見出し画像

〇〇の切れ目が縁の切れ目

あなたはYouTubeで「2ch系のスカッと動画」などを見たことがないだろうか。
基本的には2chなどのやり取りをそのまま動画にしたものだ。
ただし、実際の2chだけでは限りがあるので、多くは掲示板のやりとりを基にして新たなシナリオを創作している。

何を隠そう、そんな仕事も引き受けている。
いくつかは既に公開されているが、詳しくは教えない。
ちょっと恥ずかしいからだ。
変な内容を書いているわけではないのだが、作り話には苦手意識がある。
なかなか良いシナリオは書けないものだ。

意外と多いのが、お金に関する問題。
お金目当てで結婚したが、何らかの理由で収入が無くなって離婚するなど。
世の中、金の切れ目が縁の切れ目なのだ。

最初からお金のない私には縁のない話だが……

しかし、一度つながった縁を切るというのも寂しい話だと思う。
剣道でつながった、あなたと私の縁も見限られないようにしたいものだ。

縁とは?

「縁」とは何か、考えてみる。

一般的には『かかわりを持つ作用』のことを表す。
それは何となくわかっていた。
逆に、それしか無いやろ?という印象さえある。

ふと、学生時代に倫理社会で「輪廻転生」と習ったことを思い出す。
袖触れ合うも多生の縁なのだ。
多少の縁ではない。
多少の縁がある程度なら良かったのかもしれない。

実際は多少どころではない関係があるのだ。
現世で袖が触れ合う人とは、前世でも何らかの因縁があったとされている。
現世に生まれ変わったとしても、その関係は続いているのだ。

昇段審査や大会で竹刀を交えるなど、かなり深い縁があったに違いない。
もしかすると、前世では日本刀で斬り合っていたのかも……
そんな妄想すらひとつの出会いに趣を感じさせる。

考えたことないけど。

「縁」について、詳しく調べてみると面白いことが書かれてあった。
「仏語」として、下記のような意味があるらしい。

広義には結果を引き起こす因のこと。
狭義には結果を引き起こす直接の内的な原因である因に対し、それを外から助ける間接の原因をいう。

精選版 日本国語大辞典

「因」である。
縁、すなわち因である。
意味が解らない。

今の自分があるのは、縁があったからなのだ。
きっとそういう解釈に違いない。
間違っていたらごめんなさい。
新沼謙治さんと共に謝りたい。

つまり、縁は自分から切ってはいけないのだ。

などと書きながら、兄と絶縁状態なことを思い出した。
それはもう、どうすることもできまい。

因があっての縁切れなのだ。
そういうこともある。

ところで、あなたは稽古中に「縁を切るな」と言われたことがあるだろうか。
実は私もあるときから「縁」というものを意識するようになった。
ただ、深い意味はなかった。
縁を切らない稽古を心がけるだけで、稽古自体が面白くなってきたからだ。

集中力が切れると縁が切れる?

私は、基本稽古中でも、なるべく相手と縁を切らないように心掛けている…つもりだ。
しかし、気を抜くと縁が切れてしまう。

たとえば、面打ちを3本打つ。
1本目の面を打ち、2本目の面を打つまでの間は縁を切らない。
打った後、残心を示し、次の攻めへとつなぐ。
2本目も同様である。

しかし、3本目を打った後、ついつい気が緩んでしまうのだ。
3本目を打った後も、気持ちをつなげたい。
集中力が途切れると、確実に縁が切れてしまう。

元立ちも然り。
元立ちは特にサボりがちだ。
気を抜いている人は正直に挙手してほしい。

つまり、集中力の切れ目が縁の切れ目なのだ。
そうならないように気を付けたい。

予定調和

最近は稽古風景をYouTubeで公開されている方も増えてきた。
地稽古の様子は面白い。
自分ならこうする…と投影して見られるからだ。

地稽古は面白いけど…

基本稽古の様子を見るのはそれ程面白いものではないと思っていた。
しかし、ほんの少し見方を変えるだけで意外と楽しめるものだ。

以前、週にいくつもの動画を投稿されているチャンネルを見ていた。
残念ながら、私の考えとは全く違うようだった。
剣道には地域性もあるのかもしれないな……
そう考えている矢先、稽古後に八段の先生らしき人が注意していた。

やはり私の考えは間違っていなかったのだ。

そう、残心である。
基本稽古の一本一本に残心が無く、完全に縁が切れていた。
それどころか、地稽古中も、一本打ったら終わって仕切り直しという感じなのだ。

これでは流れもできず、ブツ切れ状態となる。
1話完結のドラマどころではない。
4コマ漫画、いや、ただの1コマのイラストになってしまっている。
1コマのイラストであっても、次のイラストにつながるストーリーが欲しいのだ。

YouTube動画は、先生が注意しているところで終わった。

できることなら、その場でビフォーアフターを見てみたかった。
しかし、それは叶わぬ夢である。

ある意味、「次回予告」とも受け取れた。
次回の放送が楽しみでしかたがない。

えっ?どーなるの、これ?
見逃すとあかんから、録画予約せな!

というくらいのワクワク感だ。

そんな風に思っていると、2日後くらいに次の動画が投稿された。
ビフォーアフターが見られる。
想像の2倍以上のワクワク感で動画の再生ボタンを押した。

残念ながらワクワク損だった。
NHKのわくわくさんなら大歓迎だが、ワクワク損は勘弁願いたい。

わくわくさん(写真:NHK提供)

そこには以前と変わらない風景があった。
これが世の中の掟なのだ。
これが予定調和というやつなのだろうか。

この感情をどこにぶつければ良いのかわからずに悶々とした。

ライプニッツの哲学で、宇宙は互いに独立したモナドからなり、宇宙が統一的な秩序状態にあるのは、神によってモナド間に調和関係が生じるようにあらかじめ定められている

予定調和とは

予想の斜め上だった。
予想の斜め上は定常運転だったようだ。
これが予定調和、秩序状態なのだ。
神によって定められたことなのでしかたがない。

昇段審査前の稽古

先週末は県の剣道連盟が主催する稽古会に参加した。
何のことは無い、毎週土曜日に開催されている稽古会だ。

しかし、京都・名古屋の昇段審査を控えている人が多かった。
さらに、京都大会に出場する人もチラホラ。

指導の先生からは、立ち合いを意識するようにと檄が飛ぶ。
基本稽古でも蹲踞から攻め合って打つようにと指導された。
もちろん、打った後の残心についても。

結果、いつもの稽古よりも引き締まった感じがした。
気が抜けないので息が上がるのも早い。

これだ。
やはり、日頃の稽古では少し気を抜いてしまっていたのかもしれない。
集中力が切れてしまっていたのかもしれない。

気を引き締めて稽古に取り組もう。
振り向いたところを打たれないように。(動画参照)

立ち合いというシナリオは自分で作るのだ。
そんなに上手くいくとは思えないが……

今週末は中央審査が京都で開催される。
受審される方の御武運を祈ろう。
末永真理さんの手作りオーガニックカレーを食べながら。

メンバーシップ登録もお願いします!

メンバーシップ登録はこちら。
 ↓ ↓ ↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?