。
(『ようかい体操第一』より引用)
魔女狩りの便利さと、旧約聖書のお墨付き
魔女狩りは「原因が分からないストレス」を消し去り、それと同時に対策を講じることを可能にする。魔女を殺してしまえばいい。
「疫病に翻弄されうろたえるだけの時間」を「魔女を殺す時間」に変えることができるのだ。人間はやることがあった方が安心できるので、魔女狩りは精神安定剤の役割を果たす。
しかも、魔女を殺すことに関しては、旧約聖書のお墨付きもある。
「魔法使の女は、これを生かしておいてはならない」
(『出エジプト記』22.18)
「原因が分からない」「対策が講じられない」という二大ストレスを一気に解消し、しかも「聖書の通りに行動した」という信仰心の充足までも行うことができる魔女狩りは、実に素晴らしい精神安定剤である。中世ヨーロッパの人(あるいは、現代のインド農村部の人)にとって極めて合理的な行動だったに違いない。
だからってぎっくり腰まで…
そういうワケで、疫病が「魔女のせい」にされていたのはよく理解できるのだけれど、ぎっくり腰が魔女のせいにされていたのは驚きだった。
ぎっくり腰は疫病なんかと違って人が死ぬわけでもないし、「原因が分からない」ストレスは耐えられそうなものだ。なんで魔女のせいになってしまったんだろう。
その答えのヒントは恐らく、魔女狩り関連書物の中で最も有名な本『魔女に与える鉄槌』の中にある。
(『魔女に与える鉄槌』の表紙)
この本、初版が出たのは1486年だ。ヅラを被ったオッサンの版画とほぼ同時期に出ている。やはりこの時代は魔女狩りがとてもホットな時代だったのだろう。
さて、『魔女に与える鉄槌』は少なくとも34版まで増刷され、フランス語・ドイツ語・イタリア語・英語で発売された大ベストセラーである。当時の異端審問官は必ずといっていいほどこの本を持ち歩いていたらしい。
内容も非常に網羅的で、
・まずここから!魔女を見つけ出すための方法は?
・魔女を見つけたら拷問しよう!効果的な拷問方法!
・自白させたら処刑だね!初心者でもできる、正しい処刑のやり方☆
みたいな感じだったそうだ。まさに駆け出し異端審問官からベテラン異端審問官まで誰もが持ち歩くバイブルである。
多分、法学部生にとっての『六法全書』、経済学部生にとっての『マンキュー経済学』みたいなものなのだろう。魔女狩り学部に入ったら1年生の時に買わされるはずだ。
新入生みんな、文句言いながら渋々買うだろう。「分厚いな~!重っ!!」って言うだろう。「6000円もするのかよ!?飲み会2回分じゃん!!」って言うだろう。「オレ、先輩からもらっちゃった~☆」っていうちゃっかりしたヤツもいるかもしれない。先輩のヤツをもらうと書き込みがめっちゃ役に立ったりするんだよね。「火あぶりの手順はテストに出る!」とか書き込んであってめっちゃ役に立ったりする。
でも、先輩のヤツは版が古くて微妙に内容違って苦しんだりもするんだよね。
「えっ!?拷問の時に刺すものは木の棒だろ!?」
「それ昔の話だよ。今はもう鉄の棒を使うって教科書に書いてあったじゃん」
「マジか~!オレの教科書古いせいだわ……」
とかそういうこともある。先輩の教科書をもらう時は版が変わってないかどうかチェックするのがすごく大事だ。
あと、『魔女に与える鉄槌』はちょっと長いので、学生からは「まじょてつ」って呼ばれるだろう。
「今度のテスト、まじょてつ持ち込み可らしいぜ」
「おっ、やった!じゃあノー勉でもイケるんじゃね?」
「いや、イケないっしょ。まじょてつ2000ページ以上あるんだぞ。どこに何が書いてあるか探してるだけで時間なくなるよ」
「そっか~。じゃあやっぱ勉強していかないとダメだな。今日一緒にやる?ちょうどまじょてつ持ってるし」
とか、そういう感じのやり取りが行われるだろう。
