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究極に「やってる」Vlog探訪。あと新機軸ステルスマーケティング。


「Vlog」という言葉を初めて聞いたのは、4年くらい前だった気がする。

なんだそれはとググってみると、「Video Blogの略で、ブログの動画版」という説明にたどり着いた。

そう言われても「え??どういうこと??動画と文字だと情報密度が全く違うから、文字の方がよくね?」としか思わなかった。


説明を聞いてもサッパリ分からず、しかたなく有名なVlog動画をいくつか見てみることにしたのだが、感想としては「知らんヤツのホームビデオを見せられる罰ゲームみたいだな」だった。当時の僕はVlogという文化の魅力がさっぱり分からなかった。

……っていうか、今でも大体のVlogを見ると「知らんヤツのホームビデオを見せられる罰ゲームだ」と感じる。これは今「Vlog」で検索して上の方に出て来たものだが、数分見てやはり同じことを思った。


知らんヤツのかばんの中身を見せられても興味ないなぁ」としか思えない。

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(引用元:福岡で働くOLの日常vlog


だけど、今の僕は「Vlog=罰ゲーム」とは思っていない。好きなVlogもたくさんある。文化は成熟することによって、否定的だった人間さえも取り込めるようになるものだ。


たとえばこれ。DIY MAGAZINE。

すごく静かで淡々と作業していて、でもテロップのデザインなどがしっかり作り込まれていて、とても好印象だ。

やる気が起こらない時にディスプレイの端っこで流しておくと、彼の淡々とした作業につられて僕も淡々と作業できる。「なるほど。静かなVlogって作業用BGMみたいに使えるんだな」と気づいた。

作業に疲れた時はしばらく彼の作業を見守って、「なるほど。20万円でこんないい感じの壁が自作できるのか~。いつか古民家買ってDIYする時は僕もこれやろう」などと、一生来ることのない未来に思いを馳せる。Vlogは作業用BGMである以上に、休憩中の妄想にいざなってくれる水先案内人でもあるのだ。


変わり種Vlogで言うと、「賭博狂の詩」がすごく良い。

借金まみれの男性が暮らしている様子を淡々としたナレーション付きで届けるVlogだ。

彼は文章力が高いので、ナレーションが叙情性たっぷりで素晴らしい。多重債務者という肩書きを活かした後ろ向きな独白が、他のVlogにはない魅力だ。この日の内容はひたすら働いてひたすら借金を返していくというもの。


次の現場では昼飯を奢ってもらった。

働いていると本当に金を使わない。

使わないのに貯まらない。

そうしていると、金のために働いている気がしない。

「生きるために働く」

この島で一番最先端のこの街で、

自分だけが数百年前に取り残されているみたいだ。


『賭博狂の詩』は、僕の大好きなマンガ『鬱ごはん』に酷似している。淡々とネガティブな独白を続け、そこに異常な郷愁と叙情性がある。


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『鬱ごはん』3巻 より引用)


先週の記事でも書いたが、僕はダウナーな文章が好きだ。ネガティブな人が自分の切り口で世界を捉えた文章は最高に面白い。そして、そういう魅力が『賭博狂の詩』にも『鬱ごはん』にもたっぷりある。

「ブログの動画版」と説明されるとVlogの魅力は全く伝わらないが、「『鬱ごはん』の動画版」と説明されると一発で分かる。Vlogの魅力が分からない過去の僕みたいな人間にはそう説明して『賭博狂の詩』を送ってあげてほしい。


……とまあそんなワケで、かつては「罰ゲームじゃん」などと言っていた僕も、今ではVlog文化に対してかなり理解を示しているのである。


そして、Vlogを愛でるようになると、Vlog全体の文脈が分かるようになってくるし、ひねくれた楽しみ方ができるようになる。

それは、「やってる」Vlogを見つけて楽しむことだ。


「やってる」Vlog探訪

どういうことか?説明のために、in living.という超有名Vloggerの話をしたい。



in living と言えば、日本Vlog界の黒船である。静謐なBGMとナレーション、作り込まれた映像、黒髪ショートのあどけなさが残る美しい女性、穏やかな喋り方とキャラクター、ほどよい生活感がありつつも完璧に調和した家具調度。家庭菜園とペットのカメ。全ての要素が完璧である。

そう、「完璧なVlog」だ。これは形容矛盾にも思われる。

なぜなら、Vlogというのは本来、「ブログの動画版」つまり「素人がありのままの生活を見せていく」ものだった。それが完璧などということはありえない


だけど、in living.は完璧なのだ。やっているのは生活の様子を見せることだけれど、生活からはかけ離れたゴリゴリのクリエイティブの産物だ。

フワフワしたキャラクターも、尋常ならざるVlog映えする家と生活も、カット割りも、語る内容も、完璧なブランディングの上に成り立っている。

到底、「素人が生活を見せるためにカメラを回した」というレベルからはかけ離れているのである。


というのも、in living.にはしっかりしたディレクターがついている。yawnこと末永光氏である。

Vlogをやる上で、ディレクターの存在は大きい。映像から世界観からキャラクター構築まで、ディレクターが入れば徹底的に行える。自分一人でやっているとどうしても甘えが出てしまうところに対して、腕のあるディレクターは確実にNOを出せる。

末永氏もそれをやったに違いない。彼女の生活をヒアリングして、語るべき内容を洗い出し、ムリが出ない範囲で上手にテコ入れして、カット割りを描き、撮影し、編集する。その丁寧で偏執的とも言えるクリエイティブディレクションの結果、in living.という完璧なVlogチャンネルが生まれている。

