第5回 『チェーホフの銃』とガンダムシリーズにおける銃(ガンダムシリーズ考察)【考察】

はじめに

はじめましての方ははじめまして。そうではない方はお世話になっております。吹井賢です。

コラム『吹井賢の斜に構えて』第5回は、創作者には馴染み深い『チェーホフの銃』の概念、そして、それを踏まえたガンダムシリーズの銃描写についてです。

最初にお断りをば。

※今回のコラムには『機動戦士ガンダムSEED』『機動戦士ガンダム00』『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の一部ネタバレが含まれます。

※本当に一部のみのネタバレです。

※また、下記の内容は吹井賢の考察に過ぎません。ご了承ください。

それでは始めます。


『チェーホフの銃』って?

浅学な吹井賢もよくは知らないので、Wikipediaさんの解説を参考にすると、『チェーホフの銃』とは、「ストーリーの早い段階で見せた要素を後半で活用する創作上のテクニックのこと」、そこから転じて、「物語内で取り上げない要素についてはそもそも描写すべきではない」という創作上の考え方だそうです。

例に挙げられるのは、壁に掛けられた銃ですね。

壁に掛けられた銃は後に使用されねばならない――発砲されないのであれば、出すべきではない。これが『チェーホフの銃』の考え方です。


ストーリー上で必須ではない要素をリアリティーとして考える吹井賢は、この『チェーホフの銃』に諸手を挙げて賛成するわけではありませんが、考え方としては合理的ですよね。

少なくとも、物語展開に全く意味を持たない同性愛者設定を付けるような作家、要するに吹井賢の作品よりかは、スッキリした話になりそうです。


※補足すると、吹井賢は「現実世界にLGBTQの人間が存在する以上、物語的に意味がなかろうが一定数いなきゃリアルじゃねえだろ」という思想を元に設定を作っています。


さて、では今回はこの『チェーホフの銃』の概念、雑に纏めると「使わねぇなら余計な要素出すな」を踏まえて、ガンダムシリーズの銃を見ていくことにしましょう。


『機動戦士ガンダムSEED』における拳銃

2021年9月、新展開も決まっているSEEDシリーズですが、SEEDシリーズで「銃が出てきた場面」と言えば、どのシーンを思い浮かべますか?

吹井賢は間違いなくアンドリュー・バルトフェルド(以下「バルトフェルド」)との問答です。


HDリマスター版のPHASE-19『宿敵の牙』に、吹井賢の大好きな名台詞が出てきます。

戦争には制限時間も得点もない スポーツの試合のようなねぇ なら、どうやって勝ち負けを決める? 何処で終わりにすればいい?(リマスター版『機動戦士ガンダムSEED』19話)

そうして”砂漠の虎”アンドリュー・バルトフェルドは続けます。「敵であるものを全て滅ぼして、かね?」と。


この場面は後の展開(カガリの「それで平和になるのかよッ!」の辺り)に生きてくるのですが、それは今回、脇に置いておきましょう。

ここでバルトフェルドがキラ達に向けているのは、ごく普通の自動拳銃です。

このシンプルイズベストなデザイン、グロックっぽいですが、どのハンドガンをモデルにしたのかは分かりません。


では、やたらと銃で撃ったり撃たれたりが多かった『鉄血のオルフェンズ』ではどうでしょう?


『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』における拳銃

正直、「『鉄血のオルフェンズ』において印象的な銃が出てきた場面って何処ですか?」と訊ねられても、「多過ぎて一つに絞れねぇよ」と答えたくなりますが(この作品、銃で撃つシーンと銃で撃たれるシーン多過ぎる)、吹井賢なら、一期の前期OP入りを思い出します。

そう、クソカッコいいイントロから始まるマンウィズの楽曲、『Raise your flag』です。


モノクロの世界、路地裏で銃を持って立つ三日月……。「Raise your flag~」の歌い出しと共に血溜りに誰かが足を踏み入れ、血が跳ねると共に映像に色が付き、三日月&オルガ、鉄華団とバルバトス、そして、タイトルバック。

鉄血世界の不穏さと鉄火場で生きる者のカッコよさが一目で分かる良いOPです。


で、そのクソカッコいいイントロ部分で三日月・オーガス(以下「三日月」)は銃を持って立っているわけですが、この拳銃もオートマチックですね。

トカレフっぽいですが……どうなんでしょ?


