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辻愛沙子さんのNote記事を真摯に読んで真面目に論評しようと試みたが、頭がクラクラしてしまった



なにから書き始めよう?

左翼界隈にありがちな典型的な駄目思考回路だが、中学生女子の作文として読んだとしても、とっちらかっていて良い評価がもらえるとは思えないレベル。

#newszero 水曜レギュラーということなのだが、番組も番組だし、日本のマスメディアの劣化を痛感せざるを得ない。

ただし、公平のために言っておくと、昨今どこの番組であろうと、立派な肩書きの論者であっても、たとえばサンデーモーニングのようなTV番組に登用されるような左翼論者の薄っぺらさは保守界隈からは馬鹿にされている。NHKだってどこでもそうである。

今回、辻愛沙子のNote記事を真摯に読んだし、まずは敬意を払って熟読し、文章の論旨をまとめて、彼女の思考の要点を抽出してから真面目に論評しようと試みたのだがどうしても無理だったので、もう頭から順番に行くしかない。

令和3年。私たちは、時代の変化の過渡期にいる。

同意する。そしてこれは世界秩序の視点から始め、世界の中の日本のあり方を俯瞰すべきだと思うし、それはとても重要なことだ。「私たちは、時代の変化の過渡期にいる。」と大風呂敷広げて始めるのならば、当然それくらいの見識はあるのだろう?

たとえばこんな感じになる。






一貫して、そして共通して指摘されているのは「全体主義」「政治闘争」「ファシズム」「吊し上げ文化」「ヒステリーを煽る」「メディアリンチ」ということだ。

これまでの多くの"わきまえない人たち"の声によって、社会全体を正しくアップデートしていこうと多くの人達が内省し、立ち上がり進もうとしている真っ只中である。

「社会」「全体」を「正しくアップデートしていこう」

いきなり、全体主義的だねー。

いったい誰が「正しくアップデート」の正しさを担保するのか?日本は民主主義国家であり、毛沢東がかつてやらかした「文化大革命」とかごめんだ。

かつて世界では、こういう「社会を正しくアップデート」する、と独善的に決定し、異論を封じ込め、というか異論が出そうな知識人を軒並み虐殺し、その結果、その「正しさ」が間違っていたので大量の餓死が発生、とか悲惨な歴史があった。

また、ヒトラーは「優生思想」で「社会を正しくアップデート」しようとしてユダヤ人大虐殺したんだね。辻愛沙子は「歴史は繰り返す」であるとか、自分が独善的で偏狭な全体主義者である自覚をしたほうが良い、と冒頭いきなり思った。

初歩的な知見からすると「やばいやつ」だけど、だいたい左翼界隈は無自覚なこういう連中ばかりなので、もうTwitterにせよ見慣れた。

初歩的な知見を踏まえてきちんと論評し憂慮するのは上で引用するような保守系知識人だけである。

「内省し」

でたね。他者の内心への介入。なんで君にそんなことを総括されにゃならんのだと。

僕は、もうすでに書いてしまったように、独善的な全体主義者である辻愛沙子の思想が正しいなんてちっとも思わないし、森氏への批判は今から書くことになるけど、誹謗中傷と名誉毀損であり、内省すべきなのは、もうしろ辻愛沙子らの方だと思う。

そう思うけどね、しょっぱなから、「多くの人達が内省し、立ち上がり進もうとしている真っ只中である」なんて内心も統制されたような全体主義的なことは恐れ多くて絶対書けない。えーっと

何様ですか?


私自身も日々考え悩み学びながら進んでいる訳なのだが、その"変化の過程"において、最近少し思う事があるのでここに綴ってみたいと思う。

自身「日々考え悩み学びながら」とか言ってるような奴が、「社会全体」を「アップデート」すると豪語している。内省しろ、とかなんか偉そうに言ってる。

悪意のない無自覚な偏見やステレオタイプを助長するような発言には、2つの問題がある。

なるほど。

1つは、発する本人の問題。自身の特権性や加害性に無自覚であり、安易に誰かを踏みつけてしまっている事にすら気づけていない事。これは誰かに指摘されたり何かがきっかけで、本人自身が自覚したり反省したりアンラーニングをしていかなければいけない。

「自身の特権性や加害性に無自覚であり、安易に誰かを踏みつけてしまっている事にすら気づけていない事。」

いわゆる「おまえがいうな」です。

辻愛沙子は朝日やらに担がれて間違いなく、森吊し上げリンチの加害者だ。そして彼らは自覚などしていない。森さん気の毒に。こんな連中の不当なメディアリンチの被害に遭われて。

「本人自身が自覚したり反省したりアンラーニングをしていかなければいけない。」

再び、反省とか、さらにアンラーニングとかまで言い出していて頭がクラクラする。再掲するけど、

もうほんと、ウイグル人の「再教育キャンプ」とか、堂々と主張することが、中国共産党とか全体主義者、ファシストそのものでクラクラする。

「社会全体をアップデート」するために「反省したりアンラーニング」しなければならない。って、君らが好きな「多様性」や「思想の自由」はどこいった?

