第4回ゲーム障害勉強会:「教育とデジタル機器」そして「学校のタブーとゲーム障害」
3月16日、私赤松健は、参議院議員会館にて 【第4回 ゲーム障害勉強会】 に参加しました。
ICD-11に Gaming Disorderが収載され、政府において国内対応に向けた取組みが進められております。しかしながら、Gaming Disorderについては、原因や治療法、予防法等について科学的知見がないとされており、収載の経緯についても疑義が呈されています。
そのような中、根拠がないにもかかわらず、ゲーム時間の制限や依存症の治療・予防と称した取組みを広げる動きが行政機関において出てきました。 これらは行政のあり方として非常に問題であり、極めて危険です。
そこで私、赤松健は、この度さまざまな専門家の方々からご知見を賜り、いわゆる「ゲーム障害」について、多角的に事実を把握するため、参議院議員山田太郎先生によりシリーズで開催されるゲーム障害勉強会に参加することにいたしました。
第4回の今回は、この勉強会のアドバイザーを務めていただいている大阪大学の井出草平先生に「教育とデジタル機器」 、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)の豊福晋平先生に「学校のタブーとゲーム障害」というテーマでご講演いただきました。
「教育とデジタル機器」井出草平先生(大阪大学)
「情報モラル教育」の重要性とその実態
「情報モラル教育」というのは学習指導要領の中で登場している言葉で、「情報社会で適正な活動を行うための基になる考え方と態度」と定義づけられています。これが必要とされた背景としては、情報がネットワークを介して瞬時に世界中に伝達されるというインターネットの性質から、対面のコミュニケーションでは考えられないような誤解を生じるなど予想しない影響を与えてしまうといったものがあります。
確かに、この情報社会における適正な活動を行うための基となる考え方や態度、とりわけインターネットやデジタル機器とどう付き合っていくかという点について、教育に取り込んでいくことは言うまでもなく重要なことです。
では、「情報モラル教育」の実態はどのようなものとなっているでしょうか。ここで、小学校低学年の子ども達に向け、スマホやネットとの付き合い方について書かれた文科省の資料を見てみましょう。
「悪口はやめよう!」「誰が書いたか分かることもあるよ。」といった、言ってしまえば「脅し」ともとれるような文言が並んでいるのが分かります。
こうした「脅し」の意図は、文科省委託事業の書籍にも表れています。下書籍は、文科省委託事業として平成12年に出版された書籍であり、文科省の情報モラルのページからもリンクが貼ってあります。
当該書籍には、ネットで起こりうる事故・犯罪・詐欺などのトラブルが。列挙されており、危険なものだということがこれでもかと強調されています。
デジタル機器に葛藤を抱える大人達
井出先生曰く、こうした「脅し」とも取れる教育は、私たち大人が抱えている、デジタル機器利用の教育に対する葛藤からくるものだと言います。
このデジタル機器利用の教育は、いわゆる認知的不協和の理論から説明がつくとのことです。喫煙者を例に認知的不協和の理論を説明します。
タバコが大好きで毎日吸っていたい 。
タバコは体に悪い、ガンの原因になるらしい。
2つの反する認知があるとき、これが認知的不協和が発生している状態です。この認知的不協和を解決するためには、たばこをやめるか、あるいは、タバコはやめないが、タバコをやめるとストレスがたまり余計に体に悪い、100歳まで生きた人がいる、といった話を持ち出して、「タバコは体に悪い」の情報が誤りだと信じるといった正当化の方法が考えられます。認知的不協和が生じたときに、後者のような認知の変化により、正当化させる心理的傾向を人間が有していること、これが認知的不協和の理論です。
この認知的不協和の理論が示唆するのは、相反する認知を抱え続けるのは人間には難しく、そして、どちらかに振り切った結論に人間がたどり着いてしまうということです。
デジタル機器利用の教育に対する葛藤を認知的不協和の理論から分析してみましょう。
こうした相反する認知が生じており、教育のデジタル化においても認知的不協和が生じています。
私たち大人は、デジタル機器の教育について、認知的不協和が生じていることについて自覚しなければなりません。すなわち、この相反する認知に気持ち悪さ・不安を抱え続ける覚悟が必要で、この覚悟がなければ、認知的不協和を解決するために振り切ったかたちでの誤った結論に陥ってしまう恐れがあります。
子どもがデジタル機器利用に詳しくなる一方で、きちんと大人の言う通り使い方を守ってくれる、という結末は空想の産物です。「脅し」を使いながら厳しく取り締まったところで、得られるものは子どものデジタル機器スキルではなく、大人の心の平安に過ぎないのです。
危険を織り込んだデジタル機器教育が必要
それでは、デジタル機器における教育、とりわけインターネットにおける危険性から身を守るすべはどのように学んでいったら良いのでしょうか。井出先生曰く、貿易用語になぞらえて、教育戦略としては2つあると言います。
1つは保護主義、すなわちなるべき危険な目に合わせないようにする戦略です。もう一つは自由主義、多少の危険な目に合いながら学んで育たせる戦略です。しかし、貿易の考え方になぞらえれば、保護主義は自国の産業は守れるが発展はしません。同じことがデジタル機器教育にも言えるとのことです。