ともあれ、これまで見てきた二作品には、「一目見て拳銃と分かるような銃」が出てきていたことは同意していただけると思います。


『機動戦士ガンダム00』における小銃と拳銃

さて、『機動戦士ガンダム00』ではどうでしょう?

こちらも初っ端の初っ端、後の刹那・F・セイエイ(以下「刹那」)であるところの少年兵、ソラン・イブラヒムが、MSが闊歩する戦場を小銃一つのみを持ち逃げ回るという壮絶なシーンから始まります。

この世界に……神なんていない……!(『機動戦士ガンダム00』1話)

神様がいないどころか、ありそうなのは死体と絶望くらいのもんです。


このシーンで少年兵時代の刹那が持っているのはアサルトライフルでしょう。

緩い曲線を描くようなデザインのマガジンから、AK系列かな?と思いますが、ぶっちゃけ僕は自動小銃の区別がほとんど付かないので、何をモデルにしたのかは分かりません。

ですが、ありそうなデザインだなー、とは思います。


しかし、これが拳銃になると変わるのです。


『聖者の帰還』における拳銃

吹井賢はダブルオーが大好きですが、一番好きなエピソードはファーストシーズンの13話『聖者の帰還』です。

民族同士の紛争、そこに介入する大国と民間軍事会社、犠牲になっていく街と市民、非対称性の戦争が続く現代社会を映し出したような描写「『刹那』というキャラクターと彼にとっての『ガンダム』」というダブルオーの根幹部分が目白押しの大好きな回です。


完璧に「現地の少年」を演じていた刹那が拳銃で武装していることを見抜き、

後ろに隠しているものは何かな?(『機動戦士ガンダム00』13話)

と問い掛け、不敵に微笑むグラハム……。カッコ良過ぎです。

(というコイツ、勘が異常に鋭いと思ってたけど、この頃からかよ)


本題に戻りましょう。

このシーンで、刹那は拳銃を背後に隠していたわけなのですが……。

この銃が、何をモデルにした拳銃なのか、吹井賢にはサッパリ分からないのです。


銃のデザインとSF性

ここから先は吹井賢の推測なのですが、ダブルオーにおいては、「近未来っぽい銃のデザイン」に拘ったのではないでしょうか?

設定上、ソレスタル・ビーイングは作中のどの勢力よりも進んだ科学力を持っています。それをさりげなく示す為に、あえて既存の拳銃にはあまりない形状の銃を刹那に持たせた。


同話、刹那は以下のような台詞と共にエクシアの光学迷彩を解除します。

GNシステム、リポーズ解除 プライオリティを刹那・F・セイエイへ 外壁部迷彩被膜解凍 GN粒子散布状況のまま、ブローディングモードへ(同作・同話)

……これも、かなり分かりにくい言い回しですよね?

ですが、こちらも同様で、あえて分かりにくい用語を使い、それが音声認証されることで、ソレスタル・ビーイングの科学力を示しているのだ、と吹井賢は推察します。


SEEDも近未来的設定ではあるのですが、バルトフェルドが構えた銃は、「人を殺すモノ」「戦争の道具」としての拳銃なのです。

あのシーンでは視聴者が一目見て、「拳銃だ!」と分かる必要がある。

故に、僕達の世界(現代)と近い形状のデザインをしている。

吹井賢はそう考えています。


バルトフェルドの銃も、刹那の銃も、結局は撃たれませんでした。

けれども、その二つのデザインには作品としてのスタンスの違いがよく出ている。

皆さんも是非、好きなSF作品の銃描写に注目してみてください。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




宣伝

最後に宣伝!


よもや君達がこの記事を読んでくれようとは。乙女座の私には、センチメンタリズムな運命を感じられずにはいられない!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?