刀ステ一挙無料配信「外伝 この夜らの小田原」感想

はあ。終わってしまった。虚伝初演がうっかり48時間無料配信とかしてくるから、生配信は苦手な自分でも見てみようとか思ってしまったのが運の尽き。今や刀ステ沼にどっぷり浸かってしまいましたよ。
というわけで、バラバラにツイートしてたり、ふせったーに投げてたりした長文を、改めてまとめておきたいと思います。
※ゲームもアニメもミュも何も知らないガチ初心者です
※ほぼ自分のために書いてる感想なので悪しからず

3記事目は外伝。
少ない続投キャストが的確にツボをついてこられてもう降伏寸前の文章となっております。
題して、
「今日の外伝の感想を書いていたはずが、気づいたら刀ステ沼に飛び込む決意表明文書みたいになってました」
どうぞ。




いやーーー小田原城!プロジェクションマッピング!焼けて崩れる演出とかすごかった、ヒエッってなった…

てか雨降りすぎでは?ステージが映されてるときは気づかなかったんだけど、袖のエリアでの殺陣で初めて気づいて。そして後半、雨がやんだあとも、刀剣男士たちの衣装では気づきにくいんだけど、ざいきっちゃんのシンプルな衣装が上半分びしょ濡れなのを見て、よくこの中で上演してくれた…ってもう感動した…だってあれだけの殺陣でよくまあ誰一人滑って転んだりせずに…

昨日までの配信と同じく録画なはずなのに、なんだろう、劇場ではなく、外気を感じた。キャストをとりまく空気が外気のそれだった。田舎者ゆえの感覚ですが。



ざいきっちゃんのキャラがすごくよかった…!守るための戦い、ってまさに、今刀剣男士たちがしてることじゃん!それを夢として語ってくれるなんて、もう、山姥切はもちろんのこと、その場にいたほかの刀たちも少なからず救われたんじゃないかな…

武家でない人が出たのも初めてなら、そんなふうに堂々と守るために戦うって言ってくれた人も初めて。虚伝で蘭丸が言ってた信長様を守るためにってのは、同時に光秀を攻撃することを意味する、恣意的な「守る」だったけど、そうじゃなくて本当に刀が愛でられる日を待ち望んでいて。

そう、刀は、美しいんだよ。それは山姥切だけじゃなくて、みんな。そんな当たり前のことを、でもこんなに朗らかに信じてくれる、ざいきっちゃんの力強さが、本当に眩しかったんだ…



そして、恣意的に誰かを守って誰かを傷つけるためでも、天下を取るためでもなく、ただ「守るために戦う」。歴史人物にも刀剣たちにも、いろんな考え方がある、ってのを虚伝でも義伝でも描いてきたけど、この「守るために戦う」ことは、そういう個別の思いを全部その中に抱いて、全部をひっくるめる一つ上の段階の概念として、みんなが共有できるものじゃないか。それをはっきりと言ってくれて、これからも描かれ続けるであろう刀剣たちの惑いに、何か、光明が見えた気がした。

きっと、何を守りたいかなんて先に決めなくていいんだよね。たぶん防衛戦ってそういうことなんだ。時間遡行軍が何かを変えようとするなら、ただそれに抗い、守る。あるがままのものを。歴史ってそういうものだ。どんなものでも、たとえ意にそぐわなくとも、そこにあるがままの歴史を守るしかないんだ。

過去のことは新しくできない。だから、そこに既にあるものを尊重して「守る」しかできないんだよね。でも逆に言えば、それはシンプル過ぎて、誰でもできることなんだ。簡単って意味じゃなくて、どんな物語を背負わされた刀剣であろうとも、目の前に襲ってくる敵を斬ることはできる。そこに参加するための条件なんていらなくて、ただ、今その場で、守りたいという意志さえあればよくて。

そうか、何を守りたいかとか決めると、その意志が枷になるのかもしれない。そうじゃなくて、ただ、あるがままのものを、受け止め、守るしかないんだ。今は人である彼らだけど、モノだった頃のことは自分ではもうどうしようもできないから。だからそれも、あるがままに受け止める。

主に守れと命じられた歴史も、自らが背負った物語も。変えられないならば、その今あるがままを、ただ守り続けるしかない。それは、諦めなんかじゃなくて、守ることならできる、っていう希望であってほしい。
…ちょっと何書いてるかわかんなくなってきたな。閑話休題。



というか、元の主じゃなくて、作り手、が出たのがそもそも初めて。これまで、へし切や不動、宗三など、元の主に対しての思いを抱く刀、あるいは小夜や歌仙みたいに、元の主の思いや特徴をトレースしてしまっている(別に悪いことじゃないのに彼らを見るとつい「してしまっている」という言い方になる)刀はいたけど、作り手という新しい立ち位置の人が出てきたのが新鮮だし、話の広がりや深さを感じた。山姥切の物語はむしろそこにあるもんね。

最後、写しだろうと関係ない、傑作を打つ!って言ってくれて本当によかった…!出自は写しかもしれないけど、山姥切国広が美しい刀であることは間違いないんだよ!

