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The Human Condition (人間の条件)【天秤座の物語】

ハンナ・アーレントは、1906年10月14日にドイツのケーニヒスベルクで生を受けた。この時代にユダヤ人として生まれることは、残酷なまでに運命的なことだった。

幼い頃から知的好奇心が旺盛で、言葉や数学に高い理解力を示していたハンナは、やがて哲学に関心を持ち、マールブルク大学に入学した。
彼女はそこで、当時、大学の哲学部外教授だったハイデガーと出会う。

ハイデガーは、生徒たちから「思考の国の王」と評され、人気を博していた。
彼はある時、講義に現れた、美しく、抜群の知性を備え、寂しげな瞳をしたハンナに心を奪われた。たちまち2人は恋に落ち、不倫関係は1年半ほど続いた。

ナチスが政権を得て、ユダヤ人への迫害が始まると、ハンナは、亡命の援助活動などに参加し、ユダヤ人救出に尽力した。
その後、自らもフランスへ亡命、一度逮捕、抑留されるも間一髪で逃れ、アメリカへの亡命にも成功する。

かつての師であり、恋人であったハイデガーは、あろうことか、ナチスに入党していた。
彼女は複雑な思いを抱きつつ、ハイデガーと決別した。

1951年になって、彼女はようやく、アメリカの市民権を獲得した。フランスへ亡命して以来、彼女には何十年も市民権や国籍がなかったのだった。
その年、彼女は「全体主義の起源」を著し、西欧の政治思想を説明してみせた。

そして1961年、彼女はエルサレムで、ある歴史的裁判を傍聴する。
それは、ナチスのホロコーストに加担した中心人物、アドルフ・アイヒマンの公開裁判だった。

アイヒマンは、ユダヤ人の強制収容所への移送の指揮を執っていた人物で、ほとんどのユダヤ人にとって、彼は極悪人以外の何者でもなかった。
ハンナは、裁判を注意深く傍聴していく中で、次第にある事に気づいていった。
彼は、「極悪人」ではなく、ごく「凡庸な一般人」であるという事に。

ハンナは、彼が犯した罪は死刑に値すると認めながらも、彼を悪に向かわせた最大の要因は、「完全な思考停止状態」にあったことであると結論づけた。彼女は、彼自身の性質そのものが「悪魔的」だったわけではなく、むしろ彼は、ナチスという組織の中で忠実に任務を果たす「生真面目な人間」であったことを見抜いたのだ。

1963年、これらの考察を記した「エルサレムのアイヒマン」が、ニューヨーカー誌に発表された。ハンナの考察は、ユダヤ人にとっての最大の敵であるアイヒマンを擁護するものとした見方があり、大論争を呼んだ。
ハンナに対して厳しい非難が集中し、親しかった同胞たちの多くが、彼女の元から去って行った。
ハンナは、ユダヤ人の同胞から、「冷酷非情な裏切り者」扱いされることも、しばしばあった。
もし、彼女が本当に冷酷非情な人間であったとしたら、非難も、親しい人々との決別も、大したことではなかっただろう。しかし、彼女は実際、冷酷でも非情でもなかった。

ただ、彼女には並々ならぬ勇気があった。
真実を見抜き、明らかにするということにおいて。

善良な普通の人間なら誰でも、悪に手を染める可能性があり、それを防ぐためには、思考を停止してはならないということ。
彼女は、「ユダヤ人」としてではなく、「人間」として思考し、語り続けた。

多くの議論を巻き起こし、たくさんの愛する人々との別れを経験したが、彼女は決して、屈することはなかった。
「人間を愛する」ということにおいて。

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