創造と破壊。存在しない裸の自分。

格闘技を始めて以来、1試合もしなかった2022年。今までいた友達が周りから消えた1年。日本人しかいない暮らしから、日本人がいない暮らし。都会の暮らしから、自然の暮らし。
自分が今まで育ててきたもの、自分が今まで育てられてきたもの。それらと離れた1年。「自分とは」を意識しないことを意識してきた1年。自分への執着を捨て、見るもの触れるもの全てを受け入れようとしてきた1年。積み木崩しのような1年。
創造と破壊。スクラップアンドビルド。言葉はなんでも良い。とにかく今までの自分を壊して、失って、裸の自分に出会ってみたかった。
裸の自分には、まだまだ出会えてない気がする。いや、そんなものは存在してないのかもしれん。裸の自分とは、生まれた時に持ってたものだとすると、運命のことなのかもしれない。だったら、自分は裸の自分なんてない、無色透明な人間だと思う。無色透明な人間だからこそ、何かに出会うたびに突き動かされ、常に形を変えて生きてきたし、生きている。
これじゃなきゃいけないと思い込んでその時々を頑張っている(つもり)だけど、結局は人生を賭ける永遠のテーマを抱えて生きてはいない。どこでも、なんでも、誰とでも生きていける事に、23年生きた世界から飛び出て気づかされた。
色んな環境や条件を越えて湧き出てくるエゴみたいなもの、そこにしか自分が宿っていない気がする。何をするかよりも、どういたいか。アクションよりも、スタンス。
スタンスですら触れるものによって移ろうけれども、スタンスはより色濃く自分が出てしまうものだとも思う。自分を知るとは、スタンスが移ろう理由に、1番敏感でいる事だと思う。
2022年は、裸の自分を持っていない事に気づいた1年だったのかもしれない。来年は全く違う事を言ってるかもしれない。答え合わせは、まだ先だ。

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