また、演者の女性も元女優であり、in living.という難しいキャラクターを求められる通りに演じきる実力がある。このVlogは骨の髄までクリエイティブの産物だ。


しかし、in living.は世界観の構築があまりにも完璧すぎて、「いや、それはサスガにやりすぎでは…?」と思うことがある。


たとえば、この動画。



「おでかけの日のモーニングルーティン。」というすごく無難なタイトルなのだが、「おいおいおい、やったな。」と言いたくなる大オチが待っている。

タイトル通り、「おでかけ」前の朝支度をする動画である。シャワーを浴びたり、メイクをしたり。しかし、肝心の「おでかけ」の内容が何なのか、ラストまで明かされない。

僕は「まあ、普通に考えてin living.関連の打ち合わせとかかな?」と考えながら見ていた。動画のタグに「#フリーランス」と入っているし、仕事なのだとばかり思っていた。



だが、衝撃の事実が動画のラスト(8:00)で明かされる。


「今日は、公園で野草を採りにいきます


公園で!!!!野草を!?!?!?!?



なんということだろう。忙しい現代社会、我々が「おでかけ」すると言ったら、「仕事」とか「友だちと会う」とかがまっさきに思い浮かぶはずだが、in living.のおでかけは「公園で野草を採る」なのだ。

彼女は忙しい現代人とは全く違う世界で生きている。現代人よりはコロポックルに近いのだ。コメント欄に「ほんわかした世界で憧れる~!」みたいな文章が並んでいるのは、まさにコロポックル的な世界観を表現できている証左だろう。


だが、「公園で野草を採る」くだりを油断して見ていた僕は爆笑してしまった。「おいおいおい、やったな。」と思った。いくら何でもコロポックルに寄せすぎというか、狙いすぎではないか、と思った。リアリティがあまりにも欠如している。


そう。これがVlogのひねくれた楽しみ方「やってるVlog探訪」である。


in living.はあまりにも完璧な世界観を作っているので、しばしば「やってるなぁ~!」と思うことがある。

上記の「おでかけの日のモーニングルーティン。」の動画だけでも、改めて見直すと気になる箇所がたくさんある。3:15 の「カメの餌を準備するために野菜を切って、余った部分が私の朝ごはんです」のくだりも最初は気にならなかったが、「公園で野草」を見た後だと「やってるなぁ~!」と感じる。

「カメに餌をあげるために野菜を切り、余った部分を自分が食べる女の子」、すごくコロポックル的で憧れるキャラクターである。やってる


ということで、僕はこの楽しみ方に気づいて以来、in living.の大ファンになった。もちろん普通に静謐で美しいVlogとして見るにも楽しいし、やってる場所を見つけるのも楽しい。

言うまでもなく、僕は「やってる」ことを咎めようなどというつもりは毛頭ない。突き詰めれば、この世のエンターテイメントは全て嘘でできている。エンターテイメントは完成度だけが評価基準であるべきだ。

in living.はその基準において他のVlogを圧倒している。あまりにも完成度を高めてしまった結果、「やってる」部分が生じてしまうのも必然だと言えよう。これは王者の宿命なのだ。


天井が、破壊された

in living.の虜になって以来、僕は「これがVlogの完成形だな~」と思い、安心してしまった。「これ以上はもうない」と思ってしまった。素直なVlogの完成度にしても、やってる感にしても、これ以上のものが見られることはないだろうと思っていた。天井を定めてしまった

僕自身も創作に携わるものとして、恥ずべきことである。クリエイティブに天井はない。紀元前5世紀の三大悲劇詩人の時代から「もうコンテンツは完成した」と言われ続けてきた。そして人類は何千年も、「もう完成だ」を破り続けてきた。クリエイティブに天井はない。


そう。僕は昨日、天井を粉々に破壊するVlogを見つけた。

Vlogとしての完成度においても、やってる度においても、in living.とさえ比較にならない

今まで僕が見ていたのは、地上20階の天井だった。60mほどの高さのビルは、ずいぶん高く見えていたから、「これが最高だな」と思いこんでしまった。

だけど、新しく見つけたVlogは、まさしく青空だった。数字で表すことが不可能な、無限の高さがある。「こんなにも広くて美しい空が存在していたのか」と感動でむせび泣きそうだった。ずっと地下で暮らしていた人が初めて地上に出たときは、こんな感じなのかもしれない。


それだけではない。桁外れの「やってる感」と桁外れの完成度、そして一つだけ存在する不自然な点から、前例のない驚異的なステルスマーケティングの可能性にたどり着くことができた。背景にある真相を探る喜び、つまりミステリー的な面白さもある。

いわばこれは「最高完成度のVlog」であり、「やってるVlog探訪の傑作」でもあり、「ノンフィクションのミステリー」でもあるのだ。


ということで、今日はそんな天井破壊Vlog(そして、ステルスマーケティング・ミステリー)について書く。

このマガジンの記事はいつも気合を入れて書いているが、今日の記事はここ半年で一番よく書けたような気がする。いつもは課金していない皆さんも、ぜひ今回のは課金して読んでほしい。多分後悔させないと思う。

なお、単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。8月は5本更新なので、バラバラに買うより3倍オトク。いつ入っても今月書かれた記事は全部読めるよ。



それでは早速見ていこう。扱いたいVlogチャンネルは、こちら……。


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