これまで、写しってそんなに気にすることなのかな、って思って見てたんですが、写しって本来は練習とかで作られるものなんですね…勉強になった。
というかまだ情報量が少ないんですが、同じく写しだといっていたソハヤノツルキくんがあんなに明るいのはなんなんだ。どこでどう間違ったらあんたたちそんな差になる?



そしてざいきっちゃんはやはり刀鍛冶であるからか、直感で山姥切のことを感じ取る。これも今までの武将たちにはなかったこと(眼帯や刀そのものを直接見て何か言われることはあったが)。もう、なんか、それが尊くて、なんだろう、やっぱり、物であるからには、それを作った人がいるわけで。その物語を聞かせてくれてありがとう、っていう謎の気持ちになった…

刀だ武将だっていうかっこいいところばっかりじゃなくて、派手ではなくとも思いを持った人のことを取りこぼさない作品なんだな、って、この作品は信じられる、って思ったんだ。その思いも描いてくれるからこそ、刀や武士たちの思いもまた説得力を増すわけで。



あ、そうだ、これまでの三日月の口上は、物が語るがゆえに物語、って言ってたけど、今回、山姥切の口上は、ひとよひとよを重ね、だっけ。一世、と変換すれば、それぞれの世代が重ねてきたのが歴史、って取れるけど、人よ、とも変換できるわけで。ここの口上は自分たちのことを言ったのではないかもしれないけど、彼らはもうモノではなく、人としての生を始めているんだなあと思ってなんかじーんときた…刀なんだけど、もう彼らは立派に?人になった、なってしまったんだよ…だから苦しむんだよ…



ところでふと思ったんですが、刀剣男士のみんなって死ねるの?
(注:なおこの段落の内容に!翌日以降!死にます!折れるはまだしも刀解の概念を知らなかった頃の自分よ…)
軽傷とか中傷とかってあるんですよね?でも死ってあるの?顕現したらずっと年も取らないままに生き続けなきゃいけないの??

俺は永遠に惑い続けるしかない、っていう山姥切のセリフ、あの場で山姥の面に対して放つ言葉としては、覚悟や決意表明のニュアンスだろうけど、同時に、文字通りに受け取れば、永遠の牢獄に閉じ込められた嘆きにも聞こえて。

あのーこれはですね自分が刀ステを見てみようと思ったきっかけが脚本演出の末満さんでありまして、あの人が作ってる不死の苦しみを延々とえぐり続けるTRUMPってシリーズのことをすぐに考えてしまうのです。

でも生きることは惑うこと、それはほんとにそうなんだよね、楽に生きるなんてないんだよね、生きている限り苦しいんだよね。ここは深読みせずに、しんどいけど生きる、生きよう、っていうエールとして受け取っておくのが穏便な気がする。いや真剣に考え始めたらまたしんどいもん…いっそ、惑い苦しむからこそ生の実感を得ている、くらいの話?(これもTRUMP的考察です)



しかしメタい話すると、時間遡行軍を完全に倒して?平和が訪れて戦いが終わる、っていう未来が仮に来るとして、それ刀剣乱舞としてはゲームコンテンツの終了を意味するわけで。ステもミュも続く限り同じ。つまり刀剣男士たちは、自らが描かれ続ける限り、永遠に戦い続けなきゃいけないわけで、、、しんど、、、

そして、ざいきっちゃんの言うように刀が愛でられるような時代になったら、同田貫や、こないだの大倶利伽羅みたいに、俺は武器だから使ってくれ、使ってほしかったんだ、って叫んでる系の刀にはそれはそれでしんどいだろうし。。。どっちに転んでもしんどい。



ちょっともう4日目にして小夜推し(というか納谷くん推し)なんですが。
義伝でのあの小夜の振る舞いのきっかけは、単に貞ちゃん顕現をきっかけに伊達の刀たちがきゃっきゃしてるのを見た、だけじゃないんだね。
確かに虚伝と義伝ではえらい違いだなと思ったけど、こんなことがあったとは…。確かに今作の序盤の小夜は虚伝のときのだった。

たぶん虚伝の頃の小夜は、自分の中にある復讐が、あまりにも当たり前に自分のものとしてあって、それが黒いものであるとか、自分がそれに飲み込まれるのは辛いことだとか、そういうことすら考えてなかったんだろうね。忌むべきものという認識すらなく、ただシンプルに自分のものとして背負っていた。

でもあの山姥の面に惑いの術みたいなのかけられて、己の中の復讐は、満たされているはずなのに自分を蝕むものだ、ってそこで気づいたんだろう。悪しきものなんだと、気づいて、気づかされてしまった。

