刀ミュ「江水散花雪」感想&考察
大千秋楽!!!おめでとうございました!!!お疲れさまでした!!!!ありがとう!!!!!
こんなご時世ですがちゃっかり現地も行き(東京滞在時間わずか4時間の長距離直行直帰)、先ほどライブ配信も見届けました!!!!
あの…これほんとに、経験が浅い子が多め、なんです…?例えばもしこれを俳優志望の人が見たら完全に絶望する、それくらいすごかったんですけど…。とにかくみんなすごかった…。歌も芝居も、ホール中を圧倒してた…。
一振りずつに語りたいことがあるなあ。どこからいこう。
まずは隊長かな。大包平…あの、ステのかとしょの大包平はマジで運命的な役だと思ってて、今回のステと被ってる組でも特にどうなる!?って思ってた刀で、でも一方で松島くんをホリ譚で知って期待してもいたんですね。
すっごい大包平だった…!なんだろう、かとしょもこれナチュラルにできててすごいんですけど、大振りな動きでやかましいのに、どこか上品というか、お育ちのよさみたいなのがあるんですよね。あとスタイル良すぎ!!!ライブ衣装のボトムに縦ライン入ってて、どんだけ足長いの強調したいねんもうわかったよ。
代替わりがあるテニミュとかだと、キャストが変わると「こういう手塚もありだね!」みたいな、役者さんごとのカラーを楽しむ感じがあると思ってるんですけど、ステミュの同一男士は、紛れもなくしっかり同じ男士なんだよな…!もちろん役者さんごと、作品ごとの個性はあるんだけど、これもありだね、みたいには離れてなくて、キャラクターの芯はばっちり同じものを持ってくる。
あの大包平なら大丈夫。きっといい隊長になる。そう、同じこと思ったもん、お前が全員連れて帰れって言ったんだろうがあ!!!って。特撮ヒーロー脳の自分と同じ思考だった(笑)
大包平がみんなをまとめようとするのも、ほんとにただ純粋に、みんなで協力して任務をなんとかしたい、と思ってるからなんだよね。ほんとに素直でいい人。
で、そんな大包平に、無理にまとめなくていい、まとまるときは勝手にまとまる、って言ったのが兼さんってのもまた…。
肥前にも、あんたもたくさん斬ったと言われていたけど、一説には、土方歳三所用の兼定は、戦闘で人を斬るよりも、組の中での粛清の方が多かった、なんてのをどこかで見たことがあり。記憶に新しい岡田准一バージョン燃えよ剣でもそんな感じでしたね。
しかも、そんな元の主の姿を、間近で見てきたばかりで。
だからあのときの兼さんは、そんな無理しなくていい、と先輩からの立場でアドバイスしつつも、真っ直ぐに仲間を信じることができる大包平を、どこか眩しく見ていたのかもしれないなあ…なんて。
肥前くん…!!!なんでここに南海先生はいないんだ、ってツイート見かけて気になってたんですけど。ほんとになんでなんだ!!!ミュ審神者、東京心覚で明らかになったように、特命調査もそこそこちゃんとこなしてるんだよな!?!?長義がいるみたいなことも言ってたしな???文久土佐は先行調査員だけドロップして、南海先生がいるところまで行かなかったんですか!?!?ステのように涙をぬぐってくれる先生が!!!!いねえ!!!(文土佐やったことないので仕組みがわからないけど)
ねえ、だって、そんな。肥前くん、というか岡田以蔵は、刀剣乱舞世界の解釈に限らず、わりと一般的に、武市半平太に命じられるまま人を斬っていた、ですよね。彼にとっては、それが唯一の、承認、だったわけで。斬る以外に、存在を承認してもらえる手段がなかった。いやそれ以前に、斬る以外の生き方を知らなかった、知る機会もなかった。
だから肥前くんも、この歪んだ歴史をどうにかしなきゃという使命感が、人を斬ることに直結してしまう。斬ること以外の選択肢を持ち合わせていない。たぶん、この歴史どうしよう、って課題は、肥前くんにとっては、じゃあ誰を斬ればいいんだろう、と同義。
そういう心の有り様を受け継いでいることは、肥前くんにとっては、決して歓迎できることではないんだけど、でも、それ以外を知らないから。だからもし他の道だったら、なんて思うこともなく。そう、「想像する」ことなんて、なかった。
それが。あんなのを、見せられたら。土佐の言葉も話さず、学問をして、思想的には武市とはほぼ真反対の勝海舟の門弟?になっていて。肥前くんの足元がガラガラと音を立てて崩れる瞬間を見てしまった。
