見出し画像

とびきりの贅沢



 息子の柊助と同じように寝っ転がり、天井を眺め母親を目で追いかけてみる。床の下で動く換気扇の音がよく聞こえる。部屋で生活している分には気にならない音だと、取り付けた業者さんは言っていたが最近になって気になるようになった。
 
 柊介といて感じるのが自分たちの目に見えるものや、音を始めとする情報量の多さである。香水もしなくなった。久々に嗅いでみると、なんときつい匂いだったんだろうと思う。慣れは恐ろしい。匂いのほのかな植物の香りに気がつくようになった。テレビを消せば、お肉を焼く音が聞こえる。僕が不快に思うものを遠ざけているのではない。庭の沈丁花もいい香りがするが、匂いの強さから柊介と嗅ぐ際は、距離を取り楽しんでいる。

 こどものいけばなでは、お弟子さんたちが生けたお花を、いけた人の目線で拝見している。子供に限らずいけられた花はそうやって見るのが当然だろう。そこにこそ、その人の世界が広がっている。グルプホームに勤めてからケアに磨きをかけている中で、その人のことを少しでも知ろうとした時に自然と得た気づきだ。あたりまえの事だが大切にしたいことの一つである。福寿草、バイカオウレンなど背が低い花はできるだけ屈んで楽しむ。人のために咲いている花ではないからだ。

 柊介に夢中な妻は毎日、柊介に色々なものを紹介している。ここ最近は、近辺の桜を見周っている。(今文章を書いている途中に妻から呼ばれて自室に戻ると初めての寝返りをした柊介がいた。)僕の休みの日は、週に1.2度は御所か植物園でピクニックをしている。たくさん食べ、いいものを沢山見て育ってほしいが、ゆっくりと育っていって欲しい。ゆっくりとは、段階的にという意味である。

 子供が認識しやすい色は原色に近い色だとよく言われている。なのでまずは、色の濃いおもちゃを買い与えると良いとよく指導を受ける。本人からすればどういう気持ちなのだろうかは分からないが、子供が反応を示し喜んでいるのは大人である。日本の風土にあった色から徐々に慣れていけばなと個人的に思っている。部屋には桜、椿、雪柳、桃等、稽古で残ったものを柊介に見えるように飾っている。蘭や、アマリリスなどは本棚など目に届きにくい場所に飾っている。

 毎日歌を歌っているのだが、主に日本の季節の唱歌を歌っている。数年前から個人的にも好きで、メロディー歌詞、共に、その季節をより、楽しまさせてくれる。日本の風土が人に創らせたとも言えるだろう。もし機会があれば世界中で歌われている「きらきら星」の各国の物を聞いてみてほしい。それぞれに言語の特徴があり、風土を感じる。その中でもインドのものはその特徴が色濃くでている。。やはり母国語がその国を感じ取るのに一番適しているだろうと考えている。私は、似たものの違いがわかる繊細さに憧れを持っていて知る前を想像しようとするが柊介の眼や態度が非常に参考になる。言葉を使うことは便利だが危うく、大雑把でしかない。

 柊介が産まれて数日後、岡山に住む親戚(祖父の妹)と電話する機会に恵まれた。母子を労い、無事を確認した後、「レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』はご存知?もしまだお読みでなかったら送ろうかしらと思っていたの。」とお勧めされた。数年前に一度だけ本屋さんで読んだが、過去を思い出しながら頷きもって読んだ。自然や、不思議さに驚嘆する感性を岡山の家で浴び、祖父には好奇心を四六時中刺激されて育ったのだからこんなに恵まれたことはない。そんな事を伝えると、要件は済んだのか、直ぐに終話。それが母子の健康の次に心配していた事だったのだろうか。

 あまり考えたくはないが、数十年もすれば京都だけでなく街は風変わりしているだろう。どのように変わるかは知らないが、風土を感じにくくなっていると思われる。感じる力を磨かなければ気がつくことさえもできないだろう。

 身体を作る食事、物事の豊かさを感じ取れる素地に関しては手を抜きたくない。そして妻も思ってくれている。ただの自分たちの考えの押し付けではあるが、良くあって欲しいとの願いからである。

「僕はね、とびきりの贅沢をさせて健ちゃんを育てるようにしているんです。」と私の祖父が他流の家元に話していたそうで、数年前にその話を伺った。ふと思い返してみると、心あたりしかない。他流の家元がどんな子に僕が育つか肝を冷やしたと仰っていた。とびきりの贅沢で育った祖父からのとびきりの影響を受け育った私。今考え得うるとびきりの贅沢を息子にしようとしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?