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0116 冬の沖縄旅❼ ひめゆりの塔 - 展示改装に思いがつまる -

【旅ログ】 
to 沖縄の戦争。この歴史の事実を共に考えたい方

沖縄は、風化していく”戦争の記憶”を改めて考えさせてくれる場所。年越しの沖縄旅。糸満市の”ひめゆり平和記念資料館”と、豊見城市の”旧海軍司令部壕”に訪問した。

丁寧に伝承される-ひめゆり平和記念館

那覇から約17kmの沖縄本島南端。ひめゆりの塔がある。それは陸軍病院が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑をいう。敷地内にはひめゆり平和記念資料館。2021年4月に展示がリニューアルされたばかりであった。

入り口。

ひめゆりの塔

最初に正面のひめゆりの塔をのぞむ。名称の由来は、当時従軍していた”ひめゆり学徒隊。21の旧制中学。その一部から編成された8つの学徒隊のうちのひとつ。1945年。6.18解散命令。多くのひめゆり学徒隊が命を落とす。

慰霊碑
第三外科壕

やはり現場に足を運んでみるものだ。年に一度8月の終戦記念日。テレビや新聞でなんとなく流れるニュース。なかなかきちんと向き合う時間がとれなかった。人間の恐ろしさ。組織の恐ろしさ。心がいろいろと反応する。これを少しでも肌身で感じることの大切さを知った。

ひめゆり平和記念資料館

続いて資料館へ。

最初の感想は、展示の丁寧さ。見る人の立場に立って、戦争を知らない世代にいかに”戦争のリアル”を伝えるかが考え尽くされていると思った。説明の文章の量。日常の様子がわかる展示。動画の残時間表示など、こまかいところが行き届いている。

飛行機から爆撃されて街が燃える。実際の戦争は、その引きの画角だけではない。平和に生きていた沖縄の人々、学生生活のリアルを知る。のちのひめゆり学徒隊の学校生活。今も昔も変わらない子供たちのくったくのない笑顔がある。それだけに、戦争の非日常、悲惨さが色濃くなる。

戦争で資源が枯渇していく日本。最初、おしゃれでかわいいプリーツが入った学生服のスカート。徐々にシンプルになり、最後はモンペに。かわいいものを着たい学生はがっかりしたとのこと。なんだか泣けてくるエピソード。

歴史を見つめるときにいつも思うことがある。その時代に生きた人は、その瞬間が一番人生で新しい瞬間であるということ。つまり、先の歴史はわからない。日本軍はどの程度の情勢なのか?1年後はどんな未来になっているのか?時代がどううねるのか?

その時代に生きた人の感覚を慮り、少しでも理解できるように努めること。それも、歴史から学べる大きなことだと思う。

ここは、沖縄に来るたび、何度でも訪れていちと思いました。

戦争の真実の断片-旧海軍司令部壕

那覇中心部から4.5kmほど南下。約3,000人が昼夜問わず5ヶ月ほどかけてつくりあげた壕。物言わぬ歴史の証言者。

ビジターセンター

小高い坂を登って、ビジターセンターへ。ここが壕への入り口にもなっている。沖縄戦。日本が連合軍の盾とした戦いの軌跡、悲惨さが当時の画像、写真、道具などで知ることができる。

旧海軍司令部壕へくだる

壕、洞窟というものは、人間に、守られている安心感と狭く息苦しい恐怖心とあらゆる感情をもたらす。ここは無論後者。加えて、その時代のリアルを知れるという好奇心が覆う。

狭所恐怖症の方は無理かもしれない。細長い階段を下る。
見取り図
司令官室
太田司令官の辞世の句が残されている

大君の御はたのもとに死してこそ
人と生まれし甲斐ぞありけり
その他、暗号室、作戦室、医療室などがある
出口

戦争という時代

制服のデザインが簡素化されていく。軍国主義が確立し教育されていく。司令部壕が完成してゆく。戦争は昨日今日で始まって終わるものではない。出来事というより、時代そのものなんだなと改めて思った。

各国の政治の思惑。人間の野心。組織の制御と暴走。武器、乗り物の発達。もしこの150年、まったく別のシナリオが描けていたとしたら、何が必要だったのだろうか。どういうターニングポイントがあったのだろうか。過去は変えられないまでも、未来を考えるヒントをえるため、想像力の必要性を感じた。

なんとなく”かわいそう”で終わらせず、世の中を少しでも良くするための行動が戦争の抑止になると信じて、行動につなげたい。そんな思いにいたりました。

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