だって、殺人行為と引き換えに承認をくれていた武市はいなくて。そしてその承認は、武市→以蔵→肥前くん自身、って繋がっていたような気がして。人斬りの刀として名乗るのはもちろん、事実そうであることしか選べなかったからなんだけど、それこそをアイデンティティとして持っていて、それでもって承認を得ていた、という経験があるからなんだよね。
それが。いちばん否定されたくない人に、真っ向から否定された。今の刀剣男士肥前忠広を形作ったのは、まさにその人なのに。自分がもがきながらも受け継ぎ守り続けている、その人自身の有り様を、その人本人に否定されるなんて。このもがいてるのは、なんなんだよ、ってなるじゃん…。そんな簡単に捨てれるものだったらこんなふうになってない、好きじゃないけど捨てられない、元主が生き方を選べなかったように、刀剣男士としてこの心を捨てる選択肢なんて持てないから、今こうなってるのに…。
学問をしなさい、じゃないんだよ、おそらく、正史では下級武士だから、学問の機会すら与えられなかったんだよ。学びを怠けていたわけじゃない。
人間じゃなくなった以蔵を見て、どこか安心しちゃう肥前くん。哀しいけど、でも、それを哀しいと言っちゃいけないんだ。だって正史の元主は、それしか選べなかったんだから。せめてその、正史のまま、受け継いだ心そのものを、本刀が認めて受け入れてやれなきゃ、他に誰が認めてあげられる?
だって、そう、あの場面で、「俺が知ってるあんた」と「今の歴史のあんた」っていう言葉を使ったことが全て。
どちらが幸せか、それを問うてしまえば、もしかしたら後者なのかもしれない。
でも、そんな他人から見た客観的な判断なんて、「俺が知ってる」という事実の前では、なんの意味もない。今の歴史の姿は、肥前くんの知らない姿だもんね。肥前くんが知っている姿、受け継いだ姿であるということが、他のどんな観点よりもいちばん大事なことだから。だから、これでいい。正しいも間違いもないって兼さんは言ってたけど、個人的にはこの肥前くんの行動に関しては、これで正しい、と思います。
肥前くんと対称的だったのが小竜くん。過去の刀ミュ全部はまだ履修してなくて、黒衣の演出初めて見たんですけど、すごい…!そこに、いる…!
黒衣役の兵藤さんの目元がシュッとしてるから、最後に本役の長田くんが出てきたときめちゃくちゃキュートで、あっこれは刀剣乱舞の歌詞にも入れるわ!!と思った。いやでもあの切れ長の目元もちゃんと小竜くんなんだよな…!もったいないからステの骨喰みたいにWキャストにしませんか!!(それはそれで意味深になってしまうが)
で、小竜くんは、「別の角度から見てみたい」と、敢えて井伊直弼ではなく、吉田松陰と行動を共にする。
一人の主の有り様にいっそ固執しているほどの肥前くんと、流れ流れて来たからか歴史を客観的に見てみたいと思う小竜くん。
おそらくだけど、刀剣男士の中では、小竜くんみたいに考える子の方が多い気がする。一人の主の刀か集合体の刀か、とかは関係なく、人の身と心を持った以上、歴史のifを考えてしまったり、何か知らなかった新しいことを見てみたいと望むのは、人間的な欲求として自然なことなのかな、と。肥前くんが例外なんだと思う。
で、そんな希望を叩き折るために、極の修行はあるんだなあ…とつくづく思いました。
ゲームしてても思ってたけど、修行って、ほとんどが、自分が刀として見てきた歴史の復習で。衝撃の事実発覚!みたいなのはごく一部の男士に限られる。ほぼみんな、うん、知ってた、って歴史を見に行かされる。
見に行く歴史になんら変化はない。知っている歴史のとおり。ならばなんのために修行に行くのかと言うと、「人の身で、人間の心と五感を使って、それを確かめてくるため」なのかな、と思いました。歴史は変わらず、変わるのは、刀から人になった刀剣男士の方。だから「あっけなかった、強いて言えばそれが新しい感情」っていう兼さんの感想、めちゃくちゃ納得でした。たぶん、まさしくその感想をもたせるために、修行のシステムはある。
ほら、動物は初めて見たものを親だと思うってよく言うじゃないですか。それと同じで、初めて見た元主の姿、刀として見てきた元主の姿を再確認する、その刷り込みの強化というか、上書きというか。
ところで修行…戻りに時間差があるんですね?本丸時間で96時間、ってルールじゃないんですね…?みんな…ちゃんと帰ってくる、よね…?むすはじ組だけじゃなくて、パライソで旅に出たって名前が挙がった男士もいるし…はっ!真剣乱舞祭!?チケットーーー!!!(まだない)
