好きな画家 長谷川等伯 -2020.01.18-
長谷川等伯という戦国時代から江戸初期にかけて活躍した日本画家をご存知だろうか?
この絵、多分教科書などで目にしたことがあると思う。
等伯の代表作の一つで「松林図」という。国宝とされ今は国立博物館にある。
私は絵を描いたり見ることは好きなのだが、日本画についてはほとんど興味がなかった。日本人であれば特に若い時はだれでもそうであると思う。
それが30代後半あたりから、なんだか気になるようになった。
葛飾北斎「富岳三十六景 神奈川沖」
鈴木春信 「かぎや お仙」
当時、お付き合いしていた女性は私より10歳近く年下でまだ大学を出たばかりだったのだが、浮世絵好きで、上野不忍池等で開催されている蚤の市での浮世絵物色に私も一緒に行ったりしていた。
はるのぶ、、くによし、、などとつぶやきながら絵を見ている彼女に付き合っていると自然に浮世絵の面白さにも目が行くようになった。
そんなこともあって、なおかつ自身が加齢をするにつれて日本画に興味も出てきた。
さて、等伯。
長谷川等伯 「山水図襖」
この絵はもともと、京都 大徳寺三玄院の襖に書かれた絵である。今は他のところで見ることができる。といっても私はまだ実物を見たことがないのだが。。
私は、この襖絵の逸話が大変気に入っている。
野心家の等伯は、自身の売込みもあって、どうしてもここに絵を描きたいとかねてから住職に懇願をしていた。が、住職はそれを認めることはなかった。
あるとき等伯は、住職が寺にいない隙を見計らって、勝手に寺に上がり込み襖に一気にこの絵を描いた。
出来上がった絵は、元々襖にあったロウ(蝋)で描かれた図案に炭ははじかれ、その図案が、雪が降っているような効果を与える、センスのあるもに仕上がった。
これをきっかけに等伯の名声は世に知れ渡り、当時の大画家集団である狩野派の地位を脅かすほどになった。
という話である。
長谷川等伯 「枯木猿猴図」
主が留守にしている家に勝手に上がり込んで絵を描く等伯はエネルギッシュであったことは想像できる。そして赤瀬川源平氏によると「アバンギャルド」でもある。
上記の絵の特に枝の描き方。細い筆で緻密に描くのではなく、それなりの太さの筆で一気に、ザーッと書いている非常に勢いのある筆運び。
この筆致の使い分けがかなり大胆で、観る人に強烈な印象を持たせる。
長谷川等伯 「松に草花図」
長谷川等伯 「楓図」
野心家でアバンギャルドな等伯だが、クライアントの要望もあり、このような「受ける」絵もしっかりと描いていいる。ちなみに上の2枚も国宝となっている。
そして、晩年に描いたとされるのが、最初の図の「松林図」である。
私はこの絵に限っては国立博物館で実物をみた。かなり大きな作品で座って見られるように椅子が用意されている部屋だった。紙の大きさに比べて、筆の残る面積は少ない。でも何時間でも見ていられる。
等伯は今の石川県七尾市の出身で、京都に出てきたのが30歳を過ぎたころであったという。今だとかなり遅咲き。しかし持ち前の前向きでエネルギッシュな行動が今に語り継がれる業績を残した。
今彼が横にいたとしたら大変に面倒な人物であったと思う。が、彼のエネルギーからでる開拓精神をこれからの活動に取り入れたいと思う。
主な図版出展:Wikipedia 長谷川等伯
この項で影響を受けた出展:名画読本 日本画編 赤瀬川源平著
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