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不安遺伝子 -鬼を探す日本人-

この話は長い。それでいてそんなに為にならないヨタ話である。気が短く、為にならない話を聞きたくなければ、ここで閲覧をやめられたい。

Are you OK?

「日本人は勤勉で真面目だ。素晴らしい人達だ。」これを聞くと大抵の日本人はゴキゲンになる。「やっとわかったか」「当然だよな」ちょっと胸を張って口笛でも吹きたくなる気分だ。コツコツ毎日休まず働く。「調子が悪い日もありましたが、1日たりとも欠勤したことは有りませんでした」は大きな自慢。

日本人は、アリとキリギリスの童話では盤石&絶対のアリ支持派層。万が一、授業参観で昆虫研究が大好きな自分の子供が「キリギリスさんの寿命は平均2ヶ月しかなくて、冬までどうやっても生きられません。アリさんの中で一番寿命が短い働きアリさんでさえ、1-2年の寿命があるから、冬に備えるのは当然です。むしろキリギリスさんが2ヶ月の寿命を謳歌して、楽しんでバイオリンを弾いて、本人は元より周りを楽しませてくれたなら、それはそれで素晴らしい事だと思います。」なーんて言おうものなら、親は蒼白。もしかしたら、アンリ・ファーブルを越える昆虫学者になったかも知れない可愛そうな子供は家に帰ってからこっぴどく叱られる事になるだろう。また、ウサギと亀の話でも亀支持派がメジャー。勤勉&コツコツは国民行動規範と言っても過言ではないだろう。

しかしである。マジにやっていても人生の困難はなくなるどころか増える一方。他でも書いた(書く)が、「給料増えない」「会社が危ない」「老後に2000万足りない」「増税」「年金は減額」「老齢医療費負担増」等等々・・・あー心配だ。更に公的給付負担増大で「国家財政の悪化・健全化までの遠い道のり」なんてやられてまるで「アンタが悪い」と言われているような気分にさせられてしまう。ゴキゲンそうにしていたり、浮かれたりもご法度。眉間にシワを寄せて「いや、そうはいってもこんな心配な可能性が・・・」とやらないと、「ノー天気」「テンネン」などと言われかねず、深刻そうにする方が「アタマ良さそう」と思われがちな場面も多い。

日本人は海外、特に欧米人との比較にも敏感だ。「狩猟民族と農耕民族の違い」「島国根性」「和を重んじる」「個人が弱い」「属人的」など。過去沢山の関連論文、書籍も出ており「ナルホドな・・・」と思われる物も多い。

遺伝子に注目したら・・・

最近(過去25年程度、1995年以降)の遺伝子研究で目を引いたのが「セロトニントランスポーター遺伝子」。脳の神経伝達物質の一つで、精神の安定や安らぎをもたらすセロトニンに関係と。より正確には、「セロトニントランスポーター遺伝子」と言い、セロトニンの分泌量を調節するタンパク質(セロトニントランスポーター)をコントロールする遺伝子の特徴に由来している。*1

*1:上記出典は https://mindful-leadership.jp/blog/824.html

この遺伝子は、S型(セロトニンの分泌量が少ない)とL型(同 分泌量が多い)の2種。ヒトは遺伝子については両親から1つずつ貰うのがお約束(だから遺伝)であり、整理したら表の様になった。*2

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*2:上記出典は https://toyokeizai.net/articles/-/353274?page=2

書いている時点で出典が見つからないが、別のネットページではSタイプ遺伝子保有は日本人 > アジア人 > 欧米人 と言うのが概ねの理解でもあるようだ。

遺伝じゃしょうがない?

「何だよ遺伝かよ。しょうがねーなー。だけど何で日本人だけ?」となるが、「どこから来た日本人?」議論はここではしない。どこから来たとしても、現在最も不安遺伝子Sタイプが多いのは日本人だから。先の前野 隆司氏(*2の出典記事作者)他も唱えている説だが、数千年に及ぶ日本の成り立ちが遺伝子変化を促したと考えたい。

