クマ撃ち猟師に学ぶ 〜 危険に遭わない知恵
高柳盛芳さんは、関東最後の秘境といわれる奥利根がホームグラウンドのクマ撃ち猟師。
その経験は40年以上にもなる大ベテランで、体重190kgの巨大グマを仕留めたこともあるスゴ腕だ。
長年の経験をもとにした、クマと自然との付き合い方、実践に則した森での危険の回避方法を、お手製のクマ鍋をつつきながらお聞きした。
クマが山でどこにいるかはそのときどきのエサによる
「よく来たねえ。まあ、あがんなよ」
指定された事務所を訪ねると、挨拶もそこそこに「いいから、いいから」と案内される。入り口には台所があり、コンロ上で湯気を立てる雪平鍋(※1)に、今期撃ったというクマ肉を投入した。
「こうして一度、肉に火を通すことで、血とアクを抜くんだよ」
湯通した肉は一旦水で洗い、アクを取りつつきゅっと締める。元料理人ならではの手際のよさで、ニンニクを包丁の腹でつぶし、生姜をとんとんとんと刻む。鍋に昆布を並べ、肉と自家製の野菜を入れたら、日本酒をどぶどぶどぶ。
「ひと煮立ちしたら、味噌をうす~く溶く。これはあくまで隠し味で、仕上げは醤油。こうやって食うクマ鍋は最高だぞ!」
流れるように手を動かしながら、どこか懐かしい笑顔を浮かべるのは、クマ撃ち猟師の高柳盛芳さん。自然豊かな奥利根で生まれ育つと、代々鉄砲撃ちだったこともあり、20歳で猟銃を手にし、25歳でクマ撃ちの名猟師・林正三さんに弟子入りした。
「爺(師匠)はここよりさらに山奥にある藤原集落(※2)の生まれで、代々クマ撃ちの家系。米の穫れない厳しい山間地に暮らし、クマを撃ち、肉や毛皮、胆を売ることで暮らしを立てた、最後の世代だべな」
そんな師匠について25年、高柳さんはクマ撃ちの技術を磨いてきた。クマを撃つとは、射撃の腕前を上げるだけでなく、彼らを巡る山の森羅万象を学び、野性を磨くことにほかならない。
太古から連綿と続く、命をかけた生活の中で築き上げた知恵を授かり、実践を重ねることで、さらに洗練させる――。
師匠が鉄砲を置くと、今度は後進にその術を伝えていった。
「クマがどこで何をしているかは、そのときどきのエサによるんだわ。広い山の中で、この時期、彼らは何を食べているのか。夏の終わりから晩秋まではドングリ(※3)、特にナラの実を好むことが多いけども、成り年(※4)でなければ別の何かを食べる。それは何か……」
山の地形や植生分布を頭に入れ、その年の育成状況を見ながら、過去に照らし合わせ、クマの居場所を考える。クマを撃つとは、偶然出遭った獲物を射撃することではなく、経験と英知を結集させた理詰めの行為なのだ。
43年にわたって山を訪ね歩き、クマとともに生きてきた高柳さん。彼らに最も肉薄し、その息吹を知る猟師の視点から、わたしたちが、クマに対してどう注意を向ければよいかを紐解いてゆく。
茶の間には、鍋がくつくつと煮える、良い香りが流れ込んでいる。
「クマを見つける」猟師 その手法に学ぶ遭遇回避術
「俺たち猟師はさ、それこそ小枝一本踏まず、物音ひとつ立てずに山を歩くよ。それはつまり、クマと同じ歩き方なんさ」
クマは元々、臆病な生き物。だからこそ、クマを追う猟師はこちらの存在を悟られないよう、こっそり行動する。
しかし、クマを狙って神経を研ぎ澄ませている猟師はともかく、クマの知識を持たない人間が登山などで彼らの生活圏に入る場合、適度にこちらの存在を知らせた方がいいという。
「クマに遭いたくなければ、猟師と反対のことをすればいいわけだ」
一番避けたいのは、クマと鉢合わせすること。基本的に臆病な彼らを驚かせると、恐怖に駆られ、不安要素を排除しようと夢中になって攻撃してくる。子どもを連れている母グマはよけい過敏になっている。
なので、クマの棲息域に立ち入るときは、クマがいることを前提に、畏れをもって行動してほしいという。
となると、クマにこちらの存在を知らせる「クマ鈴」は必携なのだろうか。そう尋ねると、あんなもんはねえ方がマシだと笑う。
「若え衆と一緒に山菜採りに行ったとき、一人が鈴を鳴らしていたから、外せと言ったのさ。それでも『怖ええ』なんて言うから、ようしわかったと、クマのいるところへ連れていったんだ」
季節は春。雪が残り、葉の茂らない時期だから見通しがよい。若者が鈴を鳴らすと、クマは逃げずにじっとしながら、周囲に視線を走らせ、こちらの存在にすぐに気づいた。
「お互いの姿はよく見えるけど、距離があるから襲ってはこねえ。ただただ、鈴を鳴らすこちらの様子をじーっと見てるのさ。で、見てろよと、爆竹に火をつけて投げると、その音に驚いて、ガッサガッサと逃げていったよ」
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