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訂正可能性と、見立て、可能世界、解釈

以前から、メタ認知獲得のための日常生活トレーニングとして、以下のような認知的トレーニング手法がありうるのではないかと勝手に妄想し、実行してきた。

1、違和感を獲得する
 通常のモードで違和感を獲得するのは、まず意識的にそのモードに入らないといけない。つまり、「違和感を見つけるぞ!」と、頑張って、身構えて、事象を観察する態度が必要だ。いつもは見過ごしてしまう些細なことに「あれ、でも、これなんでだろう」と引っかかることができるようになるかどうかがポイントだ。

2、獲得した違和感を記録、記憶する
 トレーニング初期は、例えば、手元やデスクトップにいつも「メモ(違和感メモ、とでも名付けたい)」を置いておいて、少しでも自分に引っ掛かりを与えてくれることがあったら、それを記録しておくことだ。慣れるとメモがなくても記憶することができるようになる。

3、積み重なった違和感をつなげることが可能な「解釈」を発見する
 1と2を繰り返しながら、その違和感を正当化するような解釈が生成できないか模索する。この時、アブダクション(仮説推論)の手法が役立つ。解釈は、あくまで「仮説」でよく、正解を探す、というスタンスではなく、むしろ「こんなことが背後にある理路だったらおもしれー」と妄想するくらい発想を飛ばすのがコツだ。

4、解釈がもし真実なら、そこから派生するさらなる解釈=妄想を探す
 解釈は、さらなる解釈を可能とする場合が多い。つまり、この解釈が正しいとすれば、さらに上位に位置する解釈を呼び起こしていく、ということだ。

5、一部の解釈が、時々「真実」として現実に立ち現れてくる
 すべての解釈は可能世界を示唆する。そして、その可能世界の一部が現実の世界となって立ち現れてきた時、それは膨大な仮説の一部が現実化することを意味する。そのことを「伏線の回収」と呼びたい。伏線の回収は、それが起きた時に、自分に対して、世界が「答え合わせ」をしてきたようにも感じられる。

6、これらのサイクルが回ると、違和感とその解釈は「見立て」になる
 違和感の獲得と解釈(仮説=妄想)構築がほぼ同時に行われていくようになると、その一連の認識セットは、いわば「見立て」のようなものになり、見立ては「まだ回収されていない伏線」として、自分の世界認識の一部をなすようになる。

7、そのようにして獲得された世界認識は、訂正可能性そのものである
 どのようにでもありえた世界を意識しながら、多数の伏線をあらゆる認知に張り巡らす作業をしていると、過去の自分のさまざまな認識が「実はこういう意味があった」という風に再解釈されるようになる。それは訂正可能性そのものである。

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