高校以来の古代メソポタミア史①:シュメール文明とシュメール民族

高校以来の古代メソポタミア史①:シュメール文明とシュメール民族

 

以前、世界四大文明という用語は世界的にはない(元から中国と日本でしか使っておらず日本では使うのは止めた)と書いた。一方、遺跡から見てメソポタミア文明とエジプト文明が世界最古の文明であることには異論がないと思う。特にメソポタミアは狩猟→遊牧・農耕切替え、集住が文明の始まりという観点で、また、麦や豆類などの穀物、羊・山羊・牛・豚という家畜原産地であることから最古と言える。


参考:

メソポタミアはギリシア語で「複数の川の間」という意味。チグリス川、ユーフラテス川に挟まれているからである。一方、「肥沃な三日月地帯」は両河川内とは限らない。

<メソポタミア地方>

○メソポタミア北部

○メソポタミア南部(バビロニア地方)

  ・アッカド地域

  ・シュメール地域

 

1.シュメール文明(文化)

「歴史はシュメールに始まる」とよく言われる。これはシュメール学者、サミュエル・ノア クレーマーの著書名になっているが、意図するところは文字で書かれたもので最古に発見ているのはシュメール語で書かれたものということだと思う。それより古い時代にメソポタミアで幾つかの文化があったことは知られている(ウバイド文化など)が、文字として残っているものがないからである。また、農耕と牧畜、集住が本格し都市国家が建設されたのはシュメール地方であることは定説になっている。


以下は古代メソポタミアの勢力変遷概要と地図(実際は色々な民族興亡があったので勢力変遷はあくまで概要)である。

https://docs.google.com/presentation/d/1MNBjbviylqH-mtJ9Ksx2SKM8fbU8GuRe/edit?usp=share_link&ouid=100767326769361292922&rtpof=true&sd=true

 

高校で世界史を取った人は、シュメールで楔形文字を発明したこと、60進法を使っていたことは多分知っていると思う。また、ウル、ウルクなどの都市国歌遺跡、ジッグラトもそうかも知れない。尚、ウルもウルクも現イラク南部の内陸部であるが、当時のペルシャ湾はもっと北西まで入り混んでいたのでウルは海に近い地域で海運もあった(上記の

地図参照)。

<ジッグラト>

日乾し煉瓦を用い数階層に組み上げて建てられた巨大な聖塔。各都市固有の守護神を祭るためのもので城郭都市中央にある。ピラミッドと対比されるが、建てる場所も目的も異なる。シッグラト(バビロンのものか?)が「バベルの塔」の原型ではと言われる。

 

調べてみるとシュメール人は民族系統・言語系統不明であるようだ。よく知られているよう古代メソポタミア地方~パレスチナにかけてはアフロ・アジア語族の中のセム語系民族で占められているが(エジプトは同じアフロ・アジア語族のエジプト語。嘗てのハム語という呼称はもうない)、シュメール語はこれらとは異なる。一方、シュメール地方に住んでいた人々はシュメール語とセム語系のアッカド語のバイリンガルだった思われており、文章もシュメール語とアッカド語を併記(アッカド語はシュメールの楔形文字で表現)されたものも多い。シュメール文明は「シュメール地方の文化活動」で、民族としてのシュメール人はいなかったということが『図説古代オリエント辞典(大英博物館番)』に書いてある。

 

楔形文字は商取引のためにできたと言われている。商品・・家畜や麦等の穀類が当初は主体だったと想定される・・と数、例えば牛2頭、を表す絵文字の入った泥の球のようなもの・・トークンという・・が先にありそれが発展したものとされている。

 

飲み物としてはビールが日常的なものとして好まれたようだ。大麦を発芽させた麦芽を焼いて「麦芽パン」を作りそれに水を入れて発酵させて作る方式。漉していないため上に浮かぶ浮遊物を避けるべくストローで飲んでいた模様。「好きなものはビール、嫌なものは戦争」と書いた粘土板文書が残っている。

 

ちょっと面白いのは封印(封泥)するための印鑑が発明されたこと。最初はスタンプ形であったが円筒印章に変わり再度スタンプ形に戻ったようである。円筒印章は円筒の側面に模様を付け、それを粘土の上に転がし押印するもの。英語で印鑑をsealというのは、多分ここから来ているのではないかと思う(後の西洋で手紙に蝋で封印していたのは同じこと)。


 

シュメールでは、職業分化、法制・裁判、会計、度量衡、分銅、冶金、ガラス(当時は有色不透明)、楽器(ハープ、リュート、リラ、シンバル・太鼓など)等現代社会の基礎になる多くものが成立している(日本はまだ縄文時代)。

 

尚、メソポタミアは世界最古の文明の発祥地ながら、土器の発明はBC7000年頃と考えられており世界最古ではない。実際日本の方が古いものが見つかっている。肉やパンは焼きバターやヨーグルトは革袋で作る生活のため、煮炊きする必要がなかったからという推察がある。

 

次回は誰でも名前は知っている「ハンムラビ法典」について書くつもり。

 

写真は全て「古代オリエント博物館」(池袋サンシャイン文化センター)で筆者が撮影したもの。

 

ジッグラトのコンピュータシミュレーションによる復元図




 

楔形文字と文書例





 

印章







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