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無職エントリ『無職をこじらせて -31歳。独身、無職。それでも生きる-』

今日、最終出勤日を迎え、無職となった。
正確に言うと、まだ有給消化中なので、会社に籍は残っているが、もう間もなく"職"を失う。

無職
読み方:むしょく
定まった職がないこと。

デジタル大辞泉(https://www.weblio.jp/content/%E7%84%A1%E8%81%B7)

無職とは、「定まった職がない」状態を表すそうだ。
定まった職ってなんだろう。毎日、出勤する場所がないのか。それとも定期的な仕事がないのか。同じ仕事をしないことなのだろろうか。
そんなことを考えているが、今、世間一般的にいう『無職』という状態になっていることに違いはない。

私は、無職になりやすい。
30年の人生の中で3度、無職になっている。クビといわれる解雇や雇い止め、内定取り消しなど、どうしようもない状態ではなく、自ら辞めるいわゆる「一身上の都合による」退職というものだ。

なぜ仕事が続かなく無職になってしまうのか。なぜ働くことにが向いていないのか。そんなことを常々考えている。


組織で働くことが苦手

ひとつの理由としては、組織という枠の中で働くことが苦手なのだと思う。子供の頃からグループで遊ぶというより、ひとり遊びが好きで、砂場でみんなと遊んだりするが、誰かと協力して大きな山やお城を作るというよりか、自分一人でいかに納得するものを作っていくかが好きだった。
誰かに砂で山を作ってもらっても、山が気に入らない形だったら自分で手直しする。そんな子供。

そんな子供が大人になってしまったらどうなるのか。それは、仕事を誰に任すことをせず、全部自分でやろうとするという大人になるのだ。
誰かに任すより、自分でやったほうが早いし、なんなら自分のほうが出来が良く、そのことを誰よりも理解もしていると思っている。組織の中で、誰かに任すより自分の中で完結して仕事をしたほうがいいと。
もちろん、自分がやるべき仕事ではないものは、誰かにボールを投げてはいるし、ボールを投げられてもやりたくない仕事はシレッとかわしたりもしている。

デザイナーをやっていてたときは、イラストや写真はプロに頼んでいた。文章はコピーライターやライターなども関わっていた。それは、組織というより個人同士の繋がりで、自分の力では出来ないことだから協力してやれていたのだと思う。上司がいたこともあるし、上司を尊敬していたが、心のどこかでは少しやりづらさはあった。また、部下にも仕事を投げられない、どこか任せきれないということが多く、そのことが組織というものを苦手になった原因かもしれない。

あと、組織が苦手な理由としては、いいリーダーと出会えていないことも一つの要因だ。強かったり、少し隙があったり、チャーミングだったりそんな組織のリーダーのもとで働けたことが少ない。
出会ったリーダーたちは往々にして、中間管理職タイプの上やクライアントの言いなりの人たちばかり。そんな組織の中では、右往左往、行ったり来たりを繰り返す仕事ばかりで、仕事のやる気を失っていくことが多かった。

そんなことから、ひとりで仕事をこなし、抱え込み、爆発寸前まで働く。そして、組織が苦手になり、組織の中のひとつのコマとして動くより、自由に生きることに快感を覚えて、仕事を辞め、無職になっていくのである。

人生設計のなさ

普通の大人と言われる人たちは、計画性を持って人生設計を立てている。
この時期には、この年収で、結婚をして、家を買ってなど。だが、私はこの人生設計というものがめちゃくちゃ苦手だ。

仕事における段取りや、旅行、休日のどこに行こうなどの計画は綿密にできるのだが、いざ自分の人生という大きな計画になるとできない。
仕事がなんとなく嫌になってきたら、転職先や定期の仕事を確保する前に辞めてしまうし、辞めることを見越してもっと貯金をして、投資をして、お金を確保しておけばいいいのに、それもせず目先のことにお金を使い、宵越しの銭は持たないという状態。

この計画性のなさをこの年齢になってから治すのは至難の技だ。だからこそ、人生の設計を一緒に立ててくれる人が欲しいと思うし、もしその設計が間違っているときに正してくれる人が欲しい…。

楽して生きたい

辛いことはしたくないし、悩みたくない、自分の気持に素直に生きたい、ストレスを感じずに生きたい。そんな願望がMAXになった瞬間に、溜め込んでいたストレスを爆発させるように無職になっている気がする。
程々に楽して生きたい欲を発散でいれば、辞めることなく長く働けるんですけどね。


無職歴書

1度目の無職

高校を卒業後、都内にある東証一部上場の大手高級クリーニングチェーンに入社した。その会社では、約2年間、ドライクリーニングの仕上げに従事し、スーツや洋服を数多くアイロンがけをする毎日だった。
目標の点数を達成するため、100度を超えるアイロンを持ち、服のシワをロボットように伸ばす。そんな日々に嫌気がさし、そして自分のやりたいことを学ぶためにグラフィックデザインの専門学校への入学を決意。クリーニング会社を辞めた。
年末に辞めたため、専門学校入学までの4ヶ月間、ほぼ無職となった。

そのほぼ無職の期間は、貯金もなかったため、どうにか働こうと派遣のアルバイトに登録をした。その派遣会社というのが、特殊な会社で、美術館の案内や看視のアルバイトを得意とする会社だった。

