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子供と大人を区別すること

最近、教育学の勉強をしていると、どこからが子供でどこからが大人なのかということを考える時があります。社会に出て、社会人になったら大人、20歳を過ぎるまでは子供、お酒が美味しいと感じるようになったら大人など、その線引きは久しく曖昧になっています。

「まだ、子供だから」と言われるのは意外と4歳ぐらいまでで、それ以降はもうお兄ちゃんなのだからしっかりしなさい、などと親から言われる。そう考えると、意外と子供という時期は、短いのかもしれません。

しかし、生物学的には、18歳ぐらいまでは性格や脳が発達すると言われており、そこまでは子供としてみなされるとなっています。

こう考えると、生物学とそのほかの見方で子供と大人を区別する境界線は変わっているのが、一眼でわかります。

というわけで今回の雑記では、生物学という観点ではなく、教育学や歴史学的な観点から子供と大人の区別が歴史上長らく議論されているのだということを読者のみなさまと一緒に考えていければ幸いです。

子供の概念はいつ誕生したか

まず、取り上げたいのは、フィリップアリエス『子供の誕生』です。この本では、「子供」という概念がいつ誕生したのか、を中世〜18世紀ごろまでのヨーロッパを題材に論じたものとなっています。

この本の中でアリエスは、18世紀ごろまで「子供」という概念は存在していなかった。中世〜17世紀までは、子供を「小さな大人」として捉えていたと主張しています。

この「小さな大人」という言葉が表しているのは、現代で言うところの子供を大人と同じように扱う。つまり、大人と同じ労働をさせること、大人と同じ服装を着せること、絵画において子供を描かないこと、ということです。

このような形で、フランス革命期頃までは、子供という「概念」は存在していなかったということが分かります。

ここでは、子供と大人の区別が18世紀ごろまでなかったので、子供という概念は決して古くからあったものではないのだ、ということになります。

「子供」の発見

1762年、ジャン=ジャック・ルソーは、『社会契約論』を刊行しました。それと同時に教育学の古典と言われる『エミール』という論文も同時に刊行しています。

ルソーは『エミール』の冒頭で、以下のように述べます。

「人は子どもというものを知らない。子供についてまちがった観念をもっているので、議論を進めれば進めるほど迷路にはいりこむ。このうえなく賢明な人々でさえ、大人が知らなければならないことに熱中して、子どもにはなにが学べるかを考えない。かれれは子どものうちに大人を求め、大人になるまえに子どもがどういうものであるかを考えない」。

ここからルソーは、子どもという概念を新しく発見するに至ります。ルソーは、新たに子どもを少年と青年に区別し、厳格には少年と青年であり続けなければならない。同時に、子どもは弱さを認めて良いが、他人に服従することがあってはならないと供述しています。

つまり、こうした子供の発見を通じて、18世紀ごろから子供と大人を区別するという風潮が見て取れます。

こうして、子供と大人を区別し考えていくということで様々な教育学的な視点の論争が始まっていきます。

もちろん、子供の男女などジェンダー的な視点に関しては触れませんが、子供のアイデンティティクライシスであったり、アクティブラーニングなど大人ではなく真の子供として子供を扱う時代がやってくるわけです。

現代の子供と大人

現代では、子供でも大人と同じようにお金を稼いだり労働をしたりすることが身近になっているように感じます。

例えば、小学生youtuberはその例で、小学生なのに何十万と稼いでいる学生も存在している。こうした、デジタルの時代では、大人と子供を区別するということは時代遅れになっていくかもしれません。

もう一度、子供と大人についてよく考え、子供も大人も暮らしやすい未来を築くことが、今の教育学の大きなミッションなのでは、と感じました。

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