怒りは敵と思え

「顔回なる者有り、学を好む。怒りをうつさず、過ちをふたたびせず。」(論語、雍也第六)
(顔回という者がありまして、本当の学問好きでした。怒って八つ当たりすることはなく、同じあやまちを二度とすることはありませんでした。)
 
まったく、孔子先生と言ったら本当に顔回さんという弟子を可愛がっていたし、将来を期待していたんだろうな、と論語を読んでいると感じます。先週ご紹介した「一を聞いて十を知る。」という有名な言葉も、顔回さんのことを称えたものでした。
 
この顔回さん、孔子先生の期待にも関わらず若くして亡くなったのですが、きっと十分な働きができずに無念で亡くなられたでしょう。だから、まさかまさかこんな2500年にも渡って自分の名前が語り継がれようとは、ご本人は夢にも思わなかったと想像します。
 
さて、孔子先生が顔回さんを更にほめたたえたこの一節、「怒って八つ当たりすることはなく、同じあやまちを二度とすることはありませんでした。」。
 
よく短気と指摘され、自分でも身に覚えがある私としては、大変心に刺さるものがあります(ちなみに、同じあやまちを二度、三度起こしているとは言われませんが、極めて愚かな凡人なので気づかない所で同じあやまちを繰り返しているかもしれません。)
 
怒り、と言えば、東照大権現様、徳川家康様もこんなことを言われています。
「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。」
家康様は、外にあっては今川家、織田家、豊臣家の無理難題にずっと耐えつつ、また内にあっては、時には主君とも大喧嘩するよな家臣団に囲まれながら、そんな中でまさに「堪忍」しつつ、精一杯の努力をされてきたのだと思います。
 
私は、家康様はほとんど怒ったことがなかったと記録にあるのですが、これは怒ることによって目的が達成されなくなることよりも、怒りを抑え、目的を達成することに集中していたのではないかと思うのです。
 
具体的に言えば、家臣に怒ってその家臣の反感を買うよりも、家臣がよい働きをしてくれるような対応に集中したのではないかということです。また、怒りで一時的に家臣が対応してくれたとしても、家臣が反感を持ち続けることを恐れたのだと思います。
 
つらつら思うに、「怒り」って、私利私欲の発露だったりすることが多いのではないかと思います。確かに「義憤」という言葉はあるものの、義憤で事態が変わるのなら、とっくに世の中はもっとよくなっているような気もします。
 
色々なことをよくしていく為には本当はどんな対応をすべきかを真剣に考えたら、「怒り」ということにはならないのではないでしょうか。

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