適切な問いを立てる為には、適切な学びが必要

「学んで思わざれば則ちくらし。思って学ばざればすなわちあやうし。」(論語、為政第二)
(「外からいくら学んでも自分で考えなければ、ものごとは本当にはわからない。自分でいくら考えていても外から学ばなければ、独断的になって誤る危険がある。」)
 
経営の現場においては、様々な経営上の問題・課題に対応しないといけない訳ですが、その出発点は「問い」を立てることです。この「問い」が適切でなければ、適切な思考や検討ができず、適切な実行ができないと私は考えています。
 
その際、この「問い」が適切である為には、適切な「学び」が必要となってきます。
例えば、お客様ニーズの変化により既存商品の売上が減少してきているとします。それに対して売上を改善していこうとしたら、昔とは違う今のお客様ニーズを知る必要があるのです。
 
その時、今のお客様に直接ニーズを確認していくことも大事です。但し、生の声は非常に重要な一方で、自社のお客様の声だけだと、世の中の一部の声であることも否定できません。自社のお客様層自身が今後減少することもあります。もっと広いお客様ニーズを知る為に、日々新聞を読んだり、様々な情報源と接する学びも必要となります。
 
そうした新聞等の情報源からの学びから、今のどのようなお客様ニーズに対応すべきなのか、という問いが設定できます。
 
加えて、お客様から対価を頂く為の正しい考え方を学ぶということも大事だと考えます。
売上を改善する、ということだけが目的であれば、今のニーズからずれた商品・サービスを(まさに押し売りのように)無理やりでも売り込む、という考え方も生まれかねません。しかし、お客様頂く対価とは、お客様に喜ばれる商品・サービスを提供して、その結果として頂くものです。そうした考え方を学ぶということも大事です。そのような考え方は、経営の原理原則や、古典からも学べることも多々あります。
 
そのような学びの中から、お客様が喜ばれることは何なのか、またそれに対応する為にはどのような商品・サービスを提供すべきなのか、という問いが立てられます。
 
このような「学び」が無い中で、「問い」を設定してしまうと、勝手に想像したお客様ニーズに対応することを考えたり、お客様ニーズに関係なく押し売りするような方法を考えたりする等、誤った「問い」を設定してしまうことになります。
 
私はこれが「思って学ばざればすなわちあやうし」の神髄なのではないかと考えています。
 
一方で、「学び」があっても、「問い」を立てないと、何も起こりません。それは問題提起が無い為、当然思考することもなく、その後の実行することもないからです。これは「学んで思わざれば則ちくらし」になります。まさに学んでも何もない状態です。
 
適切に学んで、適切に問いを立てることが大事だと考えます。

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