きっといっそ気づかない方が幸せだったのかもしれないけど、でも、義伝を先に見てるから、向き合うきっかけができてよかったねって言える。笑顔を見せて旅立った小夜ちゃんを見てないときにこれ見せられたら、小夜ちゃんになんてことを!鬼!!ってしか思ってなかった。いやまあ全体的に鬼なんですけども…

あと、長谷部が山姥切を困らせるなって2回も言ってたのも、ああそれで義伝につながるのね、って感じ。



長谷部も長谷部で悪気がないどころかめちゃくちゃ本丸のこと考えてくれてるんですね!?下げ渡されたのを根に持ってる、ってあんなに言われながらも、主命、の一言で周りのことも、そして自分の心も全てねじ伏せて。そんな必死に頑張ってるところに不動みたいなのが来たらそりゃブチ切れ案件ですよね…

下げ渡された先でも活躍することは少なかったんだろうか。主命を果たす、ということを、今度こそやり遂げたいんだろうか。

ゲームシステムと演出上、主は直接出てこないってのもあるけど、それにしてもあの長谷部の感情は、主命だ、って言いながら、主その人へ向かう好意の類の感情ではなく、自分に楔を打ち込むような言い方に見えるんだよね…。ここにもしんどい人がいる。



ところで、山姥切の目の色、というかカラコン。なんか三日月っぽくなかったですか?(注:これまだ未確認なんですが、まんばちゃんのビジュアルが変わったわけではなく、単に照明の当たり方の差異?もしかしたら三日月と同化しつつあるのか、とか物騒なことを考えてたんですが…今思うとそれって2振り目の特異点になっちゃうじゃん。やばすぎる。)

原作ゲームは知らないんですが、ステの山姥切の目って、なんかこう、ほぼ黒一色、って印象だったのですが…青みが少しあるのかな?でもあんなふうに明るい色で、瞳孔がはっきり見えるような感じじゃなかった気がするんですが…むしろ瞳孔と虹彩の境目がわかりにくいような色だった気がしたんだけど。単に光の加減か?

なんかもうここまでの三日月が怪しすぎてわかんなくなってきたんですよ!あの人何者なんですか!?



殺陣を見る余裕も出てきました。

藤四郎兄弟の短刀たちは、遡行軍の間合いの内側に入っていって、打刀メインの遡行軍からしてみればむしろ近寄られ過ぎて攻撃できない、といった感じになってる。今回は博多がいちばんその藤四郎らしさがあった。薬研に似てたかも。

骨喰は敵の間合いの内側に入るのは同じでも、間合いの中で戦い続ける博多と違って、入っては出る、入っては出るの繰り返しで、常に流れるように動き続けている感じ。剣筋が横に波を描くように常に動いている。足を止めているときも剣先は流れるように軽やかで。

逆に日本号は常に間合いを取り続けないと戦いづらいんだよねおそらく。

同田貫は鞘を持ってはいるけど、燭台切とかのように派手に使ったりすることはないのが印象的。持ってはいるけど使わないぞ、というスタンスを取ることで、余裕を見せつけたいような感じ。いやもしかしたら使うスキルがまだなかっただけかもしれないけど。

山伏を見た瞬間の印象は、象。身体の本体は動かさないのに、鼻だけで器用にいろいろするじゃないですか。それと一緒で、歩き方はゆっくりで身体そのものは大きく動いてないんだけど、刀を持った右腕だけが器用に軽やかに動き続けていた。

長谷部は向かっていく系のスタイルながら、歌仙のように前のめりにはならずに、常に背筋が真っすぐな印象。あの衣装の、あの、長い部分…名前がわかんない…あれがずっと真っすぐに降りている。

小夜は短刀だけど、あのぐっと腰を落とす独特の構えのときに、足を広く開いて、その開いた足の幅が全て小夜の間合いになるんだよね。重心を移動するだけでその足を開いた幅は一瞬で動けるから、短刀なのに太刀なみの間合いの広さを持っている。

山姥切は、あの、布は防具かなんかなのか。いやむしろ身体の一部?装甲、と呼ぶと重いイメージになっちゃうけど、なんだろうなあ、鶴丸のような羽のイメージともまた違って、自由自在に操ってみせる…どこかで形状記憶がすごいって書いてるのを見かけたんですが、そう、扱い方もさることながら布そのものがすごいよ…さすが布の人…

今回お披露目された6振りはキャストは残念ながら知ってる人はいなかったんですが、(注:後でよく見たら同田貫の武子くんは知ってましたごめんね。仮面ライダードライブのゲストです)映画のおかげで日本号と骨喰は名前とビジュアルを知ってたので助かりました。って映画からもう沼への道は始まっていたんや…こわ…

ちなみに同田貫はTwitterで名前を先に知ってた(フォローしてる知人が一時期めちゃくちゃ呟いてた)んですが、この人何があったんです?