六本木アートナイトの期間に開催されていたアートフェアの誘導、案内や、恵比寿の美術館の屋外作品と美術館内の看視のアルバイトなどをしていた。

その期間、無職という名のフリーター期間で面白かったのが、美術館の裏側を知れたということだ。
何気なく観に行っていた美術館だが、看視の仕事はただ座っているだけではない。作品に指を指そうとするお客さんにお声がけをして、飴・ガムを舐めているお客さんに吐き出させて、ボールペンを使っているお客さんに鉛筆を貸出し、人が多ければ注意して看視するという業務で、接客というより作品をどう守るかを第一に考えていた。
なぜ指を指してはいけないかというと、もし後ろから押されて倒れてしまったときに指をさしていたら作品に当たり傷や破れる可能性がある。飴・ガムは口から飛んでしまう可能性がある。ボールペンがインクが飛び散る可能性がある。最悪、鉛筆なら修復が容易であるから。

この無職期間は絶望というより、次のステップへの無職で当時20歳ということもあり、「希望に満ち溢れた無職」だった。(無職で希望に満ち溢れることがあるのかは甚だ疑問だが。)


2度目の無職

2度目の無職は、グラフィックデザイナー時代に訪れた。
フリーランスとダブルワークする形で、契約社員として働いていたネット広告代理店の契約更新がされなかったときだ。フリーと言っても安定した仕事があるわけでもなく、仕事がゼロの月もあったのでネット広告代理店の仕事はありがたかった。
契約更新されなかったといっても雇い止めではなく、仲が良かった上司や同僚がどんどん辞め、環境が悪化していったので、自ら辞めたいとと申し出て、会社側が温情で会社都合として契約を更新しないとしてくれた。

会社都合で契約を更新しないとなると、すぐにもらえるのが失業手当。通常の自己都合の退職だと、失業保険をもらうために待機期間という謎の3ヶ月の無職期間を過ごさなければいけないのだが、会社都合で辞めた場合はそれが免除。ハローワークに行って定期的に就活してますアピールをすれば、失業保険をもらえる。

そんな、失業保険をもらいつつ無職になっていた。
新宿にあるハローワークに2週間に1回か、月1で通っていたのだが、そのハローワークの空気が本当に苦手だった。そんなことはないのだが、無職である自分は「あなたたちは社会不適合者です。」、「職を失ったのはあたなのせいです。」のような雰囲気がある空間で、受給面談もハロワ職員、失業保険受給者ともやる気のない感じで、ただ受給するための判子(個人的には無職の烙印と呼んでいた)をもらうための、なんの意味のない時間を過ごしていた。いかにもお役所的な空気。

行っていたハローワークは新宿のビルの5階くらいにあった。同じビル内にオフィスあるの会社員が同じエレベーターに乗ってくると、「あ。こいつ無職でハロワ行くんだ。」みたいな視線を感じていて、本当に嫌だった。

その後、書店にアルバイトとして入社した。


3度目の無職

3度目の無職は、今だ。現在進行系の無職。
2度目の無職になったあとにアルバイトとして入った書店。入社したてはフリーランスのデザインの仕事をたまにやりながらのアルバイトだった。
その後、デザインをしなくなり、書店一本で働きはじめ、3年目には正社員登用されるなど、比較的順調な書店員人生を送っていた。
しかし、組織で働くのが苦手な私。ひとりで色々抱え込むので、まあ色々あり、4年目にメンタルを病み、5年目にさらに大病みをして、退職することを決意。そして、無事、無職に落ち着いた。

会社やお店自体の雰囲気も変わり、方向性も自分が理想とする環境でなくなり、もともと2023年いっぱいくらいで退職しようと思っていたのだが、休職して考えてみてそれが少し早まった。(本当は、転職活動をちゃんとしてから辞めるつもりだったが。)

病んだ時に3ヶ月休職していたのだが、やはり無職は気楽だ。好きなものを読み、観て、書く。夜明けとともに起き、日が沈んだら寝る。太陽とともに生活をしていて、とても健康的になった。

もちろん、無職はお金がない。生活できるか不安でもあるが書いた通り、失業保険などの制度もあるし、税金なども収入がないことを証明できれば色々な方法があるし、役所って偉そうで苦手だけどいざ相談すると色々と教えてくれる。(書くものが大量にある書類地獄が待っているが。)

「働かざるもの食うべからず」みたいなことわざがあるが、「働かなくても食ってもいいじゃん。食って休んだあと働けばいいんだから。」と思っている。無職は、悲しいことではなく、自分と向き合う期間でもある。人生設計ができない私でさえ、無職は人生設計を考える時間になっているのだから。

無職であることは、恥ずべきことではないと、もし今後何かしらの理由で無職になってしまった人がいたら、そう思って欲しい。


3度目の無職の今後

現在進行系、無職の私だが、今後どうしようか絶賛思案中。
どこかの企業で社員になるべきか、何か自分でやろうか。フリーターになるのか…。失業保険を待つのも長いので、とりあえず社会復帰がてらどこかでアルバイトでもしようかと思っている。

これを読んでいる方で、「どこかいい会社、職場あるよ!」、「うちにぜひ!」という方は、ご連絡ください。

ナガサワケンタのスキル
・新刊書店の書店員:
 発注、棚管理、フェア企画、雑貨仕入れ、ZINE、リトルプレス直取仕入れ、古書仕入れ、選書、選書コメント執筆。イベント運営、イベント配信など。

・現代アート販売:
 アーティストの発掘、展示企画、作品販売、インストールなど

・グラフィックデザイン
 ポスター、フライヤー、名刺、メニューなどのデザイン。社内報、冊子デザイン。書籍のデザイン(デザインは、5年ほどのブランクあり)

PC関連
・Adobe Illustrator、Photoshop、InDesign、Premiere Pro
・Microsoft Office:Word、Excel、PowerPoint(Excelは簡単な関数操作可)
・HTML 、CSS、JavaScript、jQuery、Wordpress の基礎知識と簡単な操作
・Macintosh、Windows どちらの OS も操作可能。

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無職のときに読んでいた本


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