話を戻して。刀剣男士として顕現してからって、時間遡行軍が改変しようとしてる歴史に飛ぶことがほとんどなわけじゃないですか。てことは、遡行軍が手を出してない、正史のままの歴史を見に行く機会って、実はあんまりないんじゃないかと思っていて。
その上、刀から人になって、取り入れる情報量も、考えることも増えて。そんな状態で歴史改変阻止に関わっていたら、もしあのとき、元の主が、って気持ちが揺らいでいくのは、仕方のないことだと思うんです。
だからこそ、その、いろいろ感じて考えられるようになった人の身で、もう一度、自分自身の歴史、守るべき正史を確認させる。敢えて言えば、ああそういえば自分の歴史はこれだった、これは変えられないんだ、って、絶望させるための、修行なんだと思います。
繰り返すが肥前くんのブレなさが例外すぎるんだ。肥前くんはifを考える行為自体が、人斬りしか選べなかった元主と自分自身への冒涜になるからそれをしないし、そもそもifを考えられる心のかたちじゃない。最初から修行後みたいな心の状態になってるんですね。でも他の多くの男士は、やっぱりifを考えてしまうんだと思います。
そして小竜くんは、別の角度から見る、を望んだけど、付き従った松蔭が井伊直弼と結局合流したこともあり、望み通りのものは見られなかったでしょう。でもたぶん、いつかこの小竜くんが修行に出たとしても、同じような、なんか結局変わんないな、歴史はこうなるしかないな…ってなるんだろうな、と思います。
にゃんせん!!!あんたはほんとにいい子だね!!!
歴史上の人物を死なせたくないと望む刀剣男士、はもう何度も見てるストーリーだけど。今回、今までと違うのは、歴史上の元主とかじゃなくて、襲撃によって偶然仲良くなったおっさん、ってことですよ…。ああ、パライソの浦島くんと似てるか、友達ができた、って。でも深入りを諌めてくれる大倶利伽羅はここにはいない…。
しかも、そもそも、その仲良くなったきっかけからもう、歴史改変は詰んでたわけで。猫丸、として結んだ仲が、その始まりから間違っていたんだ、って否定されるのが、見ててつらくて…。
ちなみにおっさん、赤子が安心して眠れるようにっての、直政の家訓って言ってましたね。村正じゃん!!!だから花なのか!!!新参の子たちはこれ村正だってわかってるんだろうか?(笑)
なんで、なんで、って繰り返す南泉が印象的でした。そりゃそうなるよね。答えはきっとないんだよ。史実だから、以上の答えなんてどこを探しても転がってなくて、見つけるとしたら自分の中からしかない。
でも、一つだけ確かなのは、折れたら、死んだら終わり、ってこと。
その「なんで」を抱え続けることそのものが仕事だから。
そう。だから。折れちゃダメなんだよ山姥切国広。
Twitterでカンスト隠居個体って見てて何かと思ってたが、実際に見てなるほど言いえて妙だなあとなりました。歌がめちゃくちゃうまいのに、どこか達観しているというか、心ここにあらずというか。心がこもってないままで歌をうまく歌う、ってすごいスキルなのでは。
もしかしたら、彼に足りなかったのは、仲間を無事に帰そうという心構えよりも、自分が生きたいと願う気持ち、だったのかなと思います。写しをこじらせてるのもあるだろうし、なんだろう、山姥切が自分を大事にできなかったから、結果として犠牲が山姥切以外の刀に出たのかなって。あくまで妄想ですが。
大包平が「すぐに撤退する手もあったはずだ」と言ってたけど、山姥切はそれもできたのにそうしなかった。これ、放棄されるまで居座って死に場所を探していた、ももちろんあると思うんですけど、どこかでまだ、この時間軸のことを諦めていなかったようにも見えるんですよね。
引っかかってるのが、浮世絵で桜田門外の変や戊辰戦争を刷っていたこと。もしかしたら、これを流通させればそれを見た人間が絵のとおりの行動を起こすかもしれない、とか、そんな一縷の望みにかけてたんじゃないかな、って。
あと歌も印象的で。流れる水に映る俺も俺だ、でもその姿は捉えにくい。ため池に映してみればはっきりと自分を捉えられる。
これってつまり、ため池=放棄された世界で静かに自分と向き合って折れたい、と願う一方で、まだ水が流れているうち=歴史が放棄される前は、もう何もかもどうでもよくて全部諦めてさっさと折れてしまいたい自分と、まだなんとかできるんじゃないかと思って行動する自分とで揺れ動いているのかなって…。あるいはその、折れたいと願うあまりに、まだ諦めてない自分が自分の中にいることを直視したくない、とか?
