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今と昔の画風

私、上野は今の画風。線画を始める前の画風がありました。それはどういう作品はと言う前に一つの話をしなくてはならないのですが、2004年大学卒業後色んなものがあり沢山と道を回っていたのだった。今考えてもよく思い出せない。当時レンコンをもじって、かたどった作品ばかり描いていた時があった。それを私がレンコンシリーズと話しているのだがその時はレンコンを頻繁にに描いていた時期がありました。

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初期のレンコンシリーズ / 銅版画 / ドライポイント コラグラフ
中期レンコンシリーズ / 凹版画 / ドライポイント

以前はプレス機を持っていなかったので毎日毎日、それこそ朝から真夜中まで食事取らないでやっていたときもありました。毎日毎日桜が咲こうと雪が降ろうと毎日毎日ひたすらプレス機を借りる日までずっと。季節が変わろうと。それを何年もやっていました。

後期レンコンシリーズ ”ブラインドの間から" / 凹版画 / ドライポイント
後期レンコンシリーズ / 凹版画 /ドライポイント

その頃は公募団体展に出したりおりました。年一回の団体展の発表の場で個展やグループ展は全く出していない頃です。それでも習作などを創り続けておりました。画廊とはまだ縁がなかった頃の話です。

中期レンコンシリーズ "北海道" / 凹版画 / ドライポイント


中期 レンコンシリーズ "アメリカ大陸" / 凹版画 / ドライポイント

話は戻りますが、年々毎日毎日朝から晩までひたすら彫っていきますと知らず識らず肩や腕、指や指先がだんだん悲鳴なき悲鳴を上げていきます。それもドライポイントは、ただ銅板を強く鉄筆で引きますので、かなりの負担が出ていたのでしょう。

レンコンシリーズ/凹版画/ドライポイント
番外編:レンコンシリーズ/木版画

年月はたったある日朝起きたら「腕に激痛」「肩から上に腕が上がらない」「鉄筆が持てない」でさんざん痛いの描けないので今までの生活が一変しました。その性で半年ぐらい作家活動が出来なくなりました。何事も適度が大事だとこのときに知ったのです。知識で知っているのと実体験で知っているのではかなり違いました。

後期レンコンシリーズ/凹版画/ドライポイント
後期レンコンシリーズ/凹版画/ドライポイント

前から大学の銅版画の先生が口を酸っぱくして話していたのは「これか!」ということが今更わかりました。「版画やりすぎると後が怖いから、休み休みやれ」と。それでこういうドライポイントの線が1版に何百、何千と引っ掻いていますので「この画風をやったらまたなるな」と思い体が治るまで半年ぐらいかかりましたがその間ずっと悩んで考えて思ったのは、「もともと自分は線が引いただけの作品が創りたかった」と思い出し、朝から晩までの生活リズムも見直し、現在に至ります。

リハビリに:モノタイプ
初期の線画:"人々"/凹版画/ドライポイントコラグラフ


初期の線画:凹版画/ドライポイント

そんな感じとなります。
ここまで線画を創って年間100作品。もしかすると総数大台になっているかもしれないですが、ここまで来たのならもう変わることは早々ないかと思いますが人間何が待っているかわからないのでわかりませんが、ただ変わったってものづくりはしていたいなとぼんやりと考えております。


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