え?「自分の考えは正しい」「反省スべき人たちが間違っている」から正当化されると?うん、まあそれも中国共産党が言ってることだし、ナチスも正当化してたんだ。

そして、僕は君のその独善的な全体主義思想、ファシズムこそが間違っていると確信していると思うから、その間違った考えを反省してアンラーニングするために再教育施設に入所するか?「社会全体を正しくアップデートするため」にはナチスみたいなのはまずいよね?同意してくれるよね。

2つ目は、本人の周りに根付いている構造的問題。その本人の意識やバイアスを構築してきた外的環境(社会構造)や、ステレオタイプを当たり前としてきた社会風土、そしてそれを止めたり指摘しない/できない周囲の意識などだ。これは本当に根深い。

これも「おまえがいうな」のブーメラン。

日本の教育、メディアは左翼偏向で腐敗して堕落している。これはいくらでも証拠をあげて論証できるけど長くなりすぎるので、とりあえず今更言うなレベルの事実として置いとく。森発言のメディアリンチはまさに構造的問題だ。その上で、

こういう、辻愛沙子という全体主義的な若手ジェンダー活動家が存在する、というのも、歪んだ教育や社会情勢という構造的問題だし、うまく利用できる、と持ち上げている朝日新聞がインタビューしたりNewsZeroのレギュラーになっているのも構造的問題だと思う。

偏向したマスメディアの庇護下にあって正義ヅラする活動家が持ち上げられる他方で、異論を許さない全体主義的な同調圧力を形成していることは、以下の証言からも確認できる。

「擁護の意見言えなかった。」「同調圧力かなと後々反省。」
「少しでも擁護すると女性差別主義者みたいに言われそうで言えなかった。」

成功してるじゃない「社会全体を正しくアップデートしていこうと多くの人達が内省」。なにが「わきまえない」だよ。自分はそれでいいだろうが、異論は萎縮させてる。

そして、忘れないうちに指摘しておこう。Twitterハッシュタグで #わきまえない女  というツイッターデモのようなことが行われたのであるが、これは歪曲捏造に基づくワードである。

該当箇所の森発言は

私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ? 7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。みんな競技団体からのご出身であり、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですから、お話もシュッとして、的を射た、そういう我々は非常に役立っておりますが。次は女性を選ぼうと、そういうわけであります。

普通に読解すれば、
「みんなわきまえておられます。」の対象は、
「お話もシュッとして、的を射た」という
会議の場での簡潔な発言の仕方」となる。

「会議の場での簡潔な発言の仕方」をわきまえる、というのは男女問わず望ましい作法だ。

けして、「女性としての立場をわきまえる」というような発言ではないが、

「#わきまえない女」とTwitterハッシュタグのように表現した場合、森発言に忠実に準ずると

会議の場での簡潔な発言の仕方をわきまえない女

ということになり、別にわざわざ女アピールせんでも、そんなもん男でも女でもあかんやろ?となる。

森氏は自身の目の前ではまったくハードルをクリアしている女性の能力や作法について「わきまえている」と評価しているのであって、男女にかかわらず要請される望ましい能力に足りない、会議の作法がなってない、自分はそういう女です、と性別アピールするにあたっては、こいつら馬鹿なのかな?とずっと思ってみていた。

で、こうなると彼女たちはこういう、「女性にたいして評価基準を言及すること自体が差別的である」と。

つまり、たとえ、誰かの発言の引用のように「女性の話が長い」という科学的事実があったとしても、その真偽にかかわらず事象の言及、意見表明、あるいは、それに派生した自身の経験則の表明、つまり、性差の事実(是非にかかわらず)触れること自体がタブーになっている。

いったい、いつからそんなことが正当化されたのか?

