TXT vol.3 「TQY」(ネタバレあり)

観劇後前提の感想です









またすごいものを見せられてしまった…。
これぞ演劇、というパワーをぶつけられた。
いや、パンフにも書いてあったけど、演劇よりももっと生々しいものを見た気分。あの場で行われていたのは間違いなく「実験」そして「治療」そのものだった。

TXTシリーズには直前の仮面ライダー作品の裏テーマだったりやり残しだったりがあると思っていて、SLANGではエグゼイドの「命を奪うということ、その責任に向き合うこと」をより深く鋭く描き、IDは正直ゼロワンでこれがやりたかったんだろうなっていう「人間の感情を解体すれば人間もどきができるのか、人間と人間もどきの対立に意味はあるのか」を描いてきた。
そして今回は、「このゲームは誰が何のために仕掛けているのか、参加者はいったい誰なのか、どうやったらクリアなのか、そしてそのクリアは本当に幸せなのか」といった、仮面ライダーギーツの問いそのものがあった。さらに言えば、ゲーム参加者内部での争いかと思ったら敵は運営で、さらにはその運営側にもいろいろあって…という、対立の構造が目まぐるしく万華鏡のように変化する展開もギーツを感じさせ、それを90分一本勝負でやるもんだから疾走感がすごかった。Twitterにも書いたけど、二転三転、という言葉では足りないくらい構造の変化があって、剥いても剥いてもまだ新たな中身が出てくる、無限に剥ける玉ねぎのようだった…(笑)
ギーツにも同じことが言えるけど、これは初見リアタイに勝るものはない。全部知ってから見る2度目ももちろん面白いには違いないけど、何も知らずに見て、え!?そこがそうなって!?こっちがひっくり返って!?こっちが敵でこっちが味方で!?ってなるこの感じは初見でしか味わえない。後々の展開を知ってしまってはこれは味わえないんですよ…いわゆる「記憶消してもっかい最初っから見たい」やつ。

ドクターエックスのキャラクターというか中盤の役割が、SLANGの岩永さんに近かったから、いや悠也さんこれあえて狙ってるなと思った…シリーズ見てる人には連想させておいて、実は違いますってのが仕込まれてるでしょと思ったらやっぱりそうだった!しかし医者志望のサイコ殺人鬼から、最終的にちゃんとまひろを治療してくれる人だったのはびっくりした…1進化ポケモンかと思ってたらもう1段階進化ありましたみたいな…(伝われ)

まひろは犯人を殺したかった。でも彼にはできなかった、それは「本物の殺意」がなかったから。
もしかしたら最初に生まれたドクターエックスという人格は、本当に殺人鬼だったのかもしれない。犯人を殺したい、でも殺せないまひろの中で、「すでに殺人を犯した人格」として誕生したのかも。まひろの中で殺人を既成事実化して、その実行のために足りないものは何かを逆算して探るために生まれたのかもしれない。
でも彼は、まひろを治療する人格に変化した。本物の殺意があれば人を殺せることに気づかせると同時に、その心はおもちゃを本物と信じる心と根っこは同義であることにも自ら気づかせ、その心を復讐のために用いることを止めさせた。
もっとも、ドクターエックスが自ら変化したというのは正しくなくて、まひろが自らの中にある復讐心や殺意と向き合った結果、自ら導いた問いと答えを体現するために、ドクターエックスを変化させた、と言うべきか。
犯人探しとか箱庭療法とか、様々な名前でこの部屋は呼ばれたけれども、最終的にあれは、まひろの自己治療だったんだな…

まひろの中にあれだけたくさんの人格があるのは、子供の頃からまひろは想像力豊かで、それを保ったまま大人になったってことですよね。
これめちゃくちゃ身に覚えがある…というのは小説を書く系のオタクで、オリジナル小説にせよ二次創作にせよ、登場人物に多かれ少なかれ自分を投影してる部分があるから、極論すればこれまで書いてきた小説の数だけ、人格が自分の中にあるようなもので。
まひろのように完全に人格が分離して記憶がないレベルになると病気と呼ばれちゃうけど、そこまででなくても、空想好きな人なら、まひろの感覚がわかると思う。まひろの中には、このおもちゃを遊ぶときはこの職業になりきる、っていう設定がそれぞれあって、それはおそらく自分で言う、この小説の中の自分はこれ、と似たようなものなのだろうなと。
まひろ自身は、ヒーローベルトだけじゃなくて、拳銃もボールもステッキも包丁も剣も、そしておもちゃのお医者さんごっこのセットも、全部全部好きな、子どもの心をもった一人の青年であって、たまたまそれぞれのおもちゃと紐づいたなりきり設定が分離してしまってああ見えただけ。だからラスト、全員がこの部屋の全てが好きと言う。

ラスト、きっと彼らは支え合ってゆっくりと喪失から快復していくのだろうなと思えた。もちろんドクターエックスも一緒に。
喪失からの快復って、「その人がいない世界を受容する」こと、でしか成り立たない。要するに時間と慣れでしか解決しない。だからああやってみんなで遊びながら、少しずつ、彼女がいない今ここという世界に慣れていくのだろうと思うし、彼らがいるからそれができると思える希望を感じた。

まあ、それで言うと現行の仮面ライダーギーツにおける桜井景和問題になるわけですが…
おそらく悠也さんのことだから、家族が蘇った世界を彼に用意してはくれないと思うんですよね。でもきっと、この物語でまひろの再生を描いてくれたから、きっと景和にも再生の道があると信じたい。


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