子ども時代には、デジタル機器を積極的に使ってもらい、インターネットで失敗させる戦略が必要です。言うまでもなく、これからの時代、デジタル機器・インターネットの利用を回避するのは不可能ですから、上手い利用の仕方を学ばなければなりません。しかし、上手な利用方法の習得は、失敗の数、試行錯誤の回数で決まります。そのため、デジタル機器を積極的に使ってもらい、インターネットで失敗してもらわなければならないのです。
ただし、子どもが立ち直れなくなるような致命的な失敗は避けなければなりません。この致命的な失敗から守るのが大人の役目となります。
したがって、本来的には、子どもをインターネットから遠ざけるのではなく、むしろ積極的に利用させ、試行錯誤の機会を与えることが重要なはずです。
インターネットも現実世界も危険があるのは一緒です。現実世界での外遊び・運動でも、子どものケガはつきものですが、小さいケガから大きなケガへの回避方法を学んでいき、運動能力も育っていきます。デジタル機器教育も同様です。
「脅し」の切り札としてのゲーム障害・スマホ依存
しかし、デジタル機器教育においては、上述のように「脅し」を用いた教育が横行するにとどまらず、ゲーム障害やスマホ依存といった単語を持ち出し、精神疾患をことさらに喧伝し、さらなる「脅し」をかけてゲームやスマホの使用をやめさせようという動きが最近目立ちます。
赤松注:勉強会では紹介されませんでしたが、最近のニュースとして以下のようなものがあります。
https://benesse.jp/kosodate/202203/20220325-1.html
https://www.sanspo.com/smp/geino/news/20220325/prl22032509320011-s.html
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022032500216
ゲームやスマホの適正使用を促すこと自体は必要です。もっとも、「適正使用」とは、使用の内容をコントロールすることではなく、「過保護」とは異なるものです。上手な利用方法の習得には、失敗や試行錯誤が必要で、このためにはある程度の自由度を保証しなくてはなりません。そもそも、ゲームやインターネットの世界について大人が子どもの知識を越えることはないのですから、コントロールが土台困難なものなのです。
「脅し」ではなく「信頼」に基づくコミュニケーションを
情報モラル教育にみられる「脅し」をベースにコミュニケーションは破綻します。なぜなら、「脅し」をベースとしたコミュニケーションは、早晩、ウソであることがバレてしまうからです。たとえば、「誰が書いたか分かることもあるよ」といっても、 YouTube に悪口を書き込んでも大抵の場合にはバレないことくらい子どもはすぐに気づいてしまいます。井出先生曰く、こんなウソを公教育で教えることにむしろ問題を感じるとのご意見でした。
「脅し」ではなく、「信頼」をベースとしたコミュニケーションをとるべきです。自由度を与え、致命的なものは避けつつ失敗・試行錯誤させ、学習してもらう。これが、現代のデジタル機器教育において求められていることなのです。
「学校のタブーとゲーム障害」 豊福晋平先生(国際大学GLOCOM)
今は工業社会から情報社会への公教育の転換点にある
19世紀から20世紀に発展した工業社会から、21世紀の現代においては、情報社会への転換が起こっています。公教育という面からは、「社会要請」「公教育」「要求知識」「能力観」の4つの観点から大きな変化が起こっています。
学習へのデジタル化効用
教育におけるICT機器の利用は、以下のような効用が期待できます。
柔軟で迅速なデジタルコミュニケーション
クラウドによる情報リソースのモビリティ
学習機会の偏在から遍在へ
自在な道具立て、AT(支援技術)
この効用における「道具立て」とは、設定条件に応じた適切な道具・方略の選択(とふりかえり)のことを言います。特徴としては、①当事者が関与・決定すれば貴重な学びになる②条件や主観によって毎回妥当な解は変わる③世代の経験や先入観に左右されるといったものがあります。
学習者中心の文具的ICT活用
これからの情報社会では、学習者中心の文具的ICT活用が求められます。教員主導の教具発想では、ICTの利用頻度・時間・用途は拡大しません。
ゲームの効用
こうした教育におけるICT活用の中でも、ゲームの効用が非常に評価されており、教育において取り入れられてきています。
日本のICT教育利用の散々たる実態
ICT学習は世界各所で評価され、教育での導入が進んでいるにも関わらず、日本の教育だけがICT学習の導入において取り残されている状況です。
2009年時点でICT学習活用度が校内外で最下位であり、9年後の2018年においても、最下位であることに変わりがないばかりか、他国とさらに大きな差をつけられてしまっている由々しき事態です。
豊福先生曰く、こうしたICT教育利用が進まない現状には、学校がICT教育利用を排除しようとしていることが原因にあると言います。
井出先生の講演にて文科省の資料でゲーム障害・ネット依存のおそれを煽る現状の説明がありましたが、ゲーム障害・ネット依存を利用する学校の実態があります。学校では、ネットやゲームの利用抑制(時間制限)及び禁止の指導がなされています。
こうした指導は、ICTに対してネガティブな保護者との共犯関係を結ぶ効果があり、子ども教育におけるICT利用をよりいっそう減退させる事態を招いています。
なぜ学校はゲーム・ネット・スマホを目の敵にするのか?
