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自分の今までとこれからを話すトークショーを終えて

11月27日は大阪・十三にあるJUSO Coworkingのちかよさんにお誘いいただいてトークショーをやらせていただきました。

ただ仕事が契約終了になった一般人の今までとこれからの話なのに、3名も話を聞きに来てくださって、また同じフロアでお仕事されてた方も聞いてくださっていて、しかも「挨拶させてください」と名刺いただいたり「元気もらいました」とか言ってもらえてとても嬉しかったです。

仕事やめて2ヶ月…現実もあるけど鬱々とするのはやめた

仕事をやめてからもうすぐ2ヶ月経つんですけれど、41で家族も居るのに、翌月のお金のことを本気で心配しなきゃいけない環境に突入して「本当何してんだろうなぁ…」と自分を責め、「あーやばい。支払日が来る」とか考えると絶望しかない。

そういう時って人にも会いたくなかったりするんですけれど、人に会うと元気をもらえる。

で、人に会ってちょこっと相談したことが数秒で解決しちゃったりすると、「やっぱひとりで鬱々としていてはいけないよなぁ」とすごく思って、そこからは鬱々とするのをやめました。

不安と閉塞感しかない世の中を打破していくのは、湧き上がる気持ちや想いだけだと思い始めた

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僕が仕事やめることになったのも、その業界に対していろんな規制とかが厳しくなってきていて、今後立ち行かなくなる恐れがあるからで、人手不足なのにそこにお金が出せないという今の日本を象徴するできことに巻き込まれてしまったから。

そんな感じだから不安や閉塞感しかなくてしんど過ぎる世の中なんですけど、最近いろんなものやことに触れるたびに、それを打破していくのは人の中から湧き上がる気持ちや想いしかないよなぁと思うようになりました。

人間の奥底にある欲求。
何かを追い求めることとか、好きなものに関してのめり込んでしまうとか、好きすぎて気づいたらわろてしまってるとか。
他人に見せたくない気持ち悪い部分であるのと同時に、見ていて惹きつけられる。人の心を一番動かせる部分でもあると思うんですよね。

すぐ結果が求められる世の中だと育つはずの大きな資産が作れないまま終わっちゃう。それでいいのかな…。

ただ如実に数値化されるものでもないし、「スピリチュアル」「自己啓発」という文字になったとたん胡散臭い感じになってしまって軽視されがちで、この成果至上主義…いやすぐに結果が求められる世の中で、どうやったら何か追い求めること、好きすぎてのめり込めることが尊いか。
時間がかかることだけれど、後々大きな資産になることが認められるのか…ってことを考えるようになりました。

こどもはもちろん働く人の教育とかもそうだし、研究者の研究もそう…。

ついこないだも大手企業が半導体やめるってニュースを見ましたけど、経営判断的には妥当でも長い目で見て果たしてどうなのか。

企業として赤が出るものを維持することはできないことは当然だけれど、本来削いではいけないものをどんどん削いでしまっている気がして本当に大丈夫なのかなと思ってしまう。

そんな今に希望なんかないのかもしれないけど、それで落ちたり、あきらめてしまうんではなくて、それに抗うくらいの気持ちや想いでやり続けて、そのことを伝え続けることが大事なのかなと。

「楽しむ」の先に「努力」や「覚悟」があると思うから「楽しもう」と思う

「抗うくらいの気持ちや想い」って書きましたけど、「覚悟をもってやる」とかではなくて。

僕は「努力」とか「覚悟」とか言う言葉が今で言うパワハラみたいな感じがしてずっと嫌いで、そういう言葉は「楽しむ」のずっと先にある言葉だと思っていました。

楽しみ続けていた結果が「努力」になってて、楽しみすぎてそれ以外のことが勝手に削ぎ落とされたから結果的に「覚悟」になってる。

ただ大学の時の部活で部長をしていた時に部員に「楽しもう」って言ってたけど、全然伝わらなくて。
なんなら年下だけど、業界は長い後輩に「先輩、楽しむだけじゃやれないっすよ」みたいなことを言われて、ただただ悔しかったことを覚えています。

でもそんなんでは続かないと思うんですよね。結果や努力や覚悟を強いられるばっかりじゃ。
他の人は知らんけど、僕はそんなに強くない。
そんなんで追い込んだときもあったけど、ただただ辛いだけでした。本当に。

だからこそ「楽しもう」と。

楽しんだら続けられて、勝手に「努力」できたし、勝手に「覚悟」もできた

で、自分から初めて「楽しもう」と思えて就かせてもらった仕事は7年も続けられたんです。
それまで最長で3年しかもたなかったのに。

楽しいから「もっとこうしたい」って気持ちが出てきていろいろ提案できましたし、「こうしたら僕もっとできますよ」ってことを伝えて、やりやすい環境が作れました。

もちろんそれに応えてくださった方が居るわけで、それは本当にありがたいことなんですけれど、よくよく考えたら僕だって楽しんでやっている人から「こうしてもらえるとやりやすい」って言われたら「協力しよう」って思えるから、真理なんかなと思ったりしています。

そして楽しんで7年続けたことによって、勝手に「努力」できたし、勝手に「覚悟」もできました。

「覚悟」ができると自分の発言に自信が持てるんですね。

「これ言ってもうダメだったら(仕事)やめる」覚悟を自然と持っていたり、「僕が責任とるからやっていいよ」という発言をするようになっていて自分でもびっくりしました。

これからももっと楽しむ

今41歳ですけど、自分が小さいころに思っていた41歳とは全然違っていて。それを時代や環境のせいにもできるんですけど、こないだ妻に言われて気づきましたけど、結局自分で選んできたわけで。

もうこうなったらありもんで楽しむしかないと思っていて、いかに普段の生活や仕事を楽しくしていくか、その延長線上に理想とする生活があって、そこにたどり着ければいいなと思っています。

いま自分のサイトで「豊かな移動」というカテゴリーをつくっているんですけど、本当に移動が好きなので「移動自体楽しいのよ〜」ってことをお伝えできればいいなと思ってゆっくりつくっていっています。

寄稿させてもらっている「ノマド的節約術」でも、この「豊かな移動」的コンセプトの記事を2題書いています。こちらもお読みくださると。

余裕がないと先を見通せない社会ほど絶望的なものはないけど、そこに光を見出せる気力がなくなってしまったら本当におしまいだなと思ってるので、ゆるやかに、でもきちんと生活できるようにがんばっていこうと思っています。


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