では、

ジェンダーフリー(英: Gender-blind , ラテン文字表記:gender-free)とは、「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること」と定義される。

まあ入り口としては正しそうに聞こえる。少なくとも吟味する前はね。

そして

ジェンダーレスとの混同
宮台真司や斉藤環などの論者が、ジェンダーフリーとジェンダーレスの混同を指摘している。彼らによると、ジェンダーフリーとは「性差を否定すること」ではなく、性別による固定された社会的な役割を柔軟にしていく運動であり、逆を言えば従来通りの価値観すら認める立場である。一方で、ジェンダーレスは性別そのものを否定していく運動であり、一般にジェンダーフリー否定派が糾弾するのはジェンダーレスの思想であるという。

とか書いてる。

科学的事実として、「性差」っていうのは厳然と存在する。性差によって脳の器質も違うのは科学的事実なので、たとえば「会議での話の長さ」の統計を取れば、おそらく有意な差が出るだろうとは思うし、個人差があってもトレーニングが不足な集団で比較すれば、おそらく森氏が言うような経験則も妥当であると結論付けられるかもしれない。

同時に「男性はガサツで気配りにかける」という女性のほうが優れた特性を示す領域もありこの分野に置いては組織運営で女性の能力のほうが上、という科学的な統計結果があるかもしれない。

これは、あくまで科学的な話で、性差があるのは当たり前であるが、ほとんどの場合、性差よりも個体差、個人差やトレーニングの有無でどうにでもなってしまう話でもある。

しかし、個人差のほうが大きいからと言って性差がなくなるわけではないし、そういう性差に言及しながら、あくまで個人差として能力がすぐれている女性が多い、と社会進出を賛美している、のが森発言である。

科学的な性差と経験則を表明し、不利な特性を克服して、社会進出を成し遂げる女性を賛美し、組織委委員長として積極的登用の意図ある発言だ。

自分は、理系で科学的事実を重視するので、このフェミ、ジェンダー界隈の科学的事実の言及すら抹消する、社会的にタブー視をさせるという風潮が気持ち悪くて仕方ないし、醜悪だと思っている。ジェンダーレスというのは科学的事実としてありえない。

平均的に、男性のほうが走るのや泳ぐのが速い、という誰でも知ってる事実を言及するのすら憚られる世の中なのか?自分はプログラマーだが、プログラミングの分野は野郎ばっかりである。これは根本には女性はこういう「機械いじり」があんまり好きではないのだろうと思う。実際稀に自作PCが趣味の女子がいて、レアで希少価値が高いのでYouTuberとして人気になっていると事実がある。

逆に、自分自身痛いほど自覚があるが20代までの男子は総じてボンクラばっかりで社会人労働者として完成度はかなり低い。女子のほうが早熟で完成度が高くいろいろ行きどどいて圧倒的に優れている。新入社員で比較すると女性のほうが環境適応能力も優れていて仕事もきっちりとこなす、という事実がある。

そして、こういう女性を持ち上げる言説は別にギャーギャー言われない、つまり「ジェンダーフリー」と言いながら、なんのことはない女尊男卑ならセーフという非対称性が存在する。

このような誤解が生じるのは一部の団体(政治家も含む)が、ジェンダーフリーの名の下に自ら考え方に基づいたフェミニズムを押し通そうとすることが原因だと推進派は指摘する。賛成派自体が「ジェンダーフリーはジェンダーレスではない」と唱える一方で、その実態が否定派の懸念する「ジェンダーレス」の内容と一致していることがある。例えば、賛成派が女性の社会進出を唱えるために「ジェンダーフリー」を持ち出す一方、従来の生き方を選択する女性に対して冷淡な態度をとる、あるいは従来の生き方を主張する保守派の男性を「女性差別」「男尊女卑」などと糾弾し、自らの主義主張を押し通そうとすることが挙げられる。

「女性にたいして評価基準を言及すること自体が差別的である」とかいう言い分は、まさにこれである。

だって、森氏は、ジェンダーに言及し、それに囚われない能力を評価したのだから何の問題もない。フェミ連中が大騒ぎしたのは、まさに「ジェンダーに言及した」という一点である。

性差は科学的事実としてある。言及するのをタブーとし、ジェンダーレスとすることは間違っている、ということを確認して、辻愛沙子の主張にもどる。

ジェンダーの視点でいうと、例えばおもちゃ売り場に行けば未だに女の子用のおもちゃはピンクで男の子用は青で・・・といったように、社会のあちこちで"当たり前"として刷り込まれるジェンダーロールが溢れている。偏見を持った発言をする本人が、なぜその発言をするに至ったのか。本人への指摘は勿論だけれど、その背景とセットで問題を捉えていかないと中々社会は変わっていかないように思う。

