けんさん

行く先のわからない道をトボトボ歩いている、しょうもない「かめらまん」

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最近の記事

最後の

転職にしたい 明日からまた一週間 がんばってみようー

    • 限界なのかも

      そろそろマジでやばい。 耐え切れるのかどうか。 限界超えたらどうなるのか 多分どうにもならずに日々が過ぎ 苦しみが増しながら 過ごすしかないのだろう 生きてるだけマシというか 果たしてそうなのだろうか 正念場だ

      • 苦しくても生きてる方がいいのか

        そうなのかどうなのか 死にたい理由死にたくない理由 生きたい理由行きたくない理由 それらを天秤にかけたら どっちの答えが ぼくには良いのか 誰か静かに逝かせてくれないか

        • 夕方の像

          夕方はどんなときですか? ぼくには悲しい時間です。

          思いのほか紅葉がきれい

          思いのほか紅葉がきれい

          2年半の沈黙

          今年はいちょうがことさら綺麗だ。 何か思い浮かぶこともなく 今日一日が過ぎる 思うことはたくさんある 今はまだ書けない

          2年半の沈黙

          +5

          2023 大いちょう

          有料
          300

          2023 大いちょう

          +4

          『想い』は伝わらない

          世代の断絶とかいう言葉が使われたのは もう相当前の話だ 自分がそれを感じるような年齢になることを 正直なところ想像できなかった 生まれた年代 育った世代によって こうも変わるものか 人は表面的には つながっていたり 和気藹々としたりしても 何かのことで疑念やヒビが入ると 修復や回復を目指すより先に 離れていくことを選ぶだろう それならそれでいい 誰も困らない それがきっと いまの 世の中なんだ。

          『想い』は伝わらない

          強い南風が通り抜けるとき。

          この強風で ぼくが仕事をしている地区は 一時的に停電となった。 あの日から ちょっと強い風が吹き続けると 停電になる気がしてならない 風が吹くと 切ない感じになる 特に向かい風 空に向かって歩いて行く時の なんと自分の小さいことか 自分が自分の力で生きてるなんて 戯言だ 風にも抵抗できないくせに 人間は時として 大仰な口を語る ちっぽけな存在なのに 大した人間かのように 錯覚する 人間は弱いのだ 誰かに 何かに支えられて 生きて行くのだ 明日生きていられるか

          強い南風が通り抜けるとき。

          毎日毎日。

          今のご時世 はたらく場所があることは ありがたい、幸せなことだ サラリーマンである以上 会社に雇われているのだから その契約に従って働くことは ごく当たり前のこと サラリーの支払いを受けているのなら きちんと働くことは義務でもある ある意味 守られている ブラックだとか そうじゃないとか いろいろ言われるが 雇用関係にある以上 その範囲にあるなら そこで働くことは責務だ どこへ行っても課題はある 文句ばかり並べても なんの得にもならない

          毎日毎日。

          なぜ撮るのか。

          撮る理由は人によって様々。 まして機材やツールが豊富に揃った今の時代 撮る理由なんていくらでもある。 でも自分が撮る理由 『感動した瞬間を残したい』 人に見せたいとか 共有したいとか 使って欲しいとかは二の次 写真はぼくにとっての 『記憶の記録』 初めぼくは 自分の撮った写真は 人に見せるものではなかった 画面のそれを見 プリントして飾り 感動の余韻に浸る やがてSNSの時代になり リアルの友人が ネット上で再会できるようになった 情報の

          なぜ撮るのか。

          自分は何者か

          自分が何者なのかと言うことは 一つのテーマでもある 自分の立ち位置というものを しっかり見定めていないと とんだ恥を晒すことになる 自分が持っている知識、経験、体験などは とるに足りないものだ、そう思うようにしている 一歩引く。 若い頃はあまり考えなかったから どれだけの恥をかいてきたことか。 今は少し 利口になれてるかな?

          自分は何者か

          垂れ流しの時代

          情報はあふれてる 本当に知りたいことは埋もれ 無駄なことばかりが流れる 取捨選択 その機会のなんと多いことか 発信者 責任 正義感などどこ吹く風 善は悪だ 悪は善だ 極端な情報は溢れる 独善的になって 自分の意見を押し付ける そんな時代 もっとシンプルに もっと人間味を それを求めるのは 無駄なことなのか。 否 きっとそれはあるはずだ。

          垂れ流しの時代

          巡る

          時は巡る そう言う表現もある ぼくの時間の観念は 時は一方通行 同じ時は二度とない 同じ直線上に 現在 過去 未来がある だからなんだ。

          なにはともあれ。

          今のような世の中になってからというもの、いろんなことが変化してきたし、これからもするんだろう。 なにが悲しいって、人の心がおしひしがれ、殺伐と、刺々しい感じになることかな。 『流行病』の前に人は弱い。単に体ではなく心も。 でもこういう時にその人の「本当の姿」が垣間見れたりするのかもしれないね。 批判からはなにも生まれない。 自分にできることを淡々と、静々と。 「やるべき」ことを見極めること。 もちろん、自分がそれをこなしているとは思わないが、心がけてはいるよ。

          なにはともあれ。

          おひさしぶり。

          おひさしぶり。