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ヒグマ狩り中ベテランハンターが襲われる|北海道|昭和46年

本記事は書籍『日本クマ事件簿 〜臆病で賢い山の主は、なぜ人を襲ったのか〜』(2022年・三才ブックス刊)の内容をエピソードごとにお読みいただけるように編集したものです。


はじめに

本稿では、明治から令和にいたるまで、クマによって起こされた死亡事故のうち、新聞など当時の文献によって一定の記録が残っている事件を取り上げている。

内容が内容ゆえに、文中には目を背けたくなるような凄惨な描写もある。それらは全て、事実をなるべく、ありのままに伝えるよう努めたためだ。そのことが読者にとって、クマに対する正しい知識を得ることにつながることを期待する。万一、山でクマに遭遇した際にも、冷静に対処するための一助となることを企図している。

本稿で触れる熊害ゆうがい事件は実際に起こったものばかりだが、お亡くなりになった方々に配慮し、文中では実名とは無関係のアルファベット表記とさせて頂いた。御本人、およびご遺族の方々には、謹んでお悔やみを申し上げたい。

事件データ

  • 事件発生年:1971(昭和46)年11月4日

  • 現場:北海道滝上町

  • 死者数:1人

油断はしていなかったが
一瞬の隙が命取りになった

酪農農家の要請により、ヒグマ狩りを行うハンターが襲われた。

ことの起こりは1971(昭和46)年11月1日、北海道滝上町の酪農家・内ヶ島力雄(年齢不明)が病死した子牛を放牧地内の南西の隅に埋めたことだった。

3日朝、ヒグマが掘り返して食べ、残りの一部が5~6m離れた場所に埋められているのを発見した。内ヶ島がこれを滝上町の猟師・山沢太郎吉(48歳)に知らせた。

一度下見をし、その日の夕方、猟師歴40年を超える滝上町のベテランハンター・C(68歳)とともに再訪したところ、薄暗がりでヒグマを発見。発砲したが命中せず、ヒグマは200m先の雑木林に逃げ込んだ。

翌4日早朝、再びヒグマの出没の連絡を受け、ハンター1人を加えた3人で探索に赴くが、雑木林から出た形跡はない。視界の効かない雑木林に3人で踏み込むのは危険と判断し、声を掛け合った。

応援の猟師を呼ぼうと内ヶ島宅まで戻ったものの、Cの姿がない。

午前11時20分頃、雑木林へと戻り、付近を探す。辺りにはクマイザサが密生しており、視界は悪く、歩行は難しい。

50mほど進んだところで、Cの銃と手ぬぐいが落ちており、あたりには血痕が。2人は応援を求めるべく町役場へ連絡、猟犬を連れた猟師や警官ら7人で現場に急行した。

そして午後1時20分、猟師の1人がこちらに向かってくるヒグマを発見して発砲、ヒグマを撃ち取った。

Cの遺体は、そこから30mほど離れたところで、左足の先だけを出し、土とクマイザサに覆われた姿で発見された。

銃の安全装置が外れていないことから、視界の効かない笹藪の中で、ヒグマの不意打ちに遭ったと思われる。

『北海道新聞』1971年(昭和46年)11月5日

現場は国道から150mほど入った私有地。農家の多い区域では例年クマの姿を見かけることはないが、冷害に見舞われたその年は山の食物が不作したのか、ヒグマの出没が目立ったという。

このヒグマは推定10歳前後の雄で、体長2m、体重300kgの大物。事件後、はく製にされ、滝上町郷土館に保存されている。

(了)


本エピソードは『日本クマ事件簿』でもお読みいただけます。明治から令和にかけて死傷者を出した熊害ゆうがい事件のうち、記録が残るものほぼ全て、日本を震撼させた28のエピソードを収録しています。

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