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#10.正解不正解そんなもん知らねぇ




皆さんお疲れ様です。



不器用なので、ゲームはめっぽう弱く、楽しんだ記憶がありません






昔はゲームは目に悪い、体に良くない、なんていう人もいた気がしますが

そもそも出水家がゲームをするような家庭ではなかったので

ゲーム機は持っていたものの、あまりゲームをやってこなかったいい子ちゃん小学生でした。







しかし、大学生にもなると結構ゲームをやっている人が多くて



一緒にやっても勝てないので、いつも悔しい思いばかりをしています。(泣)






今の小学生はゲーム慣れしている子がほとんどで



「ウイイレガチャ誰が当たった?」

「今度一緒に荒野行動しようぜ。」



といったようにゲームが生活の一部になってきているようです。




また、評論家や研究者によっては

「ゲームはイメージを作る素晴らしいもの」

「脳の活性化を促すゲームは身体に良い」

といったプラスのイメージも大きくなり、

保護者もある程度は許容する過程が多くなってきているので、



僕らの時代とは全く違うのだなぁとしみじみ感じている今日この頃です。






そんな前置きはさておき。

(さぁ、どう本編につながっていくのかー。)











ある日の新聞にて




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「根性」について




「根性」って何なんでしょうね。




明確に見える物体ではないから分からないけれど、確かにある感じはしますよね。



一昔前は「水を飲むな。」などと根性を語る指導者がたくさんいたようですが、


最近は「水分補給は大事だ。」と語る指導者が多いと思います。




科学の発展で、スポーツの競技結果の良し悪しをあらゆる面から研究し、パフォーマンス向上のための改善点が数値化しやすくなった現在だからこそこういった風潮が世間に浸透したのだと思いますね。


また、体罰やしごきが非倫理的で、バッシングをあびる物に変化していったことや、気温・場所といったトレーニング環境が変化していったことも


「根性論」がタブーになってきた原因と言えるのではないかと。




しかし、僕個人的には根性も大事っちゃ大事な気がするのです。


僕が世間が言う根性というものを持ち合わせていないと思っているので、

根性あるなぁと一目見てわかる選手はパフォーマンスも安定しているように見えるし、見てて清々しいのは間違いないと思うのです。



でも間違えていけないのは、目的はあくまでパフォーマンスを上げること。





自分にとって足りないのは根性といった内面部分なのか、

技術といった外面部分なのかを分析し、

バランスを考えながらトレーニングする、

それを倫理的にサポートするのが

今の時代の選手・指導者の正解なのかなと思います。





ただし、これも「今の」時代の正解はこれなだけであって、


世間的にゲームがプラスのイメージが増えていったように、

科学的に根性論がマイナスのイメージが増えていったように、


時代が変わっていくにつれて正解なんてどんどん変わっていくもんなんですよねー。


これは何事にも共通することで、


もしかしたら数年後には


根性論がもう一度正解になっている

iPhone使っている人ががダサいと思われる




かもしれないですよね。



何事も時代に左右されてしまうが


大事なのは自分のあり方なのかなぁ思います。




変化に合わせるもよし、変化に逆らうもよし。


自分に何があっているのかを考えられる力を育てていきたいっすね。




なので僕は出水家のルールに従って、これからもゲームではなく他のことで戦っていこうと思います。





まぁこれといって勝てるようなものはないんですけど。

(とほほ😭)




まだまだこれからぁーーーーーーーーーー。







御縁を大切に



デミズヒイラギ

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