で、こんな風にユルく勉強してた2人も、いずれ魔女狩り学部4年生になり、進路に悩むときがくるのだろう。こんな会話も交わされるかもしれない。
「なあ、もう進路決めた?」
「う~ん、オレやっぱり就職しようかなと思ってる。お前は?」
「オレは……やっぱり異端審問官かな。そのつもりで受験勉強がんばって名門に来たんだし」
「でもさ、異端審問官登用試験に一発で合格する自信あるか?合格率20%台だぞ…?」
「そうだよなぁ……。オレもそんなに成績優秀ってワケじゃないし」
「だろ?しかも、最近は異端審問官になってもそれで一生安泰ってワケじゃないぜ。40歳を過ぎてもイソイタ(居候異端審問官の意。人の事務所で勉強しながら独立を目指す異端審問官のこと)で、低収入の人も増えてるってよ」
「らしいね。まあ、魔女の数も無限じゃないからねえ。アメリカにならって制度改革だって言って、異端審問官を急速に増やしすぎたんじゃないのか」
「そうなんだよ。だから、このご時世に異端審問官になるのはコスパ悪すぎるよ……」
「そうかもしれないな」
「なあ、それよりさ……」
「ん?」
「一緒に、起業しねえ?」
「えっ!?起業??」
「うん。起業。今オレ、プログラミングスクールに通ってるんだ。アプリ作って一発当てようと思って」
「アプリって……何のアプリ作るんだよ?」
「魔女狩りをもっと身近にするアプリ。自分の村に潜んでる魔女を誰でも簡単に発見したり、オンラインで気軽に魔女裁判をできるようにするの」
「お前……そんなこと……できるワケないだろ!?」
「確かにそうかもしれない。でもさ、考えてみろよ。今は複雑で大変で専門知識が必要な魔女狩りが、スマホ1つでできるようになったら……そしたら、世界が変わると思わないか?」
「………それ、すげえな」
「だろ?オレさ、お前とならやれる気がするんだよね。すげえ面白い会社作れる気がする」
「……よし、やるか!」
「そう言ってくれると思ってたよ!!よし、一緒に魔女テックで世界を変えるぞ!!」
「おう!!」
こうして彼らは後に「00年代で最も成功したベンチャー」と呼ばれ、魔女狩り界を象徴する存在になったとかなんとか……。
…
……僕は長々と何を書いてるんでしょうか。魔女テックって何???
”まじょてつ”はヘイトに溢れた本だった
自分でもビックリするくらい話が逸れてしまったので元に戻そう。
『魔女に与える鉄槌』は、かなり個人的なヘイトが籠もった本のようだ。
というのも、著者であるクラーメルはだいぶヤバめの人で、彼の異端審問はめちゃくちゃだったらしい。被疑者を自白させるために脅迫や暴力もバリバリ使うし、記録の歪曲なんかもやったそうだ。しかも、そのせいでクビになったらしい。
すごい。自分がクビになるリスクを犯してまで魔女を狩りたいってどういう心理状態なんだろう。
「あいつをどうしても魔女に仕立て上げて狩りてぇ~!そうだ!証拠をでっち上げよう!クビになっても構わないから!」ってこと?すげえな。どんだけ魔女狩りしたいんだ。さすが難関の異端審問官登用試験をパスしただけあるな。こいつの情熱があれば魔女テックで世界を変えられるかもしれない。
ということで、僕は、著者・クラーメルの魔女狩りへの情熱に舌を巻きつつ、ぎっくり腰が「魔女の一撃」と言われる由縁も分かった気がした。クラーメルほど魔女狩りへの執念がある人は何があっても「とにかく魔女が悪い!!」と言うだろう。疫病とか不作はもちろん、シャンプーの詰替を買い忘れていてわずかなシャンプーを薄めて使うことになった時も魔女のせいにするだろうし、家にあるイヤホンが3個連続ですぐ壊れた時も魔女のせいにするだろう。もちろん、ぎっくり腰の時も。
多分、「魔女の一撃」以外にも「魔女のシャンプー」とかそういう言葉も生み出していると思う。だって、クラーメルの執念すごすぎるもん。魔女用語いっぱい作ってるに違いない。
