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刀ミュ「江おんすていじ」感想

 平日になんとかチケットが当たって見てきましたよーー!!
 篭手くん、夢が叶ってよかったね……!!
 以下、ネタバレあり前提の観劇直後の書き散らしです!!!





 葛藤、曖昧、複雑、そういったものをそのままで許容する、という物語かなと思いました。あるがままにいい意味で丸投げに提示するというか。そしてさらに、このスタンスそのものすら絶対の正解としては描かず、あくまでも江+この2振りはこうです、という感じ。
 まさしく刀ミュ本丸の物語なんですよね、曖昧を許容しようとする刀たちは確実にあの本丸の一派になっているけど、一方でそうではない考え方を持つ刀もいる。
 例の三日月からのメッセージの答えはぜんぜん出てこなかったけど、もしかしたら「お前たち江の、曖昧をそのままに許容しようとするスタンスは俺と同じだから、これからも俺の力になって支えてくれ、頼むぞ」的なことなのかもしれないな~、なんて思ったり。あるいは、三日月自身はそのスタンスを取りたいのに三日月宗近に埋め込まれた機能のせいでそれができないから、俺の代わりに曖昧であることを大事にしていてくれ、頼むぞ、とか。

 象徴的なのは毛野と玉梓のやりとりだけどその前にまず、「8振り揃ったにもかかわらず、メインキャストを玉梓に振って八犬士を揃えない」というのが最大の答えな気がする。それぞれお互いの事情があってぶつかってる、と描いたところが。
 玉梓が出てこないままその怨霊に操られた悪役が…っていう原作の筋だと、敵が怨霊という超常的な悪だから、悪者倒す!!!にしか進まないけど、玉梓を出演させることで、敵にも意思があって行動があったんだよ、と提示することができた。それが良いとか悪いとかじゃなくて、その存在を示すことが大事だったんじゃないかと。

 あとは、雨さんが演じる現八のセリフが、刀剣男士ならでは、そして雨さんならではのセリフだなと思いました。
 よくある言い回しだと、頭ではわかっているけど心が追いつかない、になる。でも現八≒雨さんは、この心は正義と悪を切り分けることが簡単じゃないとわかっているのに、この固い頭がそれを切り分けようとする、と(うろ覚え)。
 これ、人間ではまず出てこないセリフだなと感じて。人間は生まれてから肉体と心が同時に成長していくけど、刀剣男士はその逆で、まずものに寄せられた心が先にあって、肉体が審神者の力によって後付けされる。心の核は最初から付与されたもので決まっていて、あとは新たに得た肉体や思考が、その与えられた心の核をどう取り扱っていくか、という話になっていく。
 刀剣男士が自分の心と向き合う話、というのは何度もやっているし実際かなり重要なテーマというかミッションなんだと思うけど、その向き合うべき対象である”心”は、ある意味最初から完成された状態で付与されてるわけなんですよね。だから刀剣男士の精神的成長というのは、心そのものの成長ではなくて、完成されて与えられた心との折り合いのつけ方が上手くなることが、成長した、ということになるのでは。
 そしてこれはつまり、篭手切Pの脚本が人間の感覚ではなく刀剣男士の感覚で書かれているということなんですね…。雨さんの心は、たくさんの句に詠まれた季語の心。その心は、五月雨という季語が芭蕉の句それぞれによって味わいを変えるように、曖昧さや複雑さを知っているけれど、新たに与えられた肉体と脳はまだそれに追いついていない…と。

 順番前後するけど、第一部で衝撃的だったのは、松井が低血圧って話の流れで、「身体ってめんどくさい」「でも、それを承知で生まれてきた」って会話があったこと!!!そうだったのか歌合の双子!!!???
 なぜ我を呼んだ、って言ってたけど、呼ばれて拒否することもできた……??ちゃんと刀剣男士になった場合こんな感じです、って知らされて?その上で納得ずくで来てくれてるってこと……??つまり、よく二次創作である、博物館に時の政府がお願いに来る、みたいなやつ、わりと当たってる…?
 と。いうことはですよ。顕現するかどうか刀の側に意思決定権があるとすると、未実施の刀=交渉難航中の刀、とも取れる????稲葉とかはようやっと最近交渉完了して、なかなか実装されない童子切には、交渉を渋られている…?