まあ、ちょっとだけ引っかかったのは、にゃんせんの「命が守られてる歴史」って言葉ですかね。こんな死に方しなくても、ならわかるんだけど。
だって、刀や刀剣男士より長生きする人間はいないから。いずれ失われる命の、その死に方がどうかって話で。
もちろんどうせ死ぬんだから、でパライソの3万7千人を許容できるかって言うとそうじゃないです。だって、いずれ死ぬにしても、こんな酷い死に方じゃなくていい。
でもその、個人的にフォーカスしてほしいのは、必ず死ぬ前提での「死に方」の話で。「守られてる」というのはちょっと違うかなと思ってしまった。たまーにこういう、言葉の端々で、ん?ってところがミュにはある。
自分は、刀剣男士、という存在は、人間味があっても人間ではないところに魅力を感じているので、その付喪神の視点から、まあ自分と比べたら短い命だけど、それでもこれはあんまりだ、っていうアングルで語ってほしかったかな。短い命だけど、だからこそ、こんな獄死や襲撃死ではなく、天寿を全うしてほしかった、みたいな。
さてここからはちょっと考察っぽい話。
今回、放棄された世界について「ため池」という例えが出てきて。ミュでは歴史の流れは水の流れ、ってずっと表現してきてるし、なるほどなあと思ったんですが。
1つ引っかかることがあって。
いくらでっかい川だって、ため池を無限に作り続けることはできないよなあ?と。どんな大河だろうが、切り離しを繰り返し続ければ、いつかは水が尽きるときがくる。
つまり、何度も世界を放棄してたら、いつかは、正史がやせ細って、最悪、消えてしまう…???
もしそうだとすると、歴史修正主義者の狙いは、まあ最終的には正史の改変なんでしょうけど、おそらく当面の目的は、「正史の力を弱めること」なのでは…?
いやーだってね、ステでも思ってるんですけど、歴史改変そのものはわりと無理ゲーなんですよ。放棄する、という手段がある政府にある以上は、正史の改変までの道のりは果てしなく遠い。ミュでも小さな違いは流れの力でなんとかなるって言ってるし、検非違使も出てるから、歴史が異物を排除する力はあるわけだし。
そう考えると、「歴史修正主義者の狙いは(現段階では)歴史改変そのものではない」「歴史改変は目的ではなく手段」って考える方が、すんなりいきません?
今回放棄された世界では、時間遡行軍もあの世界に取り残されてましたね。だからたぶん、あの世界の中をどうこうすることは、もうレキシューにとってはどうでもいいこと、些末なことで。
膨大な量の時間遡行軍を使い捨ててまで、とにかく「世界をたくさん放棄させる」ことが目的なのではないでしょうか。
そうすれば、政府に、世界を放棄して管理するというコストをかけさせることができる。政府と正史の弱体化が叶うわけです。もしかしたら、歴史や逸話の力を弱めることで、刀剣男士の弱体化もできちゃうかもしれない。
そうして下地を整えたあとで、本格的に正史への大規模な介入を行うのでは…??