僕はそんなことを考えながら、クラーメルの魔女狩りへの情熱に思いを馳せた。そして、どうしてこれほどまでに強い魔女へのヘイトが生まれたのを調べてみたのだが……どうもちょっと様子がおかしい。
「魔女へのヘイト」というよりも…
これを見て欲しい。『魔女へ与える鉄槌』の中には、こんな一節がある。
女はその迷信、欲情、欺瞞、軽薄さにおいてはるかに男をしのいでおり、体力の無さを悪魔と結託することで補い、復讐を遂げる。妖術に頼り、執念深いみだらな欲情を満足させようとするのだ。
三崎律日.『奇書の世界史-歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』(Kindleの位置No.236-238)
「魔女」というか、「女性」へのヘイトがすごいのだ。
どうやら、クラーメルのヘイトの対象は魔女というよりも、「女性」らしい。
ちなみに、「魔女狩り」と呼んではいるものの、中世におけるターゲットは男女両方だった。悪い魔術を使っているとされる人たちが迫害されたり処刑されたりしたのであって、特に対象を女性に限定するものではない。
だが、クラーメルはどうやら女性が嫌いだったらしく、女性についての記述が大量に出てくる。前述の通り、この本は魔女狩り界における大ベストセラーであり、魔「女」狩りという言葉のイメージが定着したのはこの本が由来という説もある。クラーメルの女性嫌いのせいで、「魔女狩り」という言葉が生まれたのかもしれないし、女性が余計にたくさん犠牲になったのかもしれない。
モテない男の八つ当たりなのでは
ところで、このクラーメルのムーブ、どこかで見覚えがないだろうか。
僕はめちゃくちゃある。インターネットでこういう人を2万人くらい見たことがある。
それは、マジで全くモテない男性だ。彼らは絶望的にモテたいのに絶望的にモテないゆえに、あまりにも解決不能な葛藤を抱え込んでしまう。
そんなどうしようもない葛藤を抱えた時、人は自分を守るために認知の歪みを生み出す。フロイトのいう「防衛機制」である。
ここでは防衛機制の種類について細かくは語らないが、よく知られている防衛機制を一つ紹介しよう。「合理化」だ。いわゆる「すっぱいブドウ」の話である。
(Milo Winter - Illustration from The Æsop for Children, by Æsop. Project Gutenberg etext 19994 )
キツネがブドウを取ろうとしたが、高くて取れない。諦めたキツネはこう考える。「あのブドウはどうせ酸っぱいんだ」と。
これが合理化である。「欲しいけれど手に入らない」というツラい状態から心を守るために、「アレは価値がない」と自分を納得させるワケである。
インターネットで散見される「女性叩き」の大半はこの合理化であると思われる。
Twitterで「女は○○」って言ってる人のツイートを遡るとほぼ100%コンプレックスの塊みたいなツイート群が出てくる。あと、98%前澤友作をリツイートしてる。
個人的なヘイトが10万人を犠牲にした
魔女狩りの犠牲者は10万人という推定がある。ただ単に女性を叩きたかったクラーメルがヘイトで書き上げた本が10万人の犠牲者を生んだと考えると、実に趣深い。
Twitterで女性叩きをしているフォロワー8人くらいのアカウントは地獄以外の何物でもないのだが、クラーメルくらいまで行くと「一周まわって素晴らしい」みたいな気持ちになる。いや、絶対素晴らしくはないんだけど、「そこまで貫き通せれば立派だよ」みたいな気持ちになるのだ。ブラボー!と叫びたくなってしまう。
(『武装錬金』3巻 より引用)
