おとといの夜、入院中のかーちゃんのことを考えて大号泣した

なにやら物々しいタイトルですまん。
だが、これはホントにこの前の夜に僕の中で実際に起こったことです。

夜、布団の中で寝て居たら、ふと母のことを思い出した。

今、僕の母は病気で病院に入院している。かなりひどい病気で、今は自分から何かしゃべることもほとんどせず、記憶障害もひどく、たぶん僕のことも忘れている(と思う)。

母がまだ文字がギリギリ書けたころ、病院から僕に宛てて送られてきた最後の手紙には「私はこれからどうなるのかわかりません、けんや、どうかお元気で」と書いてあった。それが2年くらい前。それ以降、母から何か僕宛に文章などが送られてきたことはない。

僕は母に対して、いろいろと後ろめたいことがある。まず、しばらく会えていないこと。理由は、会うのが怖いから。自分のことを忘れられていたら嫌だとか、そういう気持ちがある。

ふたつ目は、「ようやく母の気持ちが少し分かったと思った頃には、もう遅かった」ということ。

つまり、僕は高校時代くらいまで、母のことは「変な人」くらいにしか思ってなかった。
家族も親戚も、家に遊びにくる僕の友達も、みんな母のことを「変な人」だと思っていた節があった。

そのころの母は、おそらく診断すれば発達障害と診断されていたと思う。しゃべる時どもっていたり、料理が壊滅的に下手だったり、そういう風な、ふつうの人とちがう部分がかなり目立つ人だった。

その時点で、僕は母が苦しんでいることを見抜けていなかった。

僕は小学生の頃から母と別居し、祖父母の下で育てられた。理由は、母に育児能力が無かったからだ。僕は母のつくる料理のマズさから逃亡した。
今思うと、その時から悲劇は始まっていた。

ふつうに考えて、嫁ぎ先で、ただでさえ孤独なのに(母と父はお見合い結婚である)、ひとり息子を祖母に取られてしまって、正気でいられる女(母親)なんているわけがない。

僕がこういう風に他人の心を真剣に想像できるようになったのは大学時代になってから、それも、母が精神をおかしくし、入院した後のことだった。つまりごく最近のことである。

だから僕は「時、すでに遅しじゃないか…」と、悔しくなって、なんだか涙が止まらなくなったんだ。

僕と母はどこかでボタンをかけ違えた。そして、僕はそのボタンのかけ違えに気づき、それを直そうとしたが、その時にはもうボタンはほつれて取れてしまっていた。

自分でも、どうすれば良いのかよくわからない。とりあえず、今は時間が何かを解決してくれるのを待つしかないのかもしれない。

察しの悪かった、愚かな高校時代までの自分を恨んだところで何もはじまらないのだが、人間はなんでもっと早く精神的に成長しないんだろうか、なんでもっと早くに他人の気持ちを想像できるようにならないのだろうかと思った。

ほんとうに解決するべき課題は家の中にあったはずなのに、勉強や部活なんてものを虚偽の課題にして、それから目を逸らしていたんだ。そしてそのツケは大人になってから回ってきた。

クソみたいなところにこだわり、右往左往し、本質的なことを見逃していた。僕の人生に汚点があるとすれば、そういうところだった。

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