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自分史5(ギター、茶道、バンド〜)

MARTIN D-18VM

前回と前後するが、二級建築士製図試験終了後、頑張った自分へのご褒美として(まだ合格発表無いのに(笑))、ギターを購入目的に東京帰りの先輩と東京へ向かった。色々楽器店を廻ったが最終は新大久保のクロサワ楽器本店に到着。そこでひと目見て新品のMARTIN D-18VMを弾かせてもらった。今日、入荷したばかりらしい。普通はみんな定番D-28を購入すると思うが、天邪鬼なので、28より高いD-18VMを選んだ。帰りに東京タワーに寄った。私は勿論初めてだが、先輩は東京に7年住んでいたが一度も行った事がないと言う。確かエレベーター代が700円くらいだったと思うが上に上がり東京の空を眺めた。ちなみに私の母親が若い頃、東京タワーに階段で登ったら景品が貰えたらしいが、私が行ったときはエレベーターしか登る手段がなかった。

茶道

20代後半、市民茶道サークルに参加した事がきっかけで茶道に入門した。武道を志すものは必要という心構えだった。動と静の精神。やはり茶の湯の正装が必要とのことで、私のお客さんの呉服屋さんにお願いして着物を羽織り、袴まで一式仕立てて頂いた。二年ほど先生に師事していましたが、色々事情が重なり続かなかった(とても言い出しにくかったが…)。この頃は月火(極真)水(茶道)木(極真)金土(自主トレ)日(休み)というスケジュール。この中の隙間にバンド練習をぶち込んでいたので相当ハードだった(若いねぇ。)。月曜火曜日に極真で足を痛めて水曜日にアイジング出来ず正座をする痛さも理由の一つ。天秤にかけて極真を辞めたくなかった。

新たなバンド結成

高校生の頃、一緒に演っていたドラマーと久しぶりに会い新たなバンドを二人で模索した。先ずはメンバー集め。普通ここで挫折するパターンだが、ヴォーカル2名、ベーシスト、鍵盤は同級生の女性ジャズピアニストにすんなり決まった。彼女は新宿ピットインとかで演っていたベテラン…っていうかプロ。このメンバーでマーヴィン・ゲイ、パーシー・スレッジ、マイケル・ボルトン〜etcのお洒落なR&Bをカバーした。この手の音楽は個人的に聞いてこなかったが、演ってるうちにしっくりくるようになり、このバンドの経験が自分のギター人生で一番成長させて頂いた気がする。この頃、新発売されたアラン・ホールズワースとヤマハが作ったYAMAHA UD-STOMPを購入。このバンドは2年くらい続いたが、鍵盤の彼女がやはり東京に戻り音楽活動再開する事(現在も都内で活躍してるらしい)で自然消滅。このバンド以外にも洋楽コピーバンドに参加していたり、アコギ弾き語り等演っていたが、演奏してた場所が再開発にかかり自然消滅。これ以降、私がバンド活動することはなくなった(考えてみると15年以上演ってないのか(驚))。



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