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太陽のような母のこと⑤

全然更新できていませんでした。
まぁ、マイペースが良いと思うけど!

母が不安を訴えた日から元気な日とそうでない日を繰り返したが、やはり誤嚥を防ぐために食事はできなかったし、輸血をしても血小板が全然増えなかった。
すると医者に、輸血を必要としている人は他にもたくさんいると、ボソッと父は言われ、じゃあうちのはあきらめるっていうのか!と母に聞こえないところで言ったらしい。

それで、確か兄がお見舞いに行った時に
耳から血をとる検査をした母。
相当痛かったらしく、顔がつらそうだったと。
兄も父も今はその顔を思い出さぬよう、無理矢理心の中にしまっているらしい。

痛くない治療をするって約束も守れないのか!
と、キレる父。

その検査が最後になった。

父から、お母さん今夜危ないぞと電話がくる。
その日は大丈夫だった。テレビ電話で顔を見て声をかけたりした。
その二日後(この辺は少し記憶が曖昧)
また、今夜危ないと連絡あり。
スマホを握りしめて体を休める。
朝5時取り乱した父から連絡がくる。
頑張れお母さんと声をかける。
薬で落ち着く。

そして、その後の電話で、
母は、63歳という若さであの世に旅立った。
全身エリテマトーデスによる、多臓器不全。

亡くなった母にありがとうを告げた。
その時はまだ少ししか泣かなかった。
父がずっとテレビ電話をつないでいたので、
亡くなった時の母の顔、鮮明に覚えている。
父、母の兄、妹、父の弟夫婦、妹夫婦に看取られた。
コロナ禍だったが、看取る人がいたことは父にとっても母にとっても救いだったと思う。

そしてそれから、バタバタと忙しくも切ない時間が始まった。

続く

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