自分がクビになるリスクを犯してまで魔女を狩ろうとしたクラーメルの信念には、たしかに「偽りなどは何一つない!!」と言えそうだ。それが善でも、悪でも。
Twitterで女性叩きをしている地獄アカウントはぜひクラーメルを見習って10万人の犠牲者を出すまで貫き通していただくか、もしくは「あ、オレの信念偽りだった…」と悟って引退していただきたいものだ。
結論ありきの魔女裁判と学級裁判
ここまで見てきたように、クラーメルはかなり偏った思想の持ち主であり、彼が行う異端審問(いわゆる、魔女裁判)は大いに公平性を欠いたものであったことはまず間違いない。魔女はみな、結論ありきで裁かれたのだろう。
現代日本に生まれた僕たちは、この魔女裁判の過酷さを想像することしかできない。
だが、想像の材料は意外とたくさんある。例えば、小学校の学級裁判などが挙げられる。
僕は「子どもの頃に戻りたい」と言っている人の気持ちが1ミリも理解できないし、絶対に小学生の頃には戻りたくないのだが、その最たる理由が小学校の学級裁判である。
「堀元くんがAちゃんを泣かせました。謝るべきだと思います」から始まる不毛な議論、二度とやりたくない。元はと言えばAちゃんが僕の消しゴムを奪ったのが悪く、僕はそれに対して消しゴムを取り返す手段として言葉で反撃をしただけである。暴力も奮っていない。理不尽な略奪に対する正当な防衛手段を行使しただけなのだが、その僕の弁解は受け入れられない。
なぜなら小学生にとって「泣いちゃった人はかわいそうだから正義・泣かせちゃった人は悪」という価値観はかなり強力だからだ。そこに「正しさ」という尺度が持ち込まれることはまず期待できない。
そして大抵の場合、担任教師もフェアな仲裁はしてくれない。「とにかく謝りなさい!」と言い、場合によっては「みんなも堀元くんが悪いと思うよね?はい、そう思う人は手を挙げて」という、バイアスの塊みたいな多数決によって有罪を決定させられてしまう。北朝鮮の選挙かよ。
そして、この北朝鮮の選挙によって大手を振って僕を断罪できるようになったAちゃんは、勝ち誇った顔で僕を見るのだ。「自分が悪いかもしれない」という自省の心は全くなく、ただただ勝者として許された暴力を楽しむのだ。
まったく……これだから女ってヤツは……。女はその迷信、欲情、欺瞞、軽薄さにおいてはるかに男をしのいでいるのだ。
大人になってからの魔女裁判の思い出
さて、やっと本題に入ろう。なんとここまでの前置きが7000文字くらいある。調子に乗って魔女狩り学部のくだりを膨らませすぎてしまったことを少し後悔している。
小学校での魔女裁判は、皆大なり小なり似たような経験があると思う。
だけど、僕はレアな経験を持っている。大人になってから、魔女裁判を受けたことがあるのだ。
しかも、それはかなり中世ヨーロッパで起こったことにかなり近かった。舞台は「とある小さな山奥の村」だ。会社などの組織ですらない。その小さな村で、とあるクラーメルのような人物がばら撒いたヘイトが村人に伝染し、結果として僕が魔女として狩られることになってしまった。
現代日本ではあまり見られない事例だと思うので、面白く読んでいただけると思う。関係者に読まれると大いに困る内容なので以下有料だが、興味のある方はぜひ課金して読んでみて欲しい。タイトルの「クラーメル孔明ジジイ」の意味も、課金すれば分かる(分かっても別に得はしない)。
単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。定期購読すれば今月分の記事は全部読める。7月は4本更新なので、1200円分の記事が500円で読めてオトク。ぜひ定期購読をご検討ください。
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