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「隠居生活」




 ここ一年くらい家元に隠居生活を勧めている。自分が家元になれるよう席をあけてもらおうとして半分冗談、半分本気で勧めている。それは自分が最強の家元になった後に隠居をしたいと強く願っているからだ。隠居をするためには人に伝え、継承させることが必要である。

 300年程前、江戸の町人の間では隠居がブームだったそうだ。そうでもなければ1日仕事である立花をこさえることは難しい。そして多くの人の夢は隠居をすることだったらしい。当時は公的な年金制度も整っておらず、金銭に余裕がないとできなかった。今よりハードルははるかに高いだろう。隠居後の道楽は寺参り、囲碁、将棋、園芸、釣り、骨董などがあった。寺参りが一番人気があったらしい。今でいう旅行のようなもので他所のものを食べ、綺麗な景色を見て、お土産を買い自分の家に帰った。

 元禄の立花の流行と共に格好の良い枝を探して売る人が徐々に増え、今の焼き芋屋さんの様に歩きながら売って回る人もいたそうだ。江戸時代は植木職や、植木に関わる人が一番多かった。明暦の大火以降の園芸ブームから広い農地を活用して樹木や花卉の栽培を行いそれは植物園のような規模であったという。経済的に苦しい御家人の間では内職として苗木の生育や盆栽作りをする人があった。「鉢物師」「苗物師」が生まれ、花屋さん、種を売る人と業態が分化した。長屋の路地裏にまで鉢植えが置かれるようになった。この時が園芸の全盛期であろうか。趣味が細分化された現代とは違い熱中の度合いや、互いに自分の鉢を見せ合い、笑っている姿が目に浮かぶ。

 隠居とは呼べないが、私は悠々自適の生活を送っている。時間だけの尺で見れば、隠居と似たようなものなのかもしれない。時間を沢山持っており、予定のない日が沢山ある。こんな幸せなことはない。自分がしたいと思ったことを自分の都合で初め、いつでも中断することができる。誰に気も使わないので気が楽だ。だがしたいことが無い場合を考えた途端に時間があることに対して恐怖に近い感情を抱く。隠居後に打ち込めることや楽しみが必要だと多くの人が直面するとよく聞く。

 今思い返すと学生時代、僕を含めて周りの友達も暇が怖かったのかと思う。常に予定を詰め込みスケジュールに忙殺されることで暇を忘れようと、距離をおこうとしていた。そして予定があることは自分の価値が認められてると感じる。1人でいることに対するなんとなくの寂しさも混ざっていたかもしれない。何もしてなくても十二分にその存在はかけがえのないものなのに。存在価値が認められないと思っているのは自分だけであって周りからの評価は関係がない。第一、人によって評価される筋合いなんかあるわけがない。

 人のために時間を使い、生きる人生も素敵だ。なかなかできることではない。だがそれは本当に人のためなのだろうか。暇を忘れようと、自分を欺く為に時間を使っていたとしたらもったいなく感じる。自分の価値を低く評価している。時間をどう使おうがそれは自分の時間である。

 何かの雑誌に面白い記事が載っていた。その記事によると1980年以降、世界中の人々の余暇の時間は減少しているという。昔より労働時間が短くなっているのに時間が足りないと多くの人が感じているそうだ。徒歩でなく新幹線に乗るようになり、手紙でなく電子媒体上でやりとりをするようになって久しいのにも関わらずだ。人はどこまで忙しくなるのだろう。明日食べるものがないので狩りに行った時代から文明は移り変わり、時間ができたように思うのだが。私の周りに食べるものに困っている人はいない。なんて恵まれているのだろう。だが時間には追われている。

 労働時間が短くはなっているものの、多くの人は時間の大半をお金を生み出すために使っている事になる。働くことは大切であるが、なんのために働いているかは一度ゆっくり考えてみても良さそうだ。

 私は休日に御所で通行料を支払ったこともなければ、鴨川で寝そべって金銭を求められたこともない。今のところ豊かな気持ちになるのにお金はあまり関係がないらしい。

 今は隠居でこそないものの時間のある日々を過ごしている。自分に素直になりしたい事だけしている。最強の家元になるためにしなければいけない事を一つづつこなしていこうとして焦っていたが、今はあまり意識をしていない。現在は行動が習慣化され、後は時間を待つのみになった。全く無理はしていない。毎日が刺激的で日常をゆっくりと味わっている。隠居後、考え方は変わっていると思うが、今は日本各地に数年づつ住み、各地の四季を肌で感じて周りたいなと考えている。

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