思いやりの心が全ての基礎、基盤

「人にして仁ならずば、礼をいかん。人にして仁ならずば、楽をいかん。」(論語、八列第三)
(もし仁という心の徳がなければ、礼があっても音楽があってもどうしようもない。(礼楽の根本は心を磨くことである。))
 
私が論語等に表される孔子の考えに興味をもったきっかけは、井上靖先生の「孔子」を30代の頃に読んでからでした。この作品では孔子の艱難の人生や弟子との関係性について描かれていますが、一番印象深かったのは、孔子の世話をしていたという架空の主人公をして、孔子が最も大事にしていたものは、「仁」だと言っていた場面です。本を読みながら落雷に打たれたような感覚を感じた事を覚えています。
 
「仁」とは何なのでしょうか。色々な解説がありますが、「思いやり、いつくしみ。自他のへだてをおかず、一切のものに対して、親しみ、いつくしみ、なさけぶかくある、思いやりの心。」というのが一般的に聞かれるところです。「医は仁術」という言葉などは、医療は思いやりに基づいて行わなければならない、ということです。医師が幕末にタイムスリップした漫画「JIN」のタイトルは「医は仁術」から来ています。
 
さて、冒頭の言葉ですが、仁、つまり思いやりの心がなければ、礼楽があっても仕方がない、と言っています。
これは私の解釈ですが、礼というのは礼儀とかの礼もありますが、もっと広く規律・規範とか、ルールとかも含めてよいのでは、と思っています。また音楽というのは、孔子の時代は音楽自体が政治の一部であったことを考えれば、政治における政策や、企業における施策等も含んでよいと思います。
 
そう考えると、規律・規範、ルールも、また政策や施策といったものも、人に対する思いやりを基礎、基盤にしないとどうしようもない、ということを言っているのではないでしょうか。
 
人というのも、国であれば国民ですし、企業であればお客様、働く社員等々が当てはまってきます。
思いやりも、もう少し具体的に言えば、国民であれば精神的にも経済的にも幸せになることですし、お客様であれば商品・サービスを通して喜んで頂く、また働く社員であれば働きがい、経済的幸福を感じてもらえるように配慮することです。
 
そうした視点がない、規律・規範、ルール、また政策や施策といったものは、これは確かにどうしようもないものと言わざるえません。

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