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仕事に活かせる中国古典

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数千年の風雪に耐え、今なお世界中で評価されている中国古典。現代を生きる私達が「よい仕事」を取組むにあたり、どのような中国古典の教えが活きるのかご紹介できればと思います。
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2022年10月の記事一覧

基本的なことができていないと、学んでも実践できない

子いわく、「弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟。つつしんで信。ひろく衆を愛して仁に親づき、行いて余力有らば、すなわち以って文を学べ」 (先生が言われた。「年少者の心がけとしては、家の中で孝を尽くし、外では年長者に仕えて弟を尽くし、つつしみ深く、誠実であること。そして、世の中の人々を広く愛し、仁者に近づき親しむ。こうしたことを行ってまだ余裕があれば「詩経」、「書経」などの書物を学ぶことだ」) (論語、学而第一) 私自身も自分自身を振り返って気を付けないといけないことですが

一日の終わりに三省で振り返る

「われ日に三たびわが身を省みる。人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか」(論語、学而第一) (「私は毎日、三つのことについて反省する。人のために誠心誠意考えてあげられたか。友人とのつきあいで信(言葉と行ないが一致すること)であったか。しっかり身についていないことを、受け売りで人に教えたのではないか」) 私は毎日ワードでタスク表を作成し、前日に明日対応が必要なタスクを列記しておいて、当日順次消し込んで、必要なタスクを対応しているかチェッ

過ちをした時は、つくろうよりも、素直に説明、謝り、誠実に対応した方がよい

子夏いわく、「小人の過ちや、必ずかざる」(論語、子夏第十九) (子夏がいった。「小人が過ちをすると、必ずとりつくろってごまかそうとする。」) 正直な話、私のような超絶な小人は、これはよくないな、と思った時に、昔は何とかとりつくろうとしていた事も多々あったように思います。お恥ずかしい話ですが。 しかし、いつの頃からか、とりつくろっても結局どこかでボロがでるものだ、ということになんとなく気づいていった気がします。これが不思議と出るんです、ボロがボロボロと。 それだった

当たり前と思っていることも、学びなしに身につくものではない

子いわく、「性相い近きなり。習えば相い遠きなり」(論語、陽貨第十七) (先生がいわれた。「人は生まれたときには互いに似ていて近い。しかし、学びの有無によって善にも悪にもなり、互いに遠くへだたる」) 少し歳を経てきて感じるのですが、人間は幸せになる為には、本来色々なことを学ばないといけないのでは、と思うのです。 それは、決して学校の教科書的なことだけではなく、例えば、社会やコミュニティ、家族と一緒に生きていくあたり、他者への貢献であったりとか、他者への思いやり、尊重、感