【当世猪犬見聞録】紀州系猪犬に情熱を持った狩猟師
大山良人(仮名) 〜 紀州系猪犬に情熱を持った狩猟師
猪猟を全国的に見ても九州は別格であろう。
昔から九州全域で猪が多く生息していたこともあり、古くから猪猟が盛んであったが、特に九州山地の辺境では猪猟を生業とする猟師も多く、それに伴う儀式・祭礼も文化として現代まで伝承された地域もあり(宮崎県椎葉村など)、当然古くから優秀な猪犬(和犬)が存在したことが考えられる。
しかし現在、九州が原産の和犬(純度が高い日本犬)は存在しない。
全国的には古くから大物猟が盛んな地方にはローカルな日本犬が存在するが、猪猟が最も盛んであったと思われる九州に和犬が残らなかった要因としては、古くから海外との交通の要衝として外国から渡来する文物との接触が多く、「外国の犬」も例外なく取り入れていったからだと想像できる。
それに伴う九州猟人の気質も、和犬にこだわらず「有用な雑犬」を作ることに抵抗がなかったとも想像できるのではないか。
但し、ミックスの「地犬」としては優秀な猪犬が存在し、九州から全国へ普及している。また、全国的に少なくなったプロットなどのハウンド種の秀犬も多く使われている。なお、主に兎猟犬であるが「薩摩ビーグル」「唐津ビーグル」も九州で改良された優秀な猟犬である。
しかし、その土地柄で日本犬にこだわる猟人も少なからずあり、特に猪犬としての「紀州犬」を理想として追い求める人たちがいた。
猪猟の本場である九州も例外ではなく、猟人の減少と共にそのほとんどの存在が危ぶまれる中、「紀州3名犬」に血がつながる犬も残されたが将来が危惧されている(※詳細は後述する)。
大分県在住の大山良人氏(仮名)はその猪猟に優秀な紀州犬を追求する猟人である。猪猟師の50歳代はこの世界では「若手」であるが、その情熱・思いは誰より強い。
大山氏は玄界灘に突き出た半島の漁村に生まれ、幼少の頃から海に山に「遊び呆ける」少年であり、夏は家の前の海で魚や貝を採り、冬は裏山でメジロを追う人一倍の動物好きであった。
中でも犬は特に好きであり、親戚に飼われていた「紀州犬」(有色)のその逞しさと精悍さに子供ながら感動し、自身も将来「紀州犬」を飼いたいと心に決めたほどであった。
やがて紀州犬は紀伊半島原産の優秀な猪犬(猪猟犬)であることを知り、いつかは紀州犬を使った猪猟を夢見るようになる。思いどおりに25歳で初めて狩猟免許を取得する。
それまでに狩猟雑誌・日本犬の本などで紀州犬については知り尽くすほど勉強しており、また、新婚旅行で和歌山県に行くほどであった。奥さんもよっぽど理解があったのかダマされたのか(笑)、人並以上の思い入れである。
また、余談であるが、大山氏は3人の娘さんに恵まれたが(筆者も3人娘です。関係ありませんが)、名前にすべて紀州の「紀」の字を入れたほど、紀州犬に惚れ込んでいたようである。
では、本で勉強し現地へ何度も訪問して「偉い猟師」の話を聞いて、夢にまで見た紀州犬を手に入れて猪が獲れたのか?
世の中そんなに甘くないのである。
「原産地和歌山の犬」「実猟紀州〇〇系」「紀州止め犬」「熊野系紀州犬」等々の謳い文句を鵜呑みにして多くの猟師が涙を飲んだのと同じように、いや、人様より思い入れが強い分、より多くの苦汁を味わったのである。
猟誌などの情報で「名だたる紀州犬」を手に入れ山に引くも、その謳い文句とは裏腹に「咬み止め」「鳴き止め」とは程遠く、到底猪が獲れる犬たちではなかった。
しかし、必ず何処かに少年の頃に出会ったような「理想の紀州犬」は存在するという信念は持ち続け、紆余曲折で20年近くが経過したころ、あきらめずに訪問した和歌山県のある識者から、他県に優秀な「紀州系猪犬」を持つ猟人の情報を得る。
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