なぜ学校はゲーム・ネット・スマホを目の敵にするのでしょうか。
この問題を考えるにあたっては、まず学校のデジタル・ジレンマ課題に触れなくてはなりません。
ICT教育利用は、伝統的な教育方法、すなわち一斉授業との対立を生みます。一緒・稀少な学習機会・受動的・忍耐といった特徴を持つ19世紀的な教育から、現代では、個別・豊富な学習機会・能動的・欲求による自然な行動といった特徴を持つ21世紀的な教育へ変化しています。
この変化に対応するため、ICT教育利用が必須になりますが、利用による効用を得るためには、子ども本人の道具立てと習熟が必要です。したがって、どうしても授業で統制的に使うにはリスクが大きいという認識が広まります。
しかし、教員が教育の全部を管理・指導・統制するのは困難である一方、ICT利用を「校外の厄介事」による排除はもはや不可能で、無責任とすら言うべきでしょう。
学校がゲーム・ネット・スマホの利用について抵抗感を見せるもっともらしい理由は、長時間利用は勉強の邪魔であることや、保護者からの不安や懸念です。
しかし、その本音は、教員が統制や評価を独占出来ない事態への恐れや、子どもの方がICT機器について有能であり学校の権威構造の破壊につながる恐怖にあります。
こうした恐怖から、学校側で防衛機制が働き、ネット・ゲーム・スマホは「校外の厄介事」扱いとなり、ICT機器の学校現場からの排除、過小評価、矮小化へとつながっているものと考えられる、というのが豊福先生のお考えでした。
GIGAスクール後のICTとの向き合い方
GIGAスクール後においては、日常の連絡・宿題・制作がデジタル化し、“タブレット/パソコン利用=遊び”ではなくなります。ネット利用は、校外の厄介事で利用抑制と時間制限の対象から、校内外の日常へ、そして自身が考え解決するものとなります。
そして、指導重点も、情報モラル教育からデジタルシティズンシップ教育へと変わるべきと豊福先生は仰ります。
デジタルシティズンシップ教育の導入
デジタル・シティズンシップの指導とは、テクノロジーの善き使い手になるための教育であり、①安全②責任③相互尊重の原則のもと、デジタル環境の持続的利用を前提に自律と課題解決を促すものです。これにより、デジタルコミュニケーションの道具的価値を積極的に認め、社会(公)への参加を促す効用が期待されます。
例として、メディアバランス、すなわちメディアと自身の向き合い方を考える指導が考えられます。この指導においても、メディアの利用抑制をするのではなく、あくまでメディアに対する自身の反応を見て、なにを、いつ、どのくらい使ったかで、自分の気持がどう変わったかを考えてもらうといった指導になります。
デジタル・シティズンシップ教育の実装のためには、具体的には、以下のようなことが考えられます。
校外の厄介事(生徒指導事案)ではなく、校内の学級指導レベル(同意書も)
数年に一度怖がらせるようなやり方は通じない
6領域(※)を横断的に扱うために、各学年で年間4~6校時が必要
道徳の関連領域を読み替えて実施
保護者との共通認識づくり
※6領域とは、メディアバランスと良い生活、プライバシーとセキュリティ、デジタル足あととアイデンティティ、人間関係とコミュニケーション、ネットいじめとヘイトスピーチ、ニュースとメディアリテラシーのことです。
今回の勉強会を受けて、赤松健の想い
前回(第3回)までは、ゲーム障害に関係する「言葉」の正確な定義を再確認し、それを官僚に対して「いい加減なことをガイドライン等に書かないように」と念押しするのも大きな目的の一つだったのです。
しかし今回(第4回)は、子どもに対する接し方(脅しではなく信頼関係で)や、学校でのテクノロジーの導入など、より現場感あふれた勉強会となりました。
また、スキナーによる「プログラム学習の原理」の紹介があり、
積極的反応
即時確認
スモールステップ(最初は簡単)
自己ペース
といった「ゲームと同じ原理」を取り入れることによって、「進んで勉強し、それを反復するようになる」との効用が説明されました。これは、生徒それぞれに個別PCが与えられるようになった現代でこそ、初めて実現できる手法です。ゲームを敵対視するより、その効用を取り入れ、うまく付き合っていく方法を模索すべきである、と強く感じています。
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