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食物メディア概論



はい、みなさんこんにちは。
この講義は前期の食物メディア概論です。
よろしくお願いします。



はじめにですね、自己紹介の方をさせていただきたいと思います。

私けむぴこと申します。

好きな座り方は三角座りです。小さくていいですよね。
好きな丈は長袖です。半袖って"不安"ですよね。
好きなカップ麺は日清さんのカップ焼きそばUFOです。すべてがおいしいですよね。

嫌いな遊具はシーソーです。あまりにも原始的過ぎます。
嫌いな公共施設は駅です。人が多すぎます。


えー、授業に入る前に、みなさんにキーワードをお伝えします。

それは


「本質を捉えよ」です。

食物メディア論は食物の本質を捉えるものです。



さて、早速ですが、みなさんに質問です。
いきなりですけどちょっと周りの方と話し合ってみてもらおうかな。



うな丼のうなぎって必要?
このテーマで、少し……そうですね、5分ぐらい時間を取るので、ちょっと周りの人と話し合ってみてください。


~約5分後~


はい、そろそろ5分ぐらい経ちましたけど、いかがですかね。

じゃあまずここのグループから

「えっと、うなぎは別に要らなくて、ご飯にうなぎのタレだけでもいいのではないかという意見が出ました。」

なるほどなるほど。
うな丼はうなぎのタレだけでいいと。
分かりました。ありがとうございます。

えー、じゃあ次は手前の窓際のグループいきましょう。

「やっぱりうな丼にはうなぎが必要なんじゃないでしょうか。食感という意味でも必要だと考えました。」

味ではなく食感という観点からうなぎは必要だと。
なるほど、ありがとうございます。

じゃあ次はその後ろのグループ

「そもそもうなぎがあるからうな丼であって、うなぎが無ければうな丼ではないのではないかという意見がでました。なので、うな丼にうなぎは必要だと考えました。」

捉えてないなぁ…

まあみなさんね、色々な意見がおありだとは思いますけどね。

うな丼においてはうなぎって

"完全に必要ない"んですよね。



うな丼のうなぎを本当に味わっている人だけが石を投げなさい
記憶のうな丼にうなぎを見いだせないのであれば自省しなさい

うな丼のうなぎを本当に味わっている人はいません。
完全にいません。



うな丼において、うなぎはうなぎとして完全に死んでいます。



うな丼において、うなぎはうなぎのタレのための媒体(メディア)として機能している。

うなぎという食物がある味を伝達するためのメディアとして機能しているんです。



こういった現象をメディア化と呼び、食物が一定条件下ではメディアとして振る舞うのではないかという説を食物メディア論と呼びます。


他にもいくつか例を見てみましょう。



そうめんはめんつゆの
焼肉はやきにくのタレの
サラダはドレッシングのメディアになっていますね。

そうめんも、焼肉の肉も、サラダの野菜も、どれも本質的には意味がないです。
完全に味を楽しむためのメディアになっていますね。

別の例も見てみましょう。



ソースカツ丼を食べる際にはご飯に合法的にソースをかけることが出来ますよね。ソースカツ丼だからという免罪符のもとに、ごはんにソースをかけることが赦されています。これは精神的にソースカツ丼という概念を媒体としています。
何もない状態で直接ご飯にソースをかけることはダメでも、間にソースカツ丼をはさむことで合法になるんですね。
このあたりの話はこの食物メディア概論ではさらっとしか扱いません。
後期の応用食物メディア論で扱いますので、興味があればそちらを受講してください。

それでは今回のまとめです



食物メディア論は食物の"本質"を捉えるためのものです。
場合によりますが、食物は味を伝えるためのメディアとして振る舞います。
また、食物がある形態をとることで、人間は精神的振る舞いが変化し、その食物に対しての振る舞いが変わる場合もあります。



えー、今回の課題はですね、

今回の講義で触れた例以外で、この食物メディア論に該当する、食物がメディアとして振る舞っている例を一つ、挙げてください。
提出期限は来週のこの授業の開始時刻までとします。

この講義のレジュメはあとでnoteの方にあげておきます。復習や小テストの勉強などに役立ててください。
それではこれで今回の講義を終わりたいと思います。

次回は食物メディア論の提唱者であるガッツ石松(鈴木有二)についてです。
ありがとうございました。

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