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ある男の遺書(1)




もう3年ほど前になる。
その日は友人と吉祥寺で酒を飲んでいた。次の日が仕事で早いという友人のため、その日は21時前に解散した。盆前の暑い夜だった。
僕はどうしてもまだ帰る気になれず、ぶらぶらだか、ふらふらだか、とにかく散歩をした。気づけば三鷹駅まで歩いていた。
どこか飲める場所はないだろうかと店を探しながら歩いていると、地下に続くBarを発見した。木製の扉を開け、鈴の音がカランコロンと僕を迎えた。
店内はカウンター席のみ。照明は暗すぎず明るすぎず、なんとか本が読めるほどの明るさだろうか。ジャズのBGMが心地よい。先に男性客がひとりで飲んでいた。僕はひと席あけて横に座った。

60歳前後のマスター。細身で身長も高い。白髪と金髪が混じったような長髪を後ろで束ねていて、伸びた顎ひげの白さが仙人を思わせる。ジーパンに麻のワイシャツというシンプルなコーデがよく似合う。


僕はグレンフィディックのソーダ割りを頼んだ。マスターは「はい」とだけ返事をして淡々と手際よくお酒を作り始めた。


隣の男性はなんだか怪しげな雰囲気だった。そう思って横目で見ていると、突然、ウイスキーは好きか、と男が尋ねてきた。好きだがあまり詳しくない、と答えた。次に、文学は好きか、と尋ねられ、好きだがあまり詳しくない、と答えた。太宰治を読むか、と聞かれ、読んだことはあるがあまり詳しくない、と答えた。
男は橋爪と名乗った。歳は38だった。僕よりひと回り年上だった。スラリと背が高く、洒脱な雰囲気があり、目鼻立ちも良い方だ。でもなぜだか怪しげな雰囲気を漂わせている。体全体からダークマター的な未知の空気を放出しているようだった。


「ここ三鷹にはかつて太宰治が住んでいた。彼のお墓だって三鷹にある。禅林寺というところで、ここから歩いて10分ほどのところだ。森鴎外のお墓もそこにあって、太宰は森鴎外のことを敬愛していたから、死んだら同じ墓地に自分の墓をたてたいと言っていた。小説にも書くほどだから相当な思いだったろう。まぁそれが叶ったわけだ」

その日、橋爪は太宰の墓参りに行ったという。太宰の親戚関係なのかと思ったが、どうやらただの読者らしい。なるほど大ファンと見た。

太宰が好きなんですね、と僕が言うと、いいや、嫌いだ、と橋爪は答えた。嫌いなのに詳しいんですね、と言うと、嫌いなものを詳しいのは変か? と橋爪は僕に聞いた。いや、そんなことはない思います、と僕は答えざるを得なかった。

橋爪の頬の赤と対照に、男の瞳を黒い影がふち取っていた。その黒い影から足早に頬を伝った何かが、僕には汗に見えた。真夏の暑い夜だった。



この橋爪という男は、出版社に勤め、編集者として活躍していた。なるほど、太宰に詳しい理由がわかった。
その後も橋爪は、文学から映画、音楽や美術、演劇や建築まで幅広い話を聞かせてくれた。僕にとってはどれも興味深い話ではなかったが(つまり僕は芸術分野に疎かった)、非常に博識な人で、橋爪という男の印象は強く残った。


その日、僕たちはそのまま別れた。これが3年前の話である。



→つづく

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