ざいきっちゃんを演じた竹下くんは納谷くんと同じpatchのメンバーなので前から知ってました。めちゃくちゃ重要な役回りでしたね…彼ももちろん動けるので、守ってもらってばっかいないで戦って!とも思いましたが(笑)今回の役回りはそうじゃない。夢見るアツい男、かっこよかった。これ、国広本人じゃなくて、その弟子が夢を語るからいいんですよね…

あと合田雅吏さん!?格さんじゃん!そして戦隊レジェンド戦士…!お顔は途中までしか見れなかったけど(笑)、いやあびっくりした…。



初見ながら考察らしきことをしたいメモ
近侍拝命順は山姥切国広→長谷部→三日月→山姥切(今ココ)
不動がいて貞宗が顕現したばかりということは時系列は虚伝と義伝の間
ほんとは違う時代に行く予定だったのに、不思議な鈴の音(小田原城?)に呼ばれてきてしまった
小夜はその鈴の音を聞いてから気分が悪い→義伝へ
今作でお披露目の6振りは先発隊3振りが行方不明になったから救援で送られてきた
小田原合戦そのものへの遡行経路はすでに閉じられている。この本丸での初期の戦い。山姥切が隊長だった頃みんなに怪我をさせてしまった。虚伝では確か、行けると思って無理をしてしまった的なことを言ってた?油断して、気づいた時にはもう遅かった、みたいな。
遡行軍?はモノや人に取り憑くことができる。取り憑かれるとその間の記憶はない?

小田原征伐=秀吉が関白の時代に後北条氏を攻めた戦。これにて関東平定が成ったとされる。
劇中の発言では、氏直の祖父(=父氏政の父氏康)に籠城戦をして上杉を撤退せしめたが(上杉謙信による小田原の戦い)、今回の豊臣軍には黒田官兵衛がおり、官兵衛が上杉と同じ手を簡単にくらうことはないだろう、とのこと。
(※このとき黒田絡みの発言をメモっといた自分ファインプレイすぎる)



最後にどうでもいい話を。
あの、自分もなんですが、特撮オタク、戦う系の話見ると、すぐ「実質特撮じゃん」って言う、ってのは、映画のときからとうらぶ勢の方々もご存じのことかと思うんですが、いや刀ステあまりにも特撮じゃないですかね!?唯一違うのは、ヒーローものではスーツアクターさんにお任せするレベルの殺陣を、刀剣男士たちが生身でやってることですよ…やべえな…

いやだって、出陣の儀とか完全に変身シーン&名乗りだし、ストーリー構成がファーストバトル→謎→ひと悶着→クライマックスバトル→次の戦いへって王道パターンだし、オープニングにはちゃんと名前が出てエンディングの歌はみんなで踊って…ってそこじゃないわ。そこもだけど。

特撮と刀ステの共通点は、戦う物語である、ということ。どうあっても、戦いを描かなきゃいけない。それはストーリーや演出上の制約というメタな意味でだけではなく、彼らは戦うために存在するものであるからして、彼らがもっとも輝くのは戦うその瞬間だから。

戦いの物語は問う。何と戦うのか、何のために戦うのか。
また戦いの物語は、強くあれ、とときに叱咤激励し、ときに呪う。
だからまた問う、どうしたら強くなれるのか、そもそも強さとは何なのか、何をもってして強さとするのか。
さらに、戦うということは、力を持つということ。その力は、どのようにして得たものなのか、どう扱うのか。
そして戦う相手はどのようなものか、何をもってその相手を倒すことを是とするのか。

ってまあかっこつけましたけど、これ特撮あるあるをまとめてみると、ほぼ刀ステで描いていることと一致するような気がして。そりゃあ自分がハマるわけですね。

…と、ここまでは義伝まで見て考えてたわけなんですが、今日、ざいきっちゃんの「守るために戦う」っていう言葉を聞いて、ああ好きだ、と思いました。そうなんですよ、ヒーローも、戦うのは自分のためじゃなくて、他の誰かや何かを守るためなんですよ。そして、刀剣男士たちも、上に書いたように、歴史を、守っている。

守る人は、強いです。たとえ過去がどんなものであろうと、今その力を守るために振るう人は、かっこいいです。

なので、えーっと、とりあえず無料配信は全部見たいと思うんですけど、セールのうちに配信版を全部購入しようかなと思っているです、はい。ざいきっちゃんのセリフで、刀ステの沼に飛び込む覚悟が決まってしまった。お手柔らかにどうぞよろしくお願いいたします。



…………ばっちり決意表明しちゃってますね。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
よろしければ次の記事にもおつきあいください。

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