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「鎌倉殿の13人」をパターン化してみると

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はなかなかの好評を得ているようで、私も毎回みています(毎年大河ドラマは欠かさず見ていますが)。
 
どの時代でも権力闘争は激しいものですが、鎌倉時代初期の権力闘争というのは、本当に格別だと思います。観られている方はよく分かると思いますが、鎌倉幕府の創設に関わった方の多くが、権力闘争の中で敗れ、殺されていっています。下手なミステリードラマよりも怖く感じる方も多いのではないでしょうか。
 
鎌倉側だけでみても、上総広常に始まり、源義経、源範頼、阿野全成、梶原景時、源頼家、比企能員、畠山重忠。そして、今後も予想される和田義盛、源実朝。本当に多くの人が亡くなっています。これでも一部だけで、もっと多くの人が殺されたりしています。
 
少し上記の登場人物を対象として、少しその原因についてパターン化してみました。
 
①   源頼朝の権力確立途上において、その障害になると判断された為:上総広常、源義経、源範頼
②   源頼朝死後、源氏将軍の独裁を強めようとしたところ、御家人の反発にあった為(またあったと思われる):梶原景時、源頼家、源実朝
③   北条家の権力確立途上において、北条側に立っていた為:阿野全成
④   北条家の権力確立途上において、その障害になると判断された為:比企能員、畠山重忠、和田義盛

 
上記の切り分けでいくと①3名、②3名、③1名、④3名ということになりそうです。
しかしながら、②は④の前提、つまり源氏将軍の独裁をストップしないと北条家の権力確立はなかったことを考えるならば、②自体も広義では、「北条家の権力確立途上において、その障害となると判断された為」と言えます。
 
そう考えるならば、①3名、③1名、④6名と、北条家の権力確立途上において障害となると判断された為、が過半数以上になりそうです(あくまで上記サンプリングの中の話ですが)。
番組全体通して、北条家にとって障害となる人物は消されていっている感覚は否定できないと思います。
 
上記の是非は別として、歴史上の事実としては、一連の権力闘争の後、北条家は約130年に渡り権力のトップに君臨します。
もちろん、その後の泰時・時頼による善政や、時宗による元寇対応等、多大な努力を尽くしたこともあります。但し、この権力確立期の闘争をみると、権力を獲得するということは綺麗ごとばかりでもないことを思い出させます。

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