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0057 考える京都旅❷ 清水寺-“きれい”その次の言葉を

【旅ログ】
to 清水寺観光の参考にしたい方
to 観光のあり方を一緒に考えてくれる方

伏見稲荷を後にし、夕食をはさみ清水寺に。時間は19:30。ライトアップが現在18-21時まで開催中。
九年ぶりの清水寺で考えたこと。

清水寺のエンタメ性

清水寺の建造物の構造と地形、長さと全体の起承転結。これが清水寺がワクワクする所以だと思います。紅葉の季節は特に。

チケットを購入し歩みをするめると、まず紅葉が下部からその一部が誘うようにわさっと見えてくる。柵に近づくにつれてその全景がみえてくる。平坦な地形では後半ならない。

次にやはり、”懸造”と呼ばれる崖からはみ出した構造。実際の落差以上に、建物を支える柱と生い茂る木々がその高さで異空間を演出している。

そして、平坦に下っていく中継地点にある音羽の滝。小気味良く飽きない演出がわくわくを持続させてくれる。
このように、程よい長さで、多くの素晴らしい景観と起承転結があるストーリー性が、清水寺を唯一無二の寺院としていると思いました。

“きれい”の次の言葉を継ぐ

美しいライトアップのフォトジェニック。ため息とともに思わず口からでてくる”きれい” という言葉。人は、直感的に美しい光と色と構図を見抜くんだなと思った。感動して幸せそう。素敵。

ふと、こんなことを意識してはどうだろうと思った。”きれい”その次の言葉を継ごう。鑑賞したけど写真に夢中で、きれいだったことしか覚えていない。これを避けたいといつも思う。日常から少し離れたその時間を大切にするための作法。

“きれい…あの紅葉がかさなる複雑な色みが好き”
“きれい…周りが暗闇で余計な物が見えないから”
“きれい…子供の頃覚えた歌の風景に似ている”
“きれい…光がこんなに美しさをきわだたせるなんて”
“きれい…一緒に嬉しい気持ちになれるからいいね”

視覚の情報を、少しだけ脳を遠回りして自分の中にある情報をひきだしてあげる。なんでもいいんです。間違いはない。頭を柔らかくして、勇気をだして言葉にしていく。ちなみにこれは、対人でも心がけるとよいと思ってます。失礼のない言葉で、気づきを共有する相互理解。

文化財保存→変わらないものの安心感

インドでタージマハルに6年ぶりに訪れた時も、今回清水寺に9年ぶりに訪れたときも思ったこと。それは、歳月がたっても、その場所が全く変わらぬ雰囲気を提供してくれる安心感と懐かしさです。

街の景色は変わり続ける。田舎の風景も大きく変わった。価値ある文化財は長い年月、手をかけできるだけよい状態に保たれていく。

”愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(ビスマルク)” 懐かしさや安心感にくわえ、歴史から学ぶための大きな素材が文化財なんだと思う。存在そのものが説得力を増大させ価値をもち人の心を動かす。そんなことを思いました。

他、印象に残ったこと写真とともに

警備のおじちゃんたち。このときは、紅葉の色づき、月の満ち欠けの話してた。

下から写した轟門。あまり清水寺っぽくない写真が撮れて、気に入ってます。

現在、普段公開していない成就院”月の庭”も特別拝観可能。内部撮影禁止。”月の庭”のいわれ。借景の美しさ。説明も明瞭で心地よい。満足でした。

あとで訪問した高台寺に勝るとも劣らない水面に移る逆さ紅葉。

最後に今年の漢字の募集箱。考えてみた。個人的に願いも込めて、

“ 輪 “

東京オリンピックもあった。11月段階でコロナもなんとなく克服した雰囲気があり、輪になってよい方向に向かってほしいという気持ちから。ちなみに今調べたら、2013年ワールドカップで躍進した年も、”輪”でした。

次は、翌日訪れた、京都国際マンガミュージアム編へ。

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