ちなみにステでは「この改変された世界を正史へと侵略させる」って言ってる人がいるんですよね…ミュでも似たような方法だとしたら、正史は弱めておくにこしたことはないでしょう…。
そういえば今回、時間遡行軍の存在感も増してましたね。まず1部では共闘して。そして2部では歌があった!これもっとよく聞き取れればいろんなことがわかるかと思ったんですが…!CDに入るかなあ。歌詞カードをください。
あの時間の出口のシーン、遡行軍薙刀・太刀・打刀がいたような気がするんですが、なんとなく、薙刀が隊長で、他の2振りに先に行くように指示した、みたいに見えて…。ちょっと今までよりも、人間味みたいなものを感じたんですね。
そして2部曲…!聞き取れた部分からすると、最初の方は、放棄された世界のことを歌ってるのかな、と思ってて。でも後半の方では、やるべきことをやる、使命を果たす、みたいな感じになってて。
これを強引に上記の考察に当てはめてみると、放棄された世界に取り残されてでも、とにかく放棄世界をたくさん作るんだ、みたいな感じにも…聞こえません…?
それとなんか、後半の刀剣男士っぽさからして、いろんなところですでに言われているように、やっぱり、遡行軍=闇落ち刀剣男士なのかな?とか、歌詞からするともしかしたら、あのままあの放棄世界から出られなかったらあの6振りも遡行軍になってしまってたのかな?とか…考察の余地がありますね…。
あと、新情報としては、放棄後の世界がどうなるかは、いくつかのパターンがあって不安定、ってことなんですかね?ステでは「繰り返す」って言ってたけど、今回は時間が完全に止まった。肥前くんも「ここまでは見たことねえ」って言ってたから、いろんなパターンがある…?
世界を放棄しても正史にどんな影響が出るかわからない、ってステでも言ってたし、というかだからこそ、放棄された世界へ赴く特命調査があるわけで。やっぱり政府としても、失敗しても隔離すればいい、と簡単には考えていなくて、隔離しなきゃならなくなる前になんとかするのが理想なんでしょうね…もちろんそのために数多の本丸があり、刀剣男士がいるわけですけど。やはり放棄は政府にとっても望ましくない…。
そして考察の2つ目。
折れたの、誰…。
これで、あの、ステみたいにキャス変を生かしてきて、折れたのがキャス変になった兄弟…とかだったら地獄。
あるいは、ここまで揃ってきた初期刀組で、唯一ミュにいない、自分の最推し…。
これ…このどちらかだったら、山姥切だけじゃなくて和泉守にも辛いことになるじゃん…。
いやまあ正直、ステのように顕現リストがあるわけでもないから、既出の刀が実は二振り目なのか、それとも折れたのは未出演の刀なのかさえも、何もわからないわけですが。
いや、そう、顕現順ですよ。
まさか初期刀が加州清光じゃない説が出るとは思わなかったよ!?あの謎だらけのステでさえもそこはまんばちゃんで確定してるというのに!?
蜂須賀と陸奥守はまあ、出演順からして違うとしても、シンプルに加州なのか、新参が噂するように山姥切なのか、あるいは、折れた…のか…。既出の初期刀組で実は2振り目の子がいる、とかもありますね…。うわ考えたくない。
最後に、今回感じたこと。
ステは三日月、結いの目、という大きな課題に本丸みんなで向き合っている感じがするけど、ミュは、本丸内でそれぞれ見てるものが違う子がいるのが怖いなあ、と思いました。本丸全体が団結してるわけではなく、いくつかの派閥?ってほどでもないけど、みんなそれぞれの目論見で動いているというか…。
三日月一人が不穏なんじゃなくて、他にも不穏な男士いっぱいいる!ってのがステとの違いかな、と。自分は小狐丸が三日月の腹心説を推してるんですけど…そして鶴丸がそこに立ちはだかる構図なのかな、とか。あと心覚ではみんなにメッセージが託されて、特に江は!!!何!!!うわ、てか、「江水散花雪」に「江」って入ってるじゃないですか…無理やりにでもこれカウントするなら、再演除いて葵咲以降皆勤じゃん…。
あと、ミュ本丸はスパルタ教育せよって方針なんですかね???鶴丸はパライソでも、そしておそらく伊達双騎でもそんな感じっぽいし。そして今回の山姥切。なんでこう、獅子の子落とし的な育て方しかできないんです???育成不器用本丸か???
ステ本丸にいる、燭台切とか一期とか、面倒見のいいキャラの男士が少なすぎるよ…。長兄のキャラは長曽祢さん…くらいか。髭切はごめん別枠だ。
しかしまあほんとに、めちゃくちゃレベルとクオリティの高い公演でしたね…これは乱舞祭が楽しみです!
ではこのあたりで。お読みくださった方へ、ありがとうございました。
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