日本は古来から自然災害大国だった。地震・津波・水害・火山噴火・飢饉・疫病が繰り返され、更にもって人災(戦争・大火・経済ショック)が加わっている。災害は一つでも大規模被害と心の傷を残す。これらが遺伝子に記憶が刻まれ代々受け継がれてきたのではないか。日本人の宗教は何か?は別として、日本にはそこいら中に「神様」がいる。地・水・火・風は言うまでもなく、山、森、池や石ころにも神様が宿っている。明治(文明開化)まではこれら神様の怒りを買わない、あるいは鎮める事が生活安定の礎であった。一方日本には「鬼」も多い。鬼と書くと「ツノを生やして太鼓を背負い、金棒を振り回すトラパンオヤジ」が速攻で頭に浮かぶが、怒りに転じた神、悪霊、怨霊、しきたりを破った(失敗した)人間などが「鬼」となって来た。論理的に説明できない自然災害を「鬼(怒りに転じた神を含む)」のせいにし、これを退治するか鎮める事で解決を見るという考え方が根付き、伝承されてきたのだと思う。神事のしきたりを取り違えた、祠の扉を開けてしまった、しめ縄を切ってしまった、地蔵の頭を触ってしまった、神社でお狐さんを指差してしまった・・等。XXXチャンネルの「オカ板・オカスレ」ではこの手が大盛況である(ちなみに筆者自身も大好きであり、この板やスレを朗読するチャンネルも良く聴いている。本人は見えず、感じず、聞こえず、金縛りも無し)。

考え方や生活・行動様式にも影響?

この考え方をベースにすると、色々な事が結構簡単に説明が付く。「いつ何が起きるかわからない」と思うから、日本人の現金貯蓄率は非常に高く、タンス預金も多い。またこうした背景から、文化としての伝承のなかで「しきたり ≒ 礼儀正しさ ≒ 標準的社会構成員」の考え方が秘伝のタレの様に濃く醸成されて来たのだろう。これに反した者は「鬼」として退治されるか封ぜられる事で災難を乗り越えたとされた。村八分の発想もこのあたりが一丁目一番地だったろう。2020年より大きく生活・経済に影響を及ぼしているコロナも、初期の頃は感染者が「鬼」扱いとなり、緊急事態宣言時(初回)には、自粛から外れた個人や法人が「鬼」とされた。「鬼」を認定又は攻撃することで、「自分は違う(鬼ではない)」と精神的な安心を求める科学導入以前の精神構造・行動様式が一部で大手を振った。蛇足だが、日本の古来からの遊びでメジャーな「鬼ごっこ」「かくれんぼ」「缶蹴り」等にも必ず鬼が登場しているのも興味深い。

「今度の人は良い人だから大丈夫」??

身近で日常起きる様々な事件、「犯人タイホ」の報道には皆が安心する。が、その安心は「鬼退治」的視点であることが殆どではないか。事例はそれぞれが考えれば良いが例えば、「金融機関内での大規模横領」事件、「弁当工場での故意の毒物混入」事件他。大抵は「鬼」が捕まってホッとし、「スゲェ金額パクったな」や「食べ物だからこわいねぇー」と言いつつ時間がたつと忘れてしまう。「鬼」は退治されたのでもう大丈夫。と言うところだが、似た様な事件はまた起こる。「鬼」が特殊でもなんでもなく、誰でも「鬼」になり得るとして、「鬼」が発生しても悪さが出来ないように「システム」を作って防ごうとする欧米と日本はここが決定的に違う。取引の窓口担当から会社経営者、果ては政治家に対してまでこうした発想で見ている者は多い。

他にも世界的に比べても多い貯蓄志向、横並び意識、滅私奉公、合意形成重視などを見ていると、「いつ何が起こるかわからない」「鬼になってはいけない」「神の怒りに触れないように」「所属(帰属)する集団から村八分にならないように」といった発想が根底にある気がする。

転換点は?

色々書いてきた発想は、古代から近世までの永きに、更には今も受け継がれる日本の「文化」だと思う。神官、僧侶、長(おさ)と呼ばれる自治体の長、高齢者の知識・経験に耳を真摯に傾け、儀礼、しきたりを重んじ凶事をなんとか避けるべく努力を重ねてきた。ほんの150年位前(明治維新)までこれは続いていた。「150年も昔の話を持ち出して今更なんだよ?」とも思うが、縄文時代から今までは説にもよるが1万2000-3000年ほど。150年間は1%ちょっとに過ぎない。ちなみにスマホは登場してからは2020年で10年ちょっとの歴史である。

明治維新(文明開化)と共に主に欧米から医学・科学・化学・工業と言った「文明」が輸入され、それまで解明されなかった「鬼による凶事」に原因と結果といった因果関係の存在が科学的に解明・説明されるようになった。これに伴い都会が文明をもって発展、同時にクワガタ、カブト、ホタルなどが消えていったと同様に「鬼」は都会での存在感を無くして行き、都会では祭りとして伝承されたり都市化が及ぶ前の地方に生息するようになった(と思う)。