という記事があるのだが、まずこの人「現役女子大生」とかいうジェンダー言及に文句言わなかったわけ??と率直な疑問が出てくる。

明らかに社会的な性差で「現役女子大生」という属性を商品として利用している、と思うけどな。つまり、メディアに梯子かけてもらってるわけだ。

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こういうアート作品とかみても「女子っぽいな」と僕は思うわけだが、

例えばおもちゃ売り場に行けば未だに女の子用のおもちゃはピンクで男の子用は青で・・・といったように、社会のあちこちで"当たり前"として刷り込まれるジェンダーロールが溢れている。

君のこういう女子っぽいアートの感性って「刷り込まれたジェンダーロール」なわけ?ピンクとかハートとか?
多分、生物学的に女性ホルモンが脳に大量に分泌された結果だと思うけどね。

おそらくこういう「黒歴史」について彼女自身は勝手に「自省」「反省」しておられるのだろうけど、それを他人まで強要するなよな?と思う。非常に不自然で歪なことである。

個人と構造、そのどちらも社会の前進において向き合わなくてはならない要素だ。その上で、(それぞれ紐解いていくとこれまた凄い分量になってしまいそうなので)今回は1つ目の「個人」の変化にフォーカスを置いてこのnoteを書いてみることにする。
1つ1つの過去の言動を自省しながら、それらを繰り返さないようアンラーニングとアップデートを本気で取り組めと言いたい。

全体主義、ファシズムふたたび。

だけれど、その変化の過程において、他者がその意志の真意や過不足をあーだこーだ決めつけて上から批評する風潮は本当に良くないと思う。

そのとおり良くないことだと同意するけど、今それを君がやれって言ってるんだよね。大丈夫か?頭がくらくらする。

さらに、いくら変化の意志があれど変化の過程でまた間違いを犯したら指摘されて当然だし、過去に間違いがあったら尚更その声は厳しくなるし、その度に (一度で学んで欲しいが) 何が問題なのか反省しながらアンラーニングならびにアップデートすべきだと思う。

うん、やっぱ厳しく指摘されて当然だ、みたいに言ってるね?反省しろと、アンラーニング「すべき」だと強力に内心に介入。

変わる側も、自分の過去を刺される覚悟を痛みとして持ちながら進まないといけないし、それほどこれまで誰かを無自覚に踏みつけて来たのだと押して知るべしだとも思う。
その上で、間違えたら指摘し、必要があれば適切な処罰や措置が下される。指摘されたら反省し何が問題だったのかを学び繰り返さない(1度の指摘で学んでくれ(n回目)) 。 綺麗事だとか牛歩だとか思うかもしれないが、社会全体でその繰り返しをしながらアップデートしていくしかない。

処罰や措置が下される」ですか?うん、やっぱ再教育キャンプみたいなもんですね。思想統制ファシズム全体主義国家バンザイか。

日本は君みたいなもんが支配権を握っていない現状まだ幸いなことに、思想の自由も憲法で保証されている民主主義国家なんでね。君のその狂った左翼全体主義思想を矯正してくれる再教育施設を作ったら自主的に数年ほど入所してみるか?

「自分は間違えない側」として誰かの変化の過程を上から批評するのは、また別の偏見に繋がりうるとすら感じる。1つの差別を否定するために別の差別やレッテル貼りをしていないか、常に自覚的でありたい。

言葉尻では、自分の絶対正義は否定するように、自覚的でありたい、とか書いてるんだが、ずっと書いてるの真逆だからな。まったく思考が一貫してない。

多分おそらくフェミとか、左翼とか、こういう人らって、こういうどっかネジがぶっとんで平気で思考が破綻していないとそういう思想にならないんだと感じる。

「必要な時に声を上げられたり、間違いが忖度なく批判される環境」と「変化の過程を野次らない風土」の2つは、二項対立ではなく共存し得ると思うのです。

無理。こんなボサーっとした一貫性のない思考ではやることは全体主義の言論思想統制しかないし、実際君の活動ってそうじゃない。森さんリンチとか。なんともおもってないんでしょ?

未だかつて人類はまだ一度も差別や争いのない世界を達成していない訳で、まだ誰ひとりとして完璧ではないはずだから。

思想統制したら可能だと思う。

私自身も自省の念をこめて。

無理だと思う。かなりの重症。

唯一の解決策は、再教育キャンプでアンラーニングかな?洗脳とも言うよ。

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