常日頃から学ぶ姿勢、努力がないと、「一を聞いて十を知る」ことはできないのではないか

「回や一を聞いて以って十を知る。賜や一を聞いて以って二を知る」(論語、公治長第五)
(顔回は一を聞いて十を理解しますが、私は一を聞いて二がわかる程度です)
 
「一を聞いて十を知る」。論語の中でも有名な言葉ですが、皆さんはどのように感じられますでしょうか。
 
私は、長いこと、これは聞いた話を理解するのはもちろん、そこかれ色々なことを連想できることを言い、これは(時には生まれつきも含めた)地頭に起因するものだと思っていました。
 
しかし、「一を聞いて十を知る」ことができる理由は本当に地頭のよさによるものだけなのかな、と歳を経て思うようになりました。
 
むしろ、その聞き手は常日頃から注意して色々な情報を集め、学んでいたり、そこから色々なことを考えているからこそ、何かの情報に触れた時に、そこから様々なことを連想したり、考えたりすることができるのではないかと思うようになりました。
 
つまり、地頭がよくても、常日頃から何ごとにも学ぶ姿勢がないと、「一を聞いて十を知る」なんてことはできないのです。
 
実際、この一節で挙げられている顔回という孔子の弟子は、大変な勉強家で、孔子から非常に愛されていたといいます。単なる地頭のよい、(言葉を選ばず言えば)こざかしい人ではなかったと思います。
 
こう考えると、自分が「一を聞いて十を知る」ことができていない時は、非常に学びが足りないのだと思います。そこで地頭のせいにせず、自分を高められるように学び続け、努力したいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?