 雲さんの成長ストーリーとしての側面の話。最初、勧善懲悪の八犬伝のストーリーを紹介されて好きじゃないっていう雲さん、至極真っ当だと思った(笑)。玉梓の処刑される前の悪行が端折られてたのでね。なんなら、実は観に行く前に原作予習したけど、ちゃんと読んでも、いやこれ里見の殿の自業自得じゃね???と思ったし(笑)
 序盤の雲さんは、本当に自分に価値がないと思ってるから、天下五剣が自分を卑下することに、むかむかすると言った。でも光世はたぶん、どの刀も等しく価値があると信じていることを前提に言ってる気がする…むしろ根底にはちゃんと誇りがあって(俺がどうして封印されていたかわからんようだな!とか)皆がそれぞれ誇りを持っている前提で、自分を下げる意図ではなくあくまで自分の寄せられた心、特徴の一つとして語ってる感じ。本気で自己評価が低い雲さんとは根本的に違う。
 そして篭手切Pの出した答えが、「雲さんの考え方も素敵」なんですよね…!篭手切Pによるあの八犬伝の翻案は、雲さんにも好きになってもらえるように、っていうのが第一にある気がして。篭手切Pが、江が、水心子と光世が、みんなで雲さんを肯定してあげたのが第二部とも読める。
 篭手切P、みんなを笑わせたいとか驚かせたいよりも、「みんなが強くなるためにすていじをやる」って言ってたけど、まさにあの曖昧を許容する八犬伝を演じることで、江の刀たちは自分たちのあるべき姿を再確認したとも言えるわけで。そしてその江の目指すものの中核が、雲さんの考え方なんですよね…!江のみんなが、雲さんの考え方いいね、自分たちもそれを目指そうよ、っていうのが第二部で、あれをやることで江は江として強くなれたはずだし、雲さんも少し自分を誇れるようになってるといいな…!

 しかしね…篭手切Pと連呼してしまったけど、あの一人で全部やろうとしちゃう感じ、光世の言うように「業」なんでしょうね…。創作とかモノづくり系の趣味の人ってたまに、自分の体力の限界とか無視してとにかく!!やらねば!!!みたいになるときってあると思うんだけど、まさしくその、使命感と呼ぶにはちょっと重すぎる、業と呼ぶしかないようなものが篭手切にもある…。
 刀剣男士は、自分で自分の心そのものを変えることはできない。向き合い方や表現の仕方を変えることはできても、核を変えることはできないから…。与えられた心に衝き動かされるままにやるしかないんだろうな、と。
 そして、そんな篭手切を受け止めようとするのが豊前。パライソでは松井の心に寄り添い、心覚では五月雨の役割を引き受けようとしていた。
 豊前って、誰も見たものがいない=心を寄せた人間がいない=寄せられた心がないから刀剣男士として与えられた心もからっぽ、だと思ってて…。でもそんな空白の心だからこそ、他の江の業(だじゃれではない)を受け止めてあげる役割を持たされているんだと思っています…。

 細かいところでは、それぞれメンバー集めをしようとするとき、それぞれの相手と共演した作品のメインテーマとなるような曲のメロディだったところが好き!!!もっかいゆっくり聞いて確認したい。雲さん→大包平のところはなんだった…??江水の曲だったか???
 あとは、雨さんはちゃんと道灌の言葉を覚えてるし(そう思う心が美しいのじゃ)豊前も鶴さんの言葉を引用してたし(命を預け合うそれが宴)、あの不思議な心覚も地獄のパライソもちゃんと彼らの中に生きてる、ってのが嬉しかった。

 ふざけて刀剣戦隊江レンジャー!とか言ってたらほんとに戦隊モノの元祖とも言える八犬伝ってどんな!?!?と思ってたけど、なるほどこう来たか~って感じでした。千秋楽配信も見ます!!!

 追記。3部のことについて思い出そうとすると素の水心子並みに混乱してしまうので(あまりに良すぎて)短めに。満を持して豊前のソロがお出しされてしまったのでね…それでじゃあ松井は?と思ったら篭手とデュエットじゃん?先行して出てたがゆえに江同士の歌が少なかった二振りがさあ…!!よかったね……!!!
 雨さん雲さんの無音のところ、あのバカでかいホールのすべての観客が音一つ立てず見守っていたあの緊張感がすごかった。ペンライトもぴたりと止まって衣擦れの音一つしないあの体験はすごく稀有なものだった…
 あと鼓笛隊で来たか!!!!桑くんだけ大太鼓なのが解釈一致すぎたことだけ書き記しておきたい。

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