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膨らんだ影、照らす社会の光。

街角のニュースには、新生活の文字が並んで
喜怒哀楽、様々な表情が画面に咲いている。

好きなバンドボーカルは、この季節を「出会いと別れの季節というよりは、気持ちの整理をつける季節だと思っています。」と言っていた。

僕も一つ、気持ちの整理をつける機会があった。
発端は、羨ましさだった。

ある人の旅行の感想を聞いていらっとしてしまった。

その人が楽しそうであることを望んでいるのに、
キラキラした気持ちへの羨ましさから、憮然な態度をとってしまった。

でも、それを素直に話せなかった。なぜなら自分ひとりとキラキラした世界と張り合っていたから。その間には崖しか無いのに。こうした比較には、際限がなかったから、どんどん息が苦しくなってしまった。

そんな気持ちに押しつぶされそうな気持になったとき、久しぶりに中学生のとき好きだった曲を聴いた。偶然出会ったカフェで働く店員さんに一目ぼれしてしまうというストーリーの曲だ。

その中で、冴えない自分がその娘に出逢えたのは、降り注いだ奇跡のようなものという歌詞があった。

そのとき、笑ってしまうような単純なことだけど、本当は、誰かと出会えるだけ、何かを一緒に出来るだけでも奇跡だ。

そこから今の瞬間は「自分」が起こした結果というだけではなく、周りに居てくれる人からのプレゼントだ。

体と心が楽になって、空気が抜ける音がした。

寄り添ってくれる人に対して、感謝をすることは出来る。卑下よりも感謝を先にすることにした。言われたことは認めてありがとうと言いたい。

自己を膨らませる事はどこまでだっていける。ただ、浮かび上がったような場所はふらふらしてて核は無い。だから、ちゃんといつかは、空気を抜かなきゃいけない。

社会が照らしているのは、その人の影。誰でも発信できる時代。
等身大が難しいからこそ、ちゃんと素直でいたいと思う。

Kemuri

よかったらコーヒーでも奢って下さい。