だが、長期に育み遺伝子に染みた文化はそう簡単に忘れ得るものではない。なにせ遺伝子に刷り込まれて受け継がれているのだから。「親戚がうるさいから」「祖父母がこだわっているから」「地元のしきたりで」「お正月くらいは」「その日は日が悪い(六曜)」などと、外的要因のせいにしながら、昔ながらの形式での行動をし、ちょっと安心感をもったりもしている。異常な出費を伴っていない限りは、個人的にはこの事自体はそれほど悪くない事だと思っている。多分に表向きであっても礼儀があり、無駄に攻撃的でない点など、長所も多いとは思う。技術的には望めば遺伝子治療(組み換え)も可能ではないかとも思うが、ここは考え方をまとめる。

日本の過去20年位を見てみると、経済ショック(日本の土地バブル崩壊、リーマン)→大地震(阪神淡路・新潟県中越・東日本・熊本)→津波→水害(天候不順、大型台風)、疫病(コロナ)と経済ショックを除くと、陰陽師が占っていた平安時代と同様の事が連続して起こっている。S型遺伝子も再び上塗りされている事だろう。

で、どうするの?

文明の進歩によって今まで説明のつかなかった事象がかなりの部分、科学的・医学的に解明され、ある程度の予想・予知も可能になり始めた。日本は第二次大戦後の復興過程で自動車、電気製品の製造・開発を通じ経済成長を行い、「技術立国」を自認するまでとなった。が、1990の土地バブル崩壊以後経済的には不調であり、自然災害も頻発している。こうした状況からこれからは科学(数値・事実の裏付け)に伴った事態の把握と検証・先読みが今まで以上に重要になるだろう。昨今(2021/1月時点)のコロナ感染拡大を見ても、数値を伴う踏み込んだ分析が不足(あるいは透明性が欠如)している感がある。「若者」「飲食店」が鬼にされてしまい、比較されるべき他の数値が示されていない気がする。ウィルスの伝染特性としての特殊要素があるのではないか?あるいは満員電車は全く問題にされず、飲食店での食事だけがクローズアップされるのは何故?など、数値を伴った踏み込んだ検証結果が欲しいところ。そうでないと日本人が大好きな「鬼退治」だけに終止してしまい、感染が収束せずに真因もわからなければ疑心暗鬼となり、また別の「鬼探し」をしなければならなくなるだろう。

ヨタ話の最後に

相場でも上に書いてきのと似たような心情で向き合っている人達が多数いる。例えば過去統計を分析し、チャートで傾向をつかみ、ファンダメンタルズを併せて勘案の上で誰かが「70%確率で上昇する」と言った人がいるとしよう。結果は上昇せずに下降となったりすると、「ハズレ」としてバッシングや炎上騒ぎになる事例を何回も見た。30%確率で上昇しないかもしれないと言っていた事は何処かに吹っ飛んでしまっており、当たりハズレだけが問題になる。これは情報を受ける側が「預言者からの言葉」なので当たり・ハズレでしか見なくなっている為で、精神的な陥穽(かんせい、落とし穴)に陥っているのではないか。ハズレたらその預言者は「鬼」であり、「退治」されなければならないと言った考え方がまた顔を覗かせる。2者択一なら丁半博打と何ら変わらないのだから、自分でサイコロを振ったほうが良いし、変わらずを除けば相場は上がるか下がるかしかないものである。

日本では株式相場(主に日経平均)が上昇しても下落しても不安ばかりが報道される。下落すれば不安になるのは勿論だが、上昇しても「実体経済とはかけ離れた株価水準であり行き過ぎにに懸念が残ります」「xxx年以来の高値水準となっており、警戒感があります」といった具合。素直に聞くとやはり「株はヤバい」としか聞こえてこない。思うに、1990の土地バブル崩壊が今に至るも日本人に分厚く刷り込まれているのが背景だと思う。給付金他財政出動時に必ず「財政健全化に対して懸念が大きくなります」と必ずセットで報道されるのもお約束。

「システムを作る」と書くと、政府・自治体や会社等大きな組織で動くものと思いがちだが、個人の生活でも出来ることはある。例えば廊下や手洗いの電気。LED電球もここ数年で低価格となり求めやすくなったが、もう少し経費を上乗せすると「人感センサー付きLED電球」というものもある。これを使うと基本的に無人の時は消灯しているし、消灯し忘れというものがない。

たかが電灯の消し忘れとバカに出来ない。「あの子はこまめに電気を消すし、気配りの利く子だ」とか「アイツはズボラで全然周りを気にしないヤツだ」等。手洗いの電気のON / OFF だけで人物全ての評価が決まってしまい、家庭内でも注意したり、それに対する口答え等の応酬などで時間が浪費され感情も傷つきすっかり悲しい気持ちになる。これが会社等の組織に照らすと、うかうかすると「総合的な見地(全く決定者の主観に基づく最終判断)」からみた業績評価に響いて昇給や給料に響いたりもする。こうした事はやはり日本人が「大好き」な「鬼探し&鬼退治」が背景に跋扈している為と思う。


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