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心象風景の旅2 ウルズの泉

5月25日
景色全体をほのかな桜色が包んでいる。
なだらかな丘陵地に象牙色の両手で抱えられる大きさの岩がところどころにあり岩の間から「水」が湧き出ていた。

「水」は丘陵地の沿って流れをいくつか作っており泉になっていた。
泉の横には一際大きな岩があった。

岩の上に女性が腰掛けている。
白い長髪の細面。
かすかに透ける素材の薄い布を体中にゆったり巻きつけるような装い。
羽衣を体に巻き付けている、というべきか。
その女性は布の灰色?銀色?の目隠しをしている。

「人の子がここに来るのはめずらしい。」
女性は少し微笑んだように感じた。

この女は誰だ。

あたりを見回す。
燐光を放つ蛍ほどの光球が無数に飛んでいる。
それは俺に当たると粒子になって拡散してしまった。何かヴィジョンが見えた気がした。
泉と流れている水に目をやる。
これは水ではない。
「意味」であり「魂」であり「時」だ。
直接触ってはならないと感じた。

泉…。時…。

世界樹の糧になる泉の女主人。

「俺のイマジネーションにウルズがいるなんてね。」
《我が名を知るとは殊勝な子じゃ》
「こちとら比較神話学が大好きなユンギアンなんでね。」
《ここは夢と現、因と果、海と山の狭間》
「なるほどね。俺個人の話が終わったから次は外界の探索ってわけだ。」

5月27日
ウルズとの問答を続けている。
「ところであんたの妹たちは?現在と未来の巫女神たち」
《我は一人よ。そして3人でもある。時とはそうしたものだろう。過去と現在と未来を分けることしか出来ぬ定命の子らには我が3人に見えるのかもな》
「こりゃトンデモな新説だな、ウルザブルンのノルニルは1人にして3人。」
《時とはそうしたものだろう。過去から未来へと流れる時しか観れるのはお前たちへの祝福であり呪い》
「過去も現在も同じ“場”にある、素粒子論語る女神様たぁ、さすが俺のイマジネーション」
《なぜ因より前に果があってはならぬ。今が過去を決めてはならぬのか、未来に思いを馳せる時未来もまた過去に祈る》
「言いたい事は分かった。だけどなマクロな世界の俺らはそうも行かんのさ」
《それはお前が勝手に巻き付けた鎖だ人の子、なぜお前は自分の真実を否定する。》
「そりゃそうでしょうよ。多元宇宙や時間の不存在を認めてしまったら線形の世界、因果と秩序の世界を否定する事になる。それはとどのつまり科学の否定だ」
《兆しは示されているのに頑迷な子だ》
「俺はそっち側に行くつもりはねーよ、これでも学究の徒なんでね」
《お前の過去は癒されたのだろう?現在のお前が認識する事によって。》
「だからって自分の過去に干渉できるなんてのは傲慢な考えさ、俺は自分の神になぞならない」
「あんたと違ってな。例え“時間”意味“”物語“”が同じ場にあって改変可能だとしても俺は俺のナラティブを気に入ってるんでね。」
《例えその末が“神々の黄昏ラグナロクだとしてもか。》
「くどいんだよ無意識ちゃん、たとえ面倒なことになっても、それが俺のせいじゃなくても俺が自分で乗っかりに行った俺の選択なんだよ。俺は俺の選択も、選択をした過去も、その末にある自分も、、十分過ぎるくらい気に入ってんのさ」
《ようやく問いに答えが出たか》

こいつ。猫だ。
箱庭に居た橋の真ん中で旅人に謎かけをする猫。

橋の向こうに置いた3匹の魚の正体がようやくわかった。
あれはしばらく前の箱庭に居た3匹の魚だ。
俺はあれを「死の本体」だと言った。

そうか、俺は「死」に対峙しなければいけないのか。

5月28日
《行き先は分かったか人の子》
「ありがとよ。俺は冥府にでも行かなきゃならないかも知れない。で、あんたも一緒に来てくれ」
《定命が我らを伴とする?気に入った。我はここから離れられぬが我を持ってゆくが良い》

true endの柄に白い小鳥が殺到し、それは柄に結ばれた白い布になった。

岩の上のウルズは泉を指した。

なるほど。
次はこの中に入れってんのね。


思いもよらぬ展開。
これがアクティブイマジネーションの面白いところ。
北欧神話好きだから影響は受けてるんだろうけどね。

ウルズ(ウルド)は「ああ女神さま」に出てくるから書くのなんだかなーと思ってたんですけどね。
「二人の妹」ってのはヴェルザンディ(ヴェルダンディ)とスクルドです、はい。

白いイメージとか鳥が出てきたから、形而上の問題を示しているのはわかる。

「オカルティストでいるか科学教信徒でいるか」という命題がまたも出てきている。
自分なりに決着ついたつもりだったけどどこかでわだかまってんだな、きっと。

「死の本体」がなにものか。

ここらへんが次の話になりそうです。
ようやく「今」に追いついてきました。

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