放浪

 何も決めていない、方向性もない、どうなるか全くわからない。誰なのか、どこにいるのか、エッセイなのか小説なのか、詩か暗号か、何もわからない。
 生まれた頃から視界が反転していたら、言葉は変わっていた。浮かぶよりも落ちるほうが絶望的なのはきっと地面が下にあるからだと思う。重力は軽さをもって表現されたかもしれない。物は軽いほうがいい。落ちていくよりも浮かんでいくほうが楽しいのは、視界が反転していないからかもしれない。俺はいつか誰かを風船で撲殺したい。グレーチングを踏み抜いてマクドナルドのポテトになりたい。扇風機じゃなくて、機械にうちわを煽がせたい。あまりにくだらない数々の思いつきを並べて、走り出しそうな物語を探す。見つからない。しかし文章はいくらでも書ける。まだここは自由だからだ。しかし考えると良くない。考え出すとあたりは暗くなる。街灯は気まぐれで、道は裂傷だらけでブヨブヨしている。そう思いながら、血の流れに抵抗できず、考え出す。
 物語は、一本の線を少し丸いとか毛羽立っているとか形容してみて始まったりするけれど、今目の前にあるのはシャープペンとスケッチブックとデスクライトのみ。一本の線よりもはるかに具体的ではるかに不自由だ。しかしもう元いた場所に戻れない。認識の外にある暗がりを、ポテトになることを期待して強く踏み抜く!
 彼らのこと。
 シャープペン:韓国産、プラスチック/ゴム製。100円均一育ち。全体が白で統一されている。角丸三角形の軸、先端に向けてやや細っている。0.3mm用。クリップ付き。頭の消しゴムは大きめ。軸真ん中にロゴあり。以下、自己紹介。
 「初めまして、POLYTER0.3です。『低所得者に身分を忘れるひとときを』をコンセプトにデザインされました。白一色の軸は全体がラバーで覆われており、艶のないきめ細やかな見た目と手触りが低所得者に高級感を提供します。よろしくお願いします。」

 スケッチブック:中国産、スチール/紙製。100円均一育ち。表紙は全体が暗い緑の上にやや左下を交点にしたオレンジの十字の線、それに沿うように手書き風のSKETCH BOOKの文字。内容24枚。リングノート。小学3年の時に父親の都合で来日。以来、佐賀、秋田、鹿児島、埼玉と引越しを繰り返し、現在は都内高架下にてその日暮らし。以下、自己紹介。
 「どうも、SKETCH BOOKといいます。もう12枚くらい使われていて、周りからはそろそろ危ないんじゃないなんて言われるけど、私あんまりそういうのわからないんで全然気にしてません。よかったら一枚あげますよ、4円くらいだし、全然良いかなって。」

 デスクライト:プラスチック/ガラス製。6000円。全体的に白、台座の操作部分にて電源のオンオフ、明るさの七段階調光が可能。関節が二箇所あり、それぞれ無段階調節可能。発光部分が広く手元に影を作りにくい。
 「初めまして、LEDデスクランプと申します。私は・・・」ブツッ。

 ここで通信は途切れてしまった。隣でリコーダーを吹いていた小林は、吐いた息と一緒にリコーダーに吸い込まれていき、小さい穴から自身の体を噴出させた。教室の後ろでは太った佐伯が腹回りの脂肪をジャンプするたびに床に落としていき、水風船のような弾力を持ったリング状の脂肪が、廊下の方に少し傾いた教室に逆らって校庭側の窓から出ていった。少し前まで、俺は前の席に座っている観音囃子迎子のことが授業中限定で好きだった。彼女の家は貧乏なくせに、兄弟姉妹が8人もいて、観音囃子迎子はその末っ子だった。下がりに下がり続けたお下がりのワイシャツはほとんど無色透明で、透けて見えるブラジャーが無味乾燥とした教室の彩りを豊かにした。俺はある日彼女に、それまで話しかけたこともなかったのに、ブラジャーは何色をしているのか聞いた。彼女はブラジャーはしていないと答えた。
 食べられる為じゃない、何かを傷つける為だ、そうやって全身で主張する黒い牛たちが校庭の400mトラックを駆け回っている。多分3、4匹。舞い上がる土煙の中には、引き摺り回されてもう原型を留めていない俺が見える。頭も、腕も足も失って、ウエストにくくりつけられた縄で牛の思うがままに宙を舞う俺の五臓六腑のための入れ物の、機能をなくした赤黒い2つの突起は、観音囃子迎子のブラジャーで覆われていた。
 こんな話を強制的に聞かされている山岡の右耳を俺は申し訳なく思って舐め回す。山岡はちょうどその時、450m先のコンビニで接客していたらしく俺は後でこっぴどく叱られた。謝ったが、許してくれなかった。彼は、衝動的な怒りというよりも、理性的に、自身の何か曖昧なものを譲らないためにはこれが必要だと判断して怒っていたから、俺のリアクションなど関係なかった。観音囃子迎子はその頃、家で腹筋をしていた。脂肪などつくはずもない餓死寸前の食生活に内部から破裂しそうな程張り付いた皮膚をよく伸ばすための運動だ。彼女の七人の兄姉はそんな彼女を八つ裂きにして食べた。彼女は山岡の子を3日前に妊娠していて、丁度その受精卵を口にした上から三人目の兄観音囃子波知の証言では、受精卵はカステラの味だという。生まれていれば、性別は男だった。
 こんな話がある。ある猟奇殺人犯の男が逮捕された。男は少なくとも男性6人、女性13人を殺害し、その遺体のほとんどを食べてしまった。その後行われた被害者たちの、合わせて19回の葬式の棺桶には、犯人の男が代わりに入ったという。
 観音囃子迎子の葬式で、棺には彼女の代わりに七人の兄姉が入っていた。俺は以前、さっきの話を知った時、残されたもののために行われる葬式において、そんな冷徹な合理性が追求されるのか疑問だった。ホラ話か、もしくは、土着信仰等に基づいた特殊な価値観なのか。しかしどれも違った。単に笑えるんである。少なくとも俺は笑ってしまった。一人用の棺に窮屈そうに詰め込まれた7人の男女(当然彼らは生きている!)のその居心地悪さに対する不快そうな顔、それを形作るエネルギー、これは観念的なものではなくて実際の、カロリーとしてのエネルギーとして、迎子が使われている。焼香をあげる間にもエネルギーとして消費されていく迎子は、棺にその肉体があるよりもよっぽど成仏というイメージに合っていて俺は合掌ではなく、手を叩いて笑った。誰かに怒られたり、顰蹙を買うこともなかった。その葬式会場には俺しかいなかった。迎子のブラジャーをつけた俺。
 翌日、起きた時にはもう、青い空に白い月が浮かんでいた。俺はあの状態の月が一番好きだ。あの月は訳がわからない。あの月は無駄だ。この世の無駄と、でしゃばりを代表している。あの月を綺麗という人間は来世で全員カエルになってダンプカーに地球型に潰された。俺たちはいま、数万層にも重ねられたそのカエルの皮膜の上で暮らしている。嘘じゃない。俺は家から見える川の下に広げられた川の流れと共に流れていく小説でそれを読んだ。たまに魚が邪魔をして、読み飛ばさざるを得ない箇所もあるが、殆ど読んだ。俺はこの文章を、果たして自分で描いているのか、もしくはあの川に流れている文章をそのままコピー&ペーストしているだけなのか分からなくなってきた。一度流れていってしまった文章はもう戻ってこない、誰もこの文章の出典を確認することはできない。全ては取り戻せないのに、こういうあからさまな出来事にだけ砕かれそうになる。気分転換にポストを見に行った。LINEの通知よりも、ポストの方が連絡は溜まっている。パチンコの新台入荷、スーパーの安売り、市の月刊誌、インドカレー屋のクーポン、全部既読無視してるのに、毎日のように送ってくる。お前のことなんて見ていないと書いてあるだけだ。
 ある日、見慣れない形の封筒が入っていた。それは吹雪饅頭のような柄で一辺5cm程度の正方形をしており、歯磨き粉で封をされていた。中身には一枚の紙が二つに折りたたんで入っているだけだった。短い文が書いてあった。